記憶以外はど素人の異世界転生
下り坂
第1話・人を止める時は左右ではなく前後を確認しよう
28歳、童貞、彼女なし。
魔法使い間近の俺は、ニートである。
というのも、過労と人間関係、社内派閥のあれこれでここ数年は、というか今も鬱になっていた。
会社をバックレという形で引き篭もり、ついこの間、ようやく外出できるまでに復調したのだ。
今でこそこんな軽口で語れるが、最中の俺と言ったら、家族と会うことも拒否する程の状態であり。
買い物にも行けず痩せ細る一方である。
餓死を覚悟していたが、玄関前には両親が食料を置いていってくれていた。
それを食べて少し復調はしたが、それでも生きる事と働く事に希望は芽生えず。
心身が削れている感じは変わらない。
だが、折角外に出たのだから、散歩でもしてみようと思ってフラフラしていたら、何と会社に着いていた。
まさか鬱になっても社畜根性が働くとは思わなかった。
会社のあるビルは大きい。
というか、オフィスがテナントに入っているのでビル内は他社も入り混じっている。
最近流行ってるらしいよね、こういうの。
んで、しばらくぶりに見たものだから、その大きさに感心していたんだ。思いっ切り上まで見上げるほどに。
そしたら、見えたよね。屋上のすぐ際に立つ人が。
「……は?」
最初はこう思った。何だったら口に出していた。
屋上はかなりの高さで、落下防止用のフェンスがある。
でも立っている人の前にはフェンスはない。
つまり、フェンス越しに屋上にいるわけではない。
ていうかフェンスの向こう側、下からは見えないし。
これはもしやと思った。
「おいおい冗談じゃねぇぞ。白昼堂々飛び降りる気か……ッ!?」
俺は気付いていたら走り出していた。
このビルがあるのは、通行人にとっては当たり前で、見上げるものなどいない。
気付いたのは俺だけだ。
「飛び降りなんて、鬱の時の俺でもやらなかったぞ。精々リスカとか過剰摂取とかだ」
言ってる場合かと、足は勝手に動いていた。
「ちょ、ちょっと貴方!?」
「飛び降りしようとしてる奴がいるんだ! 頼む、今は見逃してください! 説教は後で聞きますから!」
「飛び降りですって!?」
俺の言葉で受付の人が内線を繋げているのが横目に見えた。
でもそれじゃ間に合わない。
今は時間的に昼休憩は終わって、業務中の筈だからな!
俺はエレベーターで屋上へ向かった。
このビル、何か分からんけどエレベーターめっちゃ速いんだよね。
屋上に着いた。
例の人は……。
「あっ! おい、ちょっと待て!」
まさに飛び降りる直前であった。
「……えっ、何でこの時間に人が!?」
声に振り返って、その人は驚いていた。
女の人だった。
その顔は明らかに追い詰められていた人のそれである。
何故わかるのかは察していただこう。
鏡越しに毎日拝んでいたからな。
「おい、飛び降りなんて止めろ! 何人の通行人にトラウマ植え付ける気だ!」
「止めたって無駄よ! 私は幸せに生きてる連中に復讐するんだ! 人が目の前で死んだら、どれだけ苦しんでくれるのかしら! 今から楽しみでしょうがないわ!」
「馬鹿言うな! 知らない奴が死んだとこで誰も気にしてくれないんだよ! すぐに忘れられるだけだ! 辛くて死にたい気持ちは分かる! それを否定するつもりもない! ただ」
「うるさい! 急に現れて、アンタに何が分かんのよ!」
覚悟がキマリすぎている。
元に戻って、その一歩を踏み出す瞬間。
「止めろぉぉぉぉ!!」
俺は手を掴んだ。
片足外しただけだったので、すぐに引っ張り戻せた。
屋上の床に転がる女性。
それを見た瞬間。
ガッ!!
