10章 記憶とは。今とは。

頃は夜。

イーラが寝ている傍で、ヴェルとシャンディがオレンドが会話している。


「ってことがあったの!イーラちゃん、きっと、文才あるわよー。」


起こさぬよう小声で会話をしている。


「ふむ」

「おうおう!脚本を書いてくれてるのか。そりゃいいね!最近は俺の頭もすっからかんになってきたし!」

「元からすっからかんの間違いでしょ」

「はっはっは!そうかもなあ!えんぷてぃーえんぷてぃー」


オレンドが座ったまま腹を抱えて喜ぶ横で、

イーラは穏やかに寝息を立てている。

くぅー。くぅー。


「こんなに騒いでるのに、良く寝てるわねぇ…。」

「うむ」


再びイーラの書いている脚本の話に戻る。

「それで、ヴェルさんは、イーラちゃんが脚本を書いていたのを知っていたのかしら?」

「知っておった。私が演劇の練習に勤めている間、いそいそと何かをしておった。」

「へえー!」

この場で一人知らなかったオレンドは、楽し気に大げさに相づちを打つ。


「夜になると、決まって私のところへきて、昨晩の続きを話せとせがむのだ」

「真面目なのね。」


夜寝る前に話を聞き、翌日時間の空いた時に脚本に起こす。


「イーラも、彼女なりに劇団の力になりたい、そう思っておるのだろう。」

「おぉ!なんといじらしい!」


オレンドが椅子からガタッと立ち上がって、手を大きく広げる。

「それなら、座長たる私が頑張って書いた脚本を、演目に採用してあげようじゃないか!」


明らかな大声にシャンディが慌てて止めに入る。

「ちょっと、流石に声が大きい。起こしちゃったら可哀想でしょ?」


「…。ぅーん…。」


くぅー。くぅー。

どうやら、深く眠っているようだ。


「おぉ。そうだった、そうだった。ソーリーソーリー」

「すごく面白そうね。ちゃんと手直しはすればいい題材な気がするし」

「そうさ!フレンドと一緒に、素晴らしい作品に仕上げるなんて、ぐっとな体験じゃないか」


オレンドとシャンディは嬉しそうイーラの寝床の方へ体を向け、顔を覗き込む。

ゆっくりと、息を吸って、はいて、としている。


「ふむ。感謝する」

「おおよー」


オレンドはヴェルの方へ振り返り親指を立てる。


「して、オレンドよ」


話題の変化を察して、オレンドは自席へ引っ込む。

「ほいほい?」

「そなたは半魔だと言ったな」

「ん?そうさあ!」

オレンドの顔に曇りはない。


「そなたの魔力がなぜ全くないか、理解しておるか?」

「んー!…さあなあ。アーイドントノー」

なんとなく、おちゃらけた態度。


ふむ


ヴェルは頷くと、普段より深く腕を組む。

その様子の変化にシャンディが気づく。


オレンドが失った何か。そう、記憶。

「…オレンドが失った魔力を取り戻せるのかしら」

「そうだ…おそらく、記憶も戻るだろう」


ヴェルはサラっととんでもないこと言う。

それは二人が諦めたこと。

「え…!?そうなのね…!じゃ、じゃあ!」

「まて、シャンディよ。オレンド、そなたはどう思う。」


突然の話にオレンドは困ったように頭をかく。

「あー…あんまり真面目なの得意じゃねえんだけどな…。もし記憶が戻った俺は、本当に今の俺なのかなぁ、って思うわけよ。」


それは、劇団に拾われてから、今日までの時間を否定するもの。


「ふむ」

