極限の学び
顔をしかめたアルバートに、カルロは我が意を得たりと笑った。
「期待通りの反応でうれしいね。吾輩、暇で暇で、ずぅっと今日のこの日のために話の進め方を考えていたんだ。どうだい、驚いてくれたかね」
「それはもう」
「それはもう! 素晴らしい答えだね!」
何とも腹立たしい世界の敵の反応に、アルバートは軽い眩暈を覚えていた。
どうにも、伝説に語られる
カルロはそんなアルバートの反応を楽しむように言葉を投げ続けた。
「さてさて、拒否権の話だが、ないと断言するのはいささか乱暴にすぎたね。正しくは、拒否すればここから出られないだ」
「どっちにしても乱暴ですよ」
「申し訳ないね。なにせ、我が呪術の深奥を使わなければ地上に戻れないんだ。それ以外にここから出る術がないのだから、拒否権がないも同然だろう?」
なるほど、それはなんともふざけた話だと舌打ちをしても、状況は変わらない。力をくれるというのだから歓迎すべきとも思うかもしれないが、人間は強要されれば否と言いたくなる生き物である。
アルバートは捻くれた人間というつもりはないが、それでも多少なりと素直に頷けぬ棘を感じていた。
「それで、どうするね。吾輩の力を得るか、あるいはここで一生を過ごすか」
その時、神と名乗る男の言葉が脳裏に蘇った。
『君の目標には力がいる。力を追い求めなさい。そのための近道となる男に転移させてあげたからね。そこで力を得られるかどうか……それが君にとっての最初の賭けとなるだろうね』
なるほどこれがそうかと納得し、アルバートは思考を巡らせる。
敷かれたレールが腹立たしいとは思わない。
むしろ、目的を達成するためには神ですら利用する心づもりだ。
世界平和に力が必要なのは当然の話。
その力をくれるというのだ、何を躊躇う必要があろうか。
そもそも、アルバートは死ねないのだ。反転というスキルがもたらした
カルロの言葉を信じるなら存在として滅することはできるらしいが、それでも牛鬼に数え切れないほど細切れにされた記憶は
ここから脱出するには
断ればここに閉じ込められたまま、永劫の生を生きなければならない。
そんなもの、二択にすらなっていないのだ。
己の命を賭けてでも達成すると誓った世界平和の前に、結論は一つしかない。
それに、実のところ世界の敵の力にそれほど嫌悪感を抱いていないというのもある。
力はあくまで力であって、善悪はそれを奮う人間の裁量に委ねられる。自分の命を奪った包丁にしても、それ自体が悪いわけではく、使う人間によって便利な道具にも命を奪う凶器にもなるのだ。
ならば、力を受け取ったとして即ち世界の敵というわけでもない。むしろ世界平和という目的のためには力が必要になるだろうし、仮に世界の敵という汚名を甘受しなければならないとしても許容可能なリスクと思えた。
「いいでしょう。あなたの力を受け継ぎましょう」
「結構。それでは着いてきなさい」
返事は最初から決まっていたと言わんばかりのカルロは、奥の扉を開けるようにとずうずうしく顎をしゃくった。
扉は重々しい鉄の金属製だったが、軋むこともなく、思ったよりもするりと開く。その向こうには巨大な本棚がずらりと並んだ巨大な図書館が広がっていた。
日本にいた頃は読書を趣味としていたから、それなりに大きな図書館に行ったこともあるのだが、これはそれらが比較にならないほどの規模だ。
国立の巨大図書館がまるで自宅の書斎に思えてくるほどの蔵書量で、そこらのビルよりも巨大な本棚がどこまでも並んでいる。
天井も、奥行きも、広すぎて暗がりの中に溶けて消えてしまっていた。果たして、どれほどの本が集められているのか。とても人の一生で読める量とは思えない。
「これは……すごいですね」