「……あっ」
屋上の床と、女性が立っていた場所の間の、低い段差。
俺はそこに引っ掛かって、抵抗する間もなく落下して行った。
あーあ。
折角外に出れたのに。
結局、自分を鬱にした会社を見届けて死ぬなんてな……。
どうせ死ぬなら、可愛い女に絞め殺されたかった人生だったぜ……。
こうして、千とちょっとの文字数で、俺の人生は終わりを告げたのだった。
……真っ暗だ。
これが死後の世界?
俺は無事に天国に辿り着けたのか?
前世で犯した罪は無いはずだが。
つか、死後ってどんな風になるの?
何か、暖かくて、包まれた感じだな。
悪い気分じゃない。
生前は心身共に寒かったからなぁ。
はぁー温い。
「〜〜ッ! 〜〜!!」
「……〜〜? 〜〜!」
ん、何だ?
声? よく聞き取れん……。
目が開かん。
ていうか、動けん。
何だこれ……。
つか、眠い……。
その答えは、意識を取り戻してからの数日後に分かった。
ようやく目が開き、身体が少し動かせるようになったのだ。
その結果。
俺はどうやら。
「……バーブー」
赤ん坊になったらしい。
えぇぇぇぇッ!?
と最初は思った。
目の前に現れた灰髪の女性と、金髪のマッチョメン。
俺はその二人に抱かれていた時に目を開いたらしく、お互い何事かと驚いたものだ。
ちなみに生後すぐは泣く以外の感情表現が無いらしく、内部の俺が感情を起伏させると身体は勝手に泣き出す。
何か、分かってても恥ずかしいな、これ。
赤ん坊の体感時間は、思いの外速い。
自由に動けないので退屈するかと思いきや、意外とすぐに日は沈み、俺は寝かしつけられるとすぐに寝落ちした。
それから半年くらいして、歩けるようになった。
筋力が足りてないから、すぐに転けてしまうが、痛いからと泣くことはなくなった。
ようやく俺と身体の感情表現が一致してきたな。
その後、聴覚と脳が育ってきて、言語が分かるようになってきた。
積極的に発声していたら、喋られるようになった。発音は怪しいが。
2歳になった年。
俺は最低限の知識を得る事を試みた。
そして分かったことがいくつかある。
まず、この世界は俺から見て所謂異世界というものだ。
魔法やら、貴族やら奴隷やらが存在する。
科学の概念はあるが、化学は無いらしい。
その世界の中でもこの家と国はまともな方で、基本的に魔族だろうが亜人だろうが差別は無い。
特別に適正を測ったりすることも無いそうだ。その辺の問題は取り敢えず起こらなそう。
宗教というものは存在し、一応両親共に同じ宗教徒だそうだが、俺が無理して信仰する事はないと言われた。なので、教会の礼拝には俺は参加していない。
「見えないものの教えより、今見えているお父さんとお母さんから色々教わりたい!」
そう言った時にはえらく驚かれた。何でだろうか。
普通に子供らしくしていれば、まともな赤ん坊からの成長を体験できて面白かった。
が、成長してきたのでそうも言ってられない。
段々とこの世界の常識、文化を学んでいかねばならない。
特に俺は早い方が良いだろう。
何しろ鬱から復帰してすぐの精神で異世界転生してしまったのだ。
もし何かトラブルが起きた時、その鬱が再発して周囲に余計な心配をかけてしまうかもしれない。
そうなる前に事前知識というクッションを用意しておくのだ。
これはこういうものだ、と頭で分かっておくだけでも、違うだろうというのは予測できる。
その為には、うーん、本とかがいるな。
「お父さん、読み聞かせて!」
「良いけど、何だ、本に興味があるのか?」
「うん! お父さんがいっつも面白そうに読んでいるから!」
子供らしい口調にももう慣れた。
最初は恥ずかしかったが、相手からすれば俺は子供。
むしろ今でもギリギリらしくないと感じるだろう。
これは俺と両親とのギリギリを突いた口調だ。
こうして、父の読み聞かせを得て、文字や言語の知識を得た。
そして3歳になったら、そろそろ我慢できずに自主特訓を始めるようになっていった。
ここから、俺の転生生活が始まった。
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