水星のミホシ

プテラノプラス

第1話 水星

都市内外を清廉な水路で囲まれ、人々が小舟に乗り。方々で商売の活気溢れる声が響く。

水麗みれい都市オオサカ。二ホンの首都たる清澄なこの都市でもまた、他の地域と同様の騒ぎが起きていた。

住民たちの生活用の小橋の方からは、


 「どけオラぁ!」

 「待てっちゅうてるやろ!」

 「すんませんほんと」といった複数の声が聞こえて来る。


 橋の上では夏だというのに厚手の長袖の服。オレンジの防火衣を着込んだ三人の男女が通行人をかき分けて走り、追っていた。

 彼らの視界の先、橋の終着点にそれはいた。彼らが追うそれは、炎。成人男性の膝丈程の頭の無い人型の炎が、石造りのの橋をどうやってか女児のように駆けまわっていた。

 

 禁火二百六年。

 世界の炎という炎が意思を持ち、制御が不能になったことにより人類が火という叡知を捨ててから二百六年が経過していた。世界は徹底的に炎が発生する要因を排除したが、それにも限界があり。今起きているようなことは時折に発生する。

 

 人型の炎は走りながらも後ろを振り返ると、通行人に戸惑う消防士たちを嘲るような動作を見せると向き直り加速。通行人たちは炎に気付くと蜘蛛の子を散らすがごとくその場を去り、結果として炎の前に開けた道が生まれる。


 「あかん!逃げられてまうで!?」

 「大丈夫です。道は開いたままですし歩幅が違う。開けた場所なら追いつけますよ」

 「ほなこっからが気合の入れ所やな……!追い込むで」


 人ごみを抜けた消防士たちも加速する。なんとしても炎をこの段階で消し止めねばならない。決意を瞳に宿し走る。



♦炎と消防士たちが追走劇を繰り広げている頃。彼らとは対照的に優雅に食事を楽しむ者がいた。

 逃走現場から橋を挟んで数軒むこう。防火材仕様の木造二階建て、昔ながらの和風喫茶にその者はいる。

 喫茶の二階。歩道が良く見える窓際の席に座る彼女は、袖の無いラフな上着に足が大きく露出したズボン。軽く流した蒼の長髪。白い透き通った肌を持ち、切れ長の目の下には瑠璃色の瞳があった。鍛えられた肢体や硬い表情を含めて女神の彫像と言った空気を纏っている。

 そんな彼女の前にはみたらし団子やアイス、パフェといった甘味がテーブルの上に所狭しと置かれていた。蒼の女性は手を合わせると写真を撮るでもなく真っ先にスプーンに手を伸ばし、スイーツを食し始める。その勢いは凄まじく。五分と経たずにテーブルを占拠していた筈のスイーツたちは姿を消す。

 丁度その頃、下の階からやってきた従業員らしき制服姿の中年女性が、蒼髪の席にやって来る。彼女はその手に持つ何やら派手な天井近くまで盛り上がった派手な色合いのかき氷が入ったグラスを空き皿散らばるテーブルに置くと、


「ご注文の抹茶小豆苺チョコレート乗せまるごと通天閣でございます」

「うん、ありがとう。噂通りの迫力だ」

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」


 そうだなあと席に座る彼女が思案したところである。彼女は何かに気付いたように突如としてハッ、と顔を上げると、山盛りのかき氷が入ったグラスを掴み一気に口の中にかき込んでいく。


 「お客様!?」


 店員だけでなく店内全体に困惑が広がるが彼女は意に介することなく食事を続行。やがてグラスを空にすると。


 「ご馳走様でした。料理人に美味しかったと伝えておいて欲しい」


 手を合わせ。そういうやいなやたった今常識離れした量のかき氷を飲み干した彼女は椅子に掛けてあった上着を掴み、下に人がいないことを確認したのち、窓に足を掛け。外に身を投げ出す。

 店内の誰もが口を開き唖然といった表情を作るが当の本人は涼しい顔で、空中にて姿勢を制御。漆黒の上着。防火の性質を持つそれに袖を通しつつ回転。難なく着地する。

 人間離れした動作を見せた彼女は先を見据えると舌で口の周りについていた氷を器用に拭うと。


 「キーンとしてジーンとしたな。次からは止めよう。うん」


 そういうと前傾姿勢のまま爆ぜるような勢いで駆ける。それは雄風を巻き起こし。埒外の速度で人々の視界から消え去った。

 それをあっけに取られて見送る形になった店員がふとテーブルの上に目をやるとそこには紙幣が一枚置かれていた。それはこの国では最高単位のもの。去っていった女が飲み食いした分にはあり余る額だ。

