第24話 まだ知りたくない

 海崎さんの少し冷たい指先が、僕の手に収まる。


 その冷たさが、僕の思考を停止させる。えっ? どうして? 回らない頭で無理やり考えを巡らせたものの結論には至らない。理解が出来ないまま彼女の方へと目を配る。


 「海崎さん、どうしたの?」


 自然とその言葉が僕の口をついて出て来る。僕に初めて触れてくれた体温の冷たさと、どうしようもないくらいの不安で心が埋め尽くされて行く。彼女は眼前に広がる星々に視線を向けたまま静かに語り掛けて来た。


 「私ね。佐野君とこんなに関わり合うとは思って無かったんだ。入学式の時に私の名前を事前に知ってた素振りがあったでしょ? 実を言うとね、ちょっと変な人だなーって思っちゃたりして」


 彼女の言葉を聞いて、僕は胸の奥が締め付けられる。二度目の高校生活を送っている僕は異質だ。あの時、不器用ながらに誤魔化せていると感じたけれど、海崎さんは調子を合わせてくれていたのだろう。


 初めて会った時から、名前を知っているなんて普通に気味が悪くて、ただの不審者だ。嫌煙されたとしても仕方が無い。


 しかし、彼女の否定的な言葉とは裏腹に繋がった手は優しく僕を肯定してくれている様だった。


 「最初の印象は良かったとは言い難い所があったけど、今は全然そんな事は無くって――。一華ちゃんを説得しに行ったよね。あの時一生懸命だったのを見て、他人に親身になれる人なんだなって尊敬しちゃった」


 はにかんだ笑顔を向けて来る彼女に僕は少し困った表情を返す。


 あの時の一華さんは自分以外を拒絶していてまるで以前の自分と重なっていた。そのままで良いのか、辛い時間なんて一瞬の出来事だ、いつもと違った日常がきっと来る筈だと、一華さんに伝えた言葉の一部は自分にも言い聞かせたい言葉だった。


 その事に気付いた時自分に呆れて、ムカついて、もっと上手く出来ないのかって……もどかしい感情も相まって、つい一華さんには強い口調で言ってしまった。それは他人の為でも何でも無い、ただの八つ当たりによるものだ。決して僕は海崎さんが尊敬出来るような人間では無い。


 「――君? 佐野君聞いてる?」


 はっとして顔を上げると海崎さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。余りにも顔の距離が近く、僕が一歩後ろに仰け反った事で彼女も少し慌てた様子が伺えた。


 「うん、大丈夫。でも、海崎さんが言う程僕は出来た人じゃない」


 彼女は小首を傾げた後にいつもの明るい笑顔に戻った。


 「そうかな~佐野君はもっと自信を持った方が良いと思うな。どこまで話したっけ? あっ! それからね、合宿の時も皆ではしゃいで楽しかったよね」


 

 相槌を打って共感すると彼女は再び視線を地上の星々に落として懐かしむ声色で話し出す。


 「実は私あの時の事で、佐野君に謝りたい事があるの」


 海崎さんが僕に――? 何だろう、海崎さんを探した翌日に風邪を引いて学校を休んだ時の事かな? でも、あれはわざわざ足を痛めているのにも関わらずお見舞いに来てくれたのだから、あいこで良い筈だ。そう考えていたが、彼女の口から出てきたのは全く予想していなかった出来事だった。


 「佐野君、就寝前に一華さんにジュース奢ってたでしょ? 私それ見てたんだ~。ちょっと二人の雰囲気が近くて、見ていられないって思って飛び出しちゃった。あの時、邪魔しちゃったよね? ごめんね」


 少し伏し目気味で頭を下げる彼女に慌てて言い返した。


 「全然そんな謝る事じゃないよ。実際あの時どうして良いか分からなくて、その――。女子と接した事が余りなくって逆に助かったくらい。それに一華さんとはそういうのは無いと思う。妹を見ているみたいだから――」


 「ああ、あの妹さん? えー、一華ちゃんとは性格が違うように見えたけどな。可愛い所は一緒だけど」


 見舞いに来てくれた時の事を思い出してか、彼女は口元に手をあててくすくすと笑っている。


 「でも、どうして今そんな事を?」


 ふと疑問を感じて思い出話を遮ると、彼女の笑いがぴたりと止まり、僅かに草木が擦れる音だけが聞こえてきた。


 「私が佐野君の事を知りたい。それが答えじゃダメかな?」


 それって――。海崎さんが僕の事に興味があるって事? クラスでも人気者で周りの男子からも引く手数多の彼女が僕なんかに好意を? 何とも言えない高揚感と胸がむず痒くなる感覚が溢れ出す。 

 

 夢と見まごう程に幻想的なこの場所で、目の前に立つ彼女は真剣な眼差しで想いを打ち明けてくれた。繋いだ手は僅かに震え、勇気を出してくれた事が伝わってくる。


 僕も――。僕も答えないと……。正直、僕が抱いているこの感情が好きという言葉なのか分からない。今は皆と一緒に遊んだり、出かけたりと楽しい時間を過ごせている。僕にとって心が温かくなって壊したくない大切な時間。


 海崎さんに僕の事を打ち明ける事で、これからの僕への接し方が変わるのだろうかと思うと中々言葉が喉を通ってこない。


 「佐野君……手が痛いよ」


 いつの間にか手に力が籠っていたようで、僕は謝りながら繋いでいた手を離した。自然と海崎さんと向き合う格好になった僕は一呼吸をおいた。


 「聞いて海崎さん。僕は――」


 その瞬間、彼女は掌で僕の口を制して首を横に振る。


 「まだ答えないで。佐野君の想いを知りたいって気持ちはあるけど、それを知ってしまったら戻れなくなるから。たぶん、私も佐野君もそれに――だから今はまだ知らなくても良い」


 「そう……だね、有難う海崎さん。今はまだこれまで通りで良いかな? 今度は僕からちゃんと言うから」


 小さく頷く海崎さんを見て、ずしりと胸の奥に溜まっていた重い物がすっと引いていくのを感じた。

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