確かにそうだ。

記憶がなかったからこそ、オレンドの世界にはシャンディしかいなかった。

過去のオレンドは魔族の長の一人であり、人と争ってきた身だ。


「でも、俺がどう生きてきたのか、ヴェルたちが話す俺が、俺なら。何があったのか、知りたい気もするんだよなぁ…」

「確かにそうね…あなたの記憶が戻ったら、今のオレンドじゃ、なくなるのかもしれないのね…」


二人の様子を見てヴェルは腕を組みなおす。


「ふむ。私の目からみたらだが。そなたは今も昔もオレンドである」


「そっかあー…。」


間。

オレンドはその言葉を、茫然とかみしめ、ゆっくりと飲み込む。


静寂の中にイーラの穏やかな寝言と寝息により静寂が途切れた。

くぅー。ヴェルー

くぅー。お話ー。

くぅー…


「ふむ。イーラからそなたに流れようとしている魔素がある。オレンドよ、そなたの魔素だ。気づいておらぬのだろう」

「ん?まぁ、俺は見えないからなぁ」

オレンドは肩をすくめる。


「そうであろう。おそらく、長らくイーラの中にあり、もう役目を果たしたのであろう」

「俺が、何かしたかもしれないってこと、かい?」


イーラの中にあって、役目を果たした。

つまり、何かの目的でオレンドが自分の魔素をイーラに渡し、そして自分の記憶と魔素を失った。


「そうだ」


…再び訪れる静寂。


「…ふむ」

ヴェルの頷く声がいつもの数倍の大きさ聞こえる。

次に口を開いたのはシャンディ。

「…私は…」


シャンディはゆっくりと息を吸うと、

ぎゅっと膝を握り、自分の思いを絞りだす。


「…私は、あなたにとって私より大切な人がいたとしても、かまいません」


膝を握る手と握られた膝の感覚がぞれぞれ別々の自分のように感じる。


「シャンディ…」

「あなたはきっとこの劇団以外の世界を知らないから。それって切ないことだと思うの。あなたは昔のことを話す時、いつもちょっと寂しそうな顔をするの」


対するオレンドはなるべくいつものように。いつものようにふるまう。心配をかけないように。

「あはは、そりゃ、記憶がなけりゃ誰だってそんな顔するだろ」

「どんな時でも笑顔で楽しそうに笑うあなただから」


演目の出来が悪くて散々なブーイングをされた時も。

呼び込みで丸一日お客さんが入らなかった時も。

元座長の引退が決まり、若くしてそれを継ぐと決まった時。

当然それを面白く思わない団員に邪険にされた時。


「あなたはいつだって笑顔だったわ。あなたの笑顔に私たちが、どれだけ勇気づけられたことか。そのあなたが、ふと、過去の話をするときだけ辛そうな顔をするのを、ずっと見てきたわ。」

「そりゃ、うーん、そんな顔しちまってたか。」

「だから、たとえ私より好きな人がそこにいても、構いません。ヴェルさん、オレンドの記憶を戻すことができますか?」


不安を隠す様にオレンドは両手を握り合わせる。

ヴェルはその不安を吐露するよう、オレンドへ会話の線を繋ぐ。


「ふむ。オレンドよ。」

「…思い出したい、と、心は言ってんだ。けど、怖え、怖えと頭が思ってたんだ。なんだろうな。俺、自分がいい奴だなんてちっとも思ってなくて…なんか、すんげー悪い奴だった気がしてんだ。だから、半魔でもできる、みんなが笑顔になれる何かをやりたいと思って。拾ってもらったのが演劇団でほんっとに良かったと思ってんだ」