 店員は紙幣を握りしめると。


 「賞金渡さないといけないんだけど……あのお客さんまた来るかしら?」


 店員の背後。壁に貼られたポスターには先ほどの山盛りのかき氷の写真と共に完   食チャレンジ!3万円!と派手な赤文字が記されていた。

 


 ♦……なぜこのような事になったのか?先ほどまで炎を追い。今、逆に追われる身となった女はそう疑問する。今日は何ということはない見回りの日。気の置けない同僚たちと他愛のない話をしながら市街を回る。それで終わるはずだった。

 路地裏を懸命に走る女の背後には、人の三倍ほどの巨躯を誇る、頭のない炎の巨人が火をまき散らしながら迫っており体の中央には漆黒の芯が存在していた。

 背後を振り返ると炎の巨人の後方に、倒され、地に伏せる仲間たちの姿が見える。


小さな炎を路地裏まで追い込んだのはよかった。そこに可燃性のゴミが不法に積まれていなければだが。触媒を見つけた炎は盛大に燃え上がり変異した。弄火から怪火へと転じた以上、最早自分の手に負えることではない。救援も送っている、仲間からも引き離した。己にできることなどもうない。だが。

 眼前、路地裏の出口が見えるその先には大勢の人々がいる。騒ぎに気付いて逃げている人もいるだろうがそうでない人も多いだろう。行かせるわけにはいかない。

 女は震える身を自覚し、それでも身を回し巨人へと向き直る。腰から剣を抜刀する。難燃性合成樹脂材質の柄の先に生えるのは氷刃。消防隊員に支給されている基本近接武器”雪花”である。

 消防署において自身が所属するニノ隊の役割は大きく三つ。炎の徹底予防。炎に襲われた人々の救助。そして炎とそれを助成する人間の討伐・捕縛だ。三つ目を遂行する。

 剣を持つ己は、迫る巨人に対して腰を落とし剣を右手に突き構える。そして至近距離で伸びあがり最短距離で巨人の胸中央。核に向かって跳び、突きこむ。

 怪火以上の炎には、漆黒の芯のような核が発生し、それを破壊するまではいくら火を消しても殺し切れない。だから、狙う。突きこむ氷の刃は水の形質を強く持つ。特殊加工されたこの刃は通常の氷とは比較にならない強度を持ち、これが炎によく効く。

 放った決死の刃は炎の表面を掻き消し進み。そこで止まった。いや、止められたのだ。女は空中で横殴りの炎の一撃を無防備な脇から喰らっていた。炎による焼失と熱を軽減し物理的衝撃に変換する防火衣を身に纏っていなければその身はとうに消え去っていただろう。結果、勢いよく横壁に叩きつけられ肺の中の空気を全て吐き出し、地に落ちる。剣を手放さなかったのは日頃の訓練の結果かそれとも使命感ゆえか。いずれにせよ危険な状態だ。剣を支えに立ち上がろうとするも息は荒く、身体が震え上手くいかない。

 炎の巨人が愉快というように胴体の上で音の鳴らぬ手を叩き、騒ぐ。ひとしきり嘲った後はダメ押しとばかりに右腕を振りかぶる。そこで変化が起きた。蒸発音がし巨人が後ろを振り向いたのだ。


 見れば先ほどまで倒れていた男ども二人が肩を貸しあいながら立ち上がり。遠距離武器”時雨”を構えている。高圧の水を弾丸として射出する時雨は本来は小さい弄火や対人に用いるものであり怪火以上には効果が薄い。しかし、仲間は射撃続行する。


 「オラこっちやバケモン!」

 「芸もしとらんのにわろとんちゃうぞワレェ!」

 「ちょっと!そんなことしたら……」


 無茶だ。そう思う。事実、彼らの射撃は特段の効果を上げていない。怪火は表面を消火され、されどもすぐに新たな火勢がそれを埋める。それでも鬱陶しいといったような体を揺らしこちらから彼らに向き直る。そして再び路地裏へと歩みを進める。


