(7)

 学長によっていきなり異世界人と紹介され、アレックスから疑いの眼差しを向けられたレンは、こういうときにどういう顔をするのが正解なのかと考える。結局日本人的な曖昧な笑みを浮かべれば、アレックスはなにを思ったのかバツが悪そうな顔をして視線をそらした。


「異世界って……でも」

「あらアレックス。異世界人が出てくる昔話くらいはあなたも聞いたことがあるでしょう?」

「……はい。でもそれは昔話与太話って言うか……」


 そしてまたアレックスは疑いと――罪悪感に満ちた目でレンを見る。レンが異世界人であって欲しくない。そういう目だった。


 そりゃそうだろうなあとレンは思う。どうやらレンを事故に近い形にせよ異世界へ召喚してしまったのは、このアレックス・ハートネットなのだろう。実践室での状況や会話を思い出せば、そういうことになる。となれば簡単に元いた場所へ帰せない人間を呼び出してしまったとあっては、アレックスとしては色々と都合が悪いのだろう。


 学長はそんなアレックスの心中を見抜いているのか、たしなめるような口調で言う。


「わたくしはレンの言うことを信じますよ。――もちろん、レンの身元はこちらでも改めて調べさせてもらいますが……いいかしら、レン?」

「え? ……はい。私は困りませんので……」


 そうだ。魔力を持たない、という証拠があるものの、レンが本当のことを言っている保障はどこにもない。どこかこの世界で食い詰めた人間が、事故を利用してこの人のよさそうな学長を食い物にしようとしているという可能性だってあるのだ。そのことに気づいたレンは内心で冷や汗をかく。この学長が鷹揚な性格でなければ、レンは異世界を楽しもうという気持ちになるどころか、今頃路頭に迷って困り果てていた可能性もあるわけだ。


 学長様様。この学長には足を向けて寝られないなとレンは内心でひとりごちる。そんなレンをアレックスはまだ疑いが多少にじんだ目を向けていたが、それでも今は罪悪感が勝っているらしくバツの悪そうな顔をしていた。


 レンは純然たる被害者であったが特に今のところ窮していないため、そんな顔を向けられてはなんだか居心地が悪い。レンは現状まったく深刻ではないのに、アレックスはそうではない。その、温度差にどうにも尻がむずむずしてしまう。


「どうやって……は、わかんないのか……。そうだ、なんで私を召喚したの?」


 そんな空気を振り払いたいばかりに、そして異世界に召喚されたとわかってからずっと抱いていた疑問を、いい機会だからと張本人であるアレックスにぶつけてみる。しかしアレックスはレンの質問にますます顔を渋くさせ、完全に目をそらしてしまう。どうやら、質問のチョイスを間違ったらしいと気づくも、時既に遅し。


 レンは「言いたくないならいいよ」と言おうとしたが、それより先に学長が口を開く。彼女は容赦がなかった。


「アレックス……レンは被害者です。となれば、説明責任はあなたにもあると思いますよ」

「……はい」


 アレックスは観念したのかヤケ気味に目を伏せたあと、恥ずかしそうな顔をしてレンと隣にいる学長を見た。思ったよりも真っ直ぐで力強い視線に、レンのほうが気後れしてしまう。


「か――」

「……か?」

「『カワイイ女の子が出てきますように』って……ふざけて魔法陣を書き換えて……たぶん、それで……」


 レンはまた「こういうときにどういう顔をすればいいのかわからない」、という事態に陥った。真面目にその身柄を望まれたわけではなく悪ふざけで、そして悪意があったわけではなく友人同士の冗談がエスカレートした結果なんだろう、ということはわかった。


 レンはここで怒ることもできた。いや、本来は怒ってしかるべきなのだろう。隣にいる学長は呆れ返ってあからさまなため息をついている。


 しかしレンは怒る気持ちにはなれなかった。たしかに「ふざけて」と聞いて複雑な気持ちになったのはたしかだ。けれどもこの目の前にいるアレックス少年に悪意があったわけではないということもまた、たしかなのである。


 ここでもしアレックスが開き直りを見せたり、見苦しい言い訳を展開させたらレンだって怒っただろう。けれども彼は罪悪感でいっぱいの顔をして、今ではうつむいてしまっている。そんなしおらしい態度を見せられただけで怒れない自分は、甘いのだという自覚はあった。けれどもたしかな怒りがまったくもって湧いてこないのも事実で。


 そもそもレンは先ほどまで「異世界を楽しむぞ!」という風に気持ちを切り替えていた。そう、完全に前向きに切り替えていた。だからアレックスには無理矢理に異世界へと連れてこられたことをあまり気にしていないと、素直にありのままの気持ちを伝えるべきだと思った。


 しょぼくれた大型犬のようなアレックスは、レンがそんな風に思考をめぐらせているあいだに、がばっと今度は腰を折って大きく頭を下げる。そんな唐突なアレックスの動きにレンは思わず肩を跳ねさせて、恥ずかしい気持ちに襲われる。


「――すいません。ごめんなさい。謝って済むことじゃないってのはわかっています。けどオレにできる範囲で責任は取ります」

「せ、責任を取るって……」

「元の世界に帰れないならオレが全部面倒見ます! いや、まあ、今はただの学生だからできることなんてたかが知れてますけど……」


 レンはアレックスのその言葉を受けて、彼は見た目に反してあまりチャラくないな、などと失礼なことを考える。


「……気にしないで」


 するりとレンの口からそんな言葉が出ていた。レンが「気にするな」と言ったところでアレックス少年は気にするだろう。けれども「気にしなくていい」という気持ちは今のレンの素直な言葉だった。


 顔を上げたアレックスは、目を丸くして背の高いレンを見上げる。その切れ長の瞳は初夏の青葉を思わせる鮮やかなグリーンだった。


「魔法のある異世界なんて、私からしたら一生かかってもお目にかかれない場