「だろう。吾輩の集大成にして、自慢の図書館だよ。吾輩はこっそりと賢者の隠れ家と呼んでいたがね。すべて魔法に関する書籍だ。古今東西、いや、どの時代まで遡ったとしても、この場所以上の品揃えは存在しないとも。禁忌とされて遥か昔に消えた魔導書すらある。吾輩が世界を手中にする過程で集めた逸品揃いさ」
確かにどれもこれも古い。文字がかすれている物や、そもそもアルバートの知識でも読めない言語で書かれた本もあった。古代言語に類されるようなものだろうが、きっとそれ一冊で言語学者が生唾を飲み込むんだろう。
「それで、力を受け継ぐ方法は? まさかこれを全部読めってわけでもないと思うんですが、具体的には何をすれば?」
「うん? 読むんだよ?」
一瞬、耳がおかしくなったかと思って思わず耳を掻いたが、特に異常はない。気のせいだと信じつつ、念のため問い直す。
「読むって、これを?」
「そうだよ。魔導を学ぶのに魔導書よりいい方法があるわけないだろう。ほーらこれが吾輩の力、今日から君も大魔導師だ! なんて、ひょいひょい力を受け渡してもらえるとでも? なんとも都合のいい力だね」
言っていることはもっともだが、だからこそおちゃらけた言い方が腹立たしい。
これだけの本を読破するだけで人の人生なんてあっという間に終わってしまうだろう。アルバートは
有限の生命を持つ人間がやってきたらどうするのかと問うと、カルロは目を瞬いて当たり前のように言った。
「もちろんそうだね。だけど、この中には寿命を伸ばす魔法もある。魔導を極めればそんなもの、どうということもないさ」
「……つまり、それを見つけられなければ死ねと?」
「そうだよ。力に相応しくないなら死ぬだけだ。強大な力をただ受け取れるとでも? 力とは才能と努力と運が必要なものだ。どれが欠けても足りんよ。そうじゃないかね?」
「そう言われるとぐうの音も出ない」
「
自慢げに胸を反らしたカルロに、アルバートは憎めないものを感じた。
一つ一つもっともと頷けるだけに、ならばやるしかないと割り切ることもできる。むしろそれくらいでなければ得る意味がない。
なにしろ、アルバートの望みは世界平和である。
その前に立ち塞がる苦難を考えればむしろ当然の壁だ。
「もちろん、吾輩も鬼ではない。読む本についての解説も、魔法の深層へと至る助言もする。なにせ世界で並ぶ者なしと謡われた魔導の探求者の吾輩が助言するんだ。死にさえしなければ、最高の魔法の勉強環境を約束するよ」
「俺は
「そうだね。だからこそ、全てを習得するまでどれほど時間をかけてもいいということになる。あるいは、君に才なくただ生きて過ごすだけになるかもしれないが……その時は吾輩が存在を消滅させてあげようか」
「お断りするよ。俺には目的がありますから、さっさと
「その意気だね。ところで、まだ名前を聞いていないな。吾輩の生涯初の弟子となる男の名前だ。ぜひとも聞かせてもらえるかな?」
アルバートはカルロのもったいぶった言い回しにため息を一つつき、渋々と名乗った。
「アルバート・フォスターです。よろしく、
「ふはっ、思ったよりむず痒い呼び方だね。カルロと呼び給えよ、アルバート君」
わけが分からないながらも、アルバートは魔導の世界へとだ一歩を踏み出す。
不覚にもアルバートは嗤っていた。
日本にいた頃はついぞ得ることのできなかった感覚に、こらえきれなかったのだ。
己の才と、運と、努力を試すという極限。
己という個がどれほどのものか。
極限の学びに置かれた不運……いや、幸運に打ち震えていた。
ましてや、その先には日本にいた頃には望み得ぬ力があり、世界平和への道がある。
否が応でも沸き立ち吹きあがる心を抑える術を、アルバートは持ち合わせていなかった。
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