 「待ッ」


 制止の声は聞き届けられない。炎の巨人は動けぬ仲間たちの元へ猛進する。彼らも銃撃で応戦するが勢いは止まらず。


 「おいもっと撃てや!あ、水切れたわ」

 「なにやっとんねんアホか。あ、俺も水切れたわ」


 弾幕が止んだ瞬間。炎の巨手が二人を包む。


 「「あ」」


 肩を組んでいた二人を強引に一纏めにしたことにより彼らはより密着することになり、顔と顔が近づく。強烈な押しつぶすような圧迫感が来る。それでも叫ぶ。


 「「コイツと抱き合って死ぬんはイヤやー!!」」


 男達は泣き言を高らかに叫び、事実いつ死んでもおかしくないほどの負荷を掛けられている。だが、その顔は笑っている。脂汗を流し必死に取り繕った笑顔でこちらを見る。ここはいい。お前は逃げろと、そういう顔だ。

 その意思を己は受け取れない。氷の剣を杖代わりに彼らの元へ行く。それは彼らの覚悟を無為にすることでもあった。だが、その必死の姿を見て何もせずにはいられなかったのだ。

 こちらに背を向けた巨人の足元まで来ると全身で刃を振りかぶり、その足を刺し貫く。もはや核を攻撃する体力は残っていない。足を失うことでバランスを崩し二人が解放されればそれでよかった。だが、そうはならなかった。

 刃は突き立てた周囲を少しばかり消火するだけで足を消し飛ばしはしない。己は必死に柄を動かしかき回すが効果は薄い。

 やがて巨人の緩慢な後ろ蹴り足が放たれ、吹き飛ばされる。

 己は雪花を握っていた右手を確認する。獲物は今度こそそこになかった。身体を必死に起こそうとするが叶わない。視界の先では仲間たちがいよいよ限界を迎えていた。

 自分を庇って兄が火災の犠牲になったことを思い出す。五年前のことだ。あの時、己は何もできずただ兄の死を見送った。それが消防隊への入隊理由であったが、今回も果たしてそうなるのか。拒絶を込めて叫ぶ。


 「誰か助けてください!!」


 「うん。だから、来たよ」


 一瞬だった。応答の声が聞こえた次の瞬間。一陣の風が薙ぎ。二人の仲間ごと掴んでいた化け物の腕が消し飛ばされていた。


 「え?」

 「———!?!」


 突然自身の一部が跡形もなく消し飛んだことに動揺を隠せない巨人は周囲を警戒し見回す。するとその直上から声がする。


 「愛の形は人それぞれだ。男同士……うん、いいと思うよ私は」


 五階建ての建造物。その頂上に声の主はいた。黒の防火衣に蒼の長髪を風にはためかしているのは、女だ。彼女は仰向けに伏すこちらに視線を向けると声をかける。


 「君の仲間は屋上に寝かせてある。大丈夫、生きているよ。頑張ったね。後は……」


 彼女のは屋上から一歩を踏み出すと重力に身を任せ、


 「任せなさい」


 落下の最中、壁面を一蹴りし砲弾のような勢いで落下する。着地の衝撃に地面が耐え切れずに砕ける。だが、着地した当人はまるで無傷のようだ、更にいつのまにやら彼女の右腕には巨人の腕が握られていた。見れば巨人はその両腕を失っている。

 巨人は腕を再生させようと連火する。そして突如現れた恐ろしい外敵を排除するため右足を上げ踏み潰しにかかる。

 蒼の彼女はそれに対し、行動をする。特別なことは何もない。ただ自身の左手を迫る右足の側面に当てた。ただそれだけで巨人の右脚は本体から切り離され霧散していく。

 巨人は今度こそ怯え、その臀部でもって後ずさりし、少しでも黒蒼の女から距離を取ろうとする。だが。

 素手。生身の手を女は炎の中に突きこむ。常識で考えれば即座に焼きただれるはずだがそうはならない。むしろ炎の方が掻き消え。その核を大気に露わにする。

 彼女は事も無げに暗然な核を掴むと、


 「死ね」


 一気に握りしめ。微塵に砕く。炎の巨人が、消える。

 女は周囲の炎を手で一通り掻き消していくとこちらにやって来て手を差し出す。

 「やあ、随分やられたようだけど健在かい?来るのが遅くなって申し訳ない」

 己はその手を取るとここでようやく相手の正体に気付く遅すぎたぐらいだ。

 漆黒の防火衣に、流した蒼い長髪、宝石のような蒼眼。一方では伝説の英雄と称賛されまた一方では死神として忌み嫌われる者。消防署内に知らぬものなしとされるこの者の名を己は言う。


 「”水星”……」

 「ミホシ」


 最強の火消しと謡われる女がそこにいた。

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