「オレンド…」


オレンドはその想いをゆっくりと綴っていく。

「だからさ、どんなにひどく言われたって、どんなに惨めに扱われたって、全く辛くなかった。俺は、なーんにもなかったから

…でもずっと刺さるんだ。俺は誰で、どこからきて、なぜ今ここにいるんだろう。って。

いちから知ってる人はいいさ。気づいた時には、何にも無え頭んなか、と、ぽっかり穴のあいた心。隠してきたつもりだったけどなぁ。」


「ふむ」


どうするか…。


劇団に拾われた時を思い出す。目を開ければ見知らぬ地。

「…ねぇ、あなた…大丈夫?」

まだ幼い人間の女の子が自分の顔を興味深そうに覗きこんでいる。

「あ、よかったー…。目が覚めたのね!」


その女の子こそがシャンディだった。


それから、シャンディに手を引かれて演劇旅団の当時の座長のところへ連れられた。

当時の座長には人間と魔族の間に生まれた子供で、

付近の集落かどこかで忌子として育てられて、とんだ仕打ちにあった子供とでも思われたようで…おいおい泣き出して、

急に劇団員になれと言われて…流されるように過ごしてきた。


シャンディはどんどん成長し、今では劇団の主演女優。

オレンドは姿こそ変わらないが、座長の跡を継ぎ、そして婚約をした。


総じて、オレンドの記憶にある初めてから今日まで、至る所で一緒にいたのはシャンディだった。

それだけでも、十分に幸せだった。


そして…

それより前の記憶を取り戻すということは、今ある自分、ではない何かを受け入れるも同じこと。


ふぅー…。とオレンドは一呼吸を置いて…


「ちょっとまってくれ」


シャンディ…とオレンドは小声でささやき、そのまま隣にいる彼女と唇を重ねる。

「あ、ちょ…んっ」

不意打ちのキスに初めこそ驚いたが、口先に触れる感触は渇き、わずかに震えていた。

そのままオレンドの背に手をまわし、背中をさする。その震えが収まるまで。


重なりを解いた頃には、震えは収まり

オレンドはすっかり元気を取り戻していた。


「…うーしっ!大丈夫だ!かむかーむ。ヴェールー!俺に記憶を、くれくれーい!」


ヴェルはその言葉にニヤリと口角を上げ

イーラの方へ手を向ける。


「うむ。良き心がけだ。少々辛いが、オレンドは大丈夫であろう。」


――行き場を失った魔素よ、主人の元へ変えるのだ――


ヴェルが唱えた途端。

その手から何かほの白い流れが流れてくるのをオレンドが認識した次の瞬間。


「グッ!!ぁ…ぁああ!!!」

これまでに感じたことのない痛みを自分の頭が訴える。

これ以上入る隙もない水がめに、無理矢理水を叩きいれるような鈍い痛みと、

爪先に黒曜石の尖端を突き刺すような鋭利な痛みが同時に襲い掛かってくる。


「オレンド!」

シャンディが自分の肩を支えたが、その手が当たる感覚がはるか先に感じる。

視界が黒くぼやけ、自分が見たことのあるような、内容が光景が眼前に広がる。



そこは人の数十倍もあろうかという巨樹を中心に広がる柳の森。

「ふむ。まだかかってくるか」

「ゆるさねぇ!お前が魔王なんだろ!ゆるさねぇ!!

「ふむ。好きにするが良い。そなたが飽きるまで付き合ってやろう」









――――ぐぅ…はあ…ガハ!








そこは人の手が届かぬ絶壁の先にある巨大の城の廊下。

「ねえ、オレンドって好きな人いるの!?」

「なんでそんなこと気になるのかなぁ!まさかロクシー!俺のことが…」

「はあ?何言ってんの。私はヴォルカス様一筋!あぁ…ヴォルカス様ぁ、なんであなたはそんなに博識なのでしょう…」








――――ゲホゲホ、あぁっぁっぁあああ!









そこはきっと当時の自室。姉と慕う誰かが扉の近くに表情なく佇んでいる。

「オレンド、あなたにだけ伝えます」

「なーに!?サラ!俺の失恋記念日でもお祝いしてくれるのかなぁ!?はっはっは!」

「…いえ。私は、次の新月の夜にロクシーを殺します」








――――ああああああぁぁぁああああぁぁぁっぁああああ!!!








そこは魔王の自室。月のない空を前に王の愛する最愛の女性が冷たい石床に伏せている。

「オレンド、私のお腹を裂いて。この娘だけ、イーラだけでも守って。」

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