(24)

 女子寮への来客は珍しくない。多くは寮生のハーレムの成員が、その主人を迎えにやってくることが多い。特に放課後はデートを目的に女子寮のエントランスが混み合うことも、ままある。レンはハーレムの成員である――ということになっている――アレックスに登下校の送り迎えを頼んであるので、彼女にしては珍しくそんな事情をよく知っていた。


 女子寮への来客は珍しくない。珍しくはないが、ハーレムの成員でもない男子生徒がやってくることは少々珍しい。アポイントメントもなしに突撃してくる男子生徒はいるものの、たいていは寮監のジェーンに追い返されるのがオチであった。基本的に女子寮へ悠々と足を踏み入れられるのは、ハーレムの成員たる選ばれた男子生徒だけなのだ。


 しかしなにごとにも例外はある。たとえば、レンにお礼がしたいという男子生徒が女子寮をおとなったときなどが、そうだ。


 今日も今日とて与えられた私室で勉強に励んでいたレンを、寮監のジェーンが呼び出す。レンに会いたいと言う男子生徒がきている、と。学年はレンよりひとつ上の二年で、奨学生スカラーのベネディクト・ラザフォードだと言う。そんな名前には聞き覚えがなかったし、そもそも奨学生スカラーの知り合いはひとりもいないレンは、思わず首をかしげた。その、ベネディクト・ラザフォードなる先輩に礼を言われる心当たりもなかった。


 けれども寮監であるジェーンはレンよりも聡明だった。


「先日、あなたが助けた生徒ですよ。空き教室で襲われたところをあなたが助けた」


 そこまで言われて、レンはようやくあのときの美貌の生徒かと思い当った。と言ってもレンは組み敷かれ、床にストレートの金の髪を散らし、痛々しい殴られたあとを頬につけた顔しか知らない。言葉だってひとことだって交わしていない。面識は一応あるが、ないと言い切っても問題ないくらいの、薄っすらとした繋がりしか持っていないのであった。


「礼が言いたいそうです。応接室は空いていますから、そちらを使ったらどう?」


 いつもは厳しい寮監のジェーンは、どうやらそのベネディクトなにがしの味方であるらしい。アレックスによれば、ベネディクトとやらは奨学生スカラーのバッジをつけていたから、教師の覚えもめでたいのかもしれないとレンは思った。


 レンは逡巡した。ベネディクトとやらを警戒しているわけではない。礼を言われるほどのことはしていないと、なんだか逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだ。そもそもあの男子生徒をぶっ飛ばしてくれたのはアレックスだ。この礼は彼が受け取るべきではないだろうか。


 そんなふうにぐだぐだとレンが悩んでいると、寮監のジェーンはため息をついて彼女の肩を押す。


「あなたが引っ込み思案なのは知っていますが、礼くらい素直に受け取りなさい」


 単純だが、それが決定打だった。レンは億劫な気持を観念して封印する。「……それじゃあ応接室に」とレンが言えば、心得たとばかりに寮監のジェーンはうなずく。彼女のあとをついてエントランスへと向かう。


 エントランスには数人の男子生徒が寮生である女子生徒を待っていたが、そのうちのだれがベネディクトなのかはすぐにわかった。見事な金のストレートヘアーをうしろでゆるくひとつに束ね、パリッとしたブレザーをしっかりと着こなしている。胸元には奨学生スカラーであることを示すバッジ。姿勢正しく立つ姿は、それだけでいい匂いが漂ってきそうなほどの、清潔な色香が感じられる。


「ベネディクト、レンとは応接室でお話ししなさい」

「はい。ありがとうございます。ジェーン先生」


 会釈をする姿も優雅だ。どこぞの貴族の生まれだと言われれば、納得するほどの上品な所作。それよりも目につくのは圧倒的な美貌。白皙の美男子、紅顔の美少年。そんな言葉がレンの頭の中を流れて行く。どうしたって暴行未遂はれっきとした犯罪ではあるが、この色香に惑わされる気持ちも、少しだけわかるような気がした。それほどまでにベネディクトのオーラはすごかった。


「それじゃあ応接室に……」


 レンはベネディクトの美貌に感心している素振りなどおくびにも出さず、彼を応接室へと招く。黒い革張りの、クッションの効いたソファが備えつけられている女子寮の応接室には、今はわけあって花であふれている。それらから発せられる芳香は、落ち着いて話すには少々向いていない。が、そんなことよりもレンは初めて会話をする先輩を前に、緊張し切っていた。


「この場を設けてくれて感謝する。そして改めて礼を言わせてくれ。君のお陰で助かった」

「いえいえ……。あ、礼は受けますが、私はそんなたいそうなことはしていませんよ」


 レンは思わずいつもの曖昧な笑みを口元に浮かべて対応する。言葉通りにたいそうなことをした自覚のないレンは、複雑な気持ちで礼を受け取る。


 一方のベネディクトは言葉の温度に比べて、顔つきはどこか冷たい印象を抱かせる。先日見たときのような痣は顔から消えていて、それでもなお美しかった相貌は、痣がなくなればなおさら美しいと称賛できる。しかしその顔は冷徹だ。氷のような鋭利で冷たい視線が、相対するレンに突き刺さる。


「そんなことはない。カンベが気づいてくれなければどうなっていたか……。本当にありがたいことだ」


 すらすらとベネディクトは礼の言葉を口にはするものの、レンにはどこか空疎に響く。レンはそれを「どこの馬の骨とも知れぬ後輩に借りを作ったのがよっぽどイヤなのだろう」と解釈した。そういうベネディクトの心情は、声の調子から透けて見える。


 被害者であるベネディクトの名前を、レンは学長から教えられなかった。ベネディクトの心情に配慮したのだろう。レンだってことさら知りたいなどとも思わなかった。


 けれどもベネディクト本人は自ら正体を明かしてまで、レンに礼を言いにきた。そのまま知らんふりを決め込んだって、よかったにもかかわらず。そしてそれは「どうしてもお礼がしたい」という感情に突き動かされたものではなく、「貸し借りをナシにしたい」という気持ちのほうが強いらしい。


 アレックスはあの事件のあと、「奨学生スカラーはお高くとまっている」などとのたまっていたが、彼がそう思うのもなんとなくレンはわかってしまった。サンプルはひとりだけだが、一度ついた印象というものはぬぐいがたいものだ。


 そしてそんなレンの推測は見事に当たる。


「カンベには大きな借りを作ってしまった」

「そんなことないですよ」

「そんなことがあるからここにいるんだ。率直に言おう。僕は君に借りを返したい。できる範囲でなら、僕はなんでもするつもりだ」


 そらきたぞ、とレンは思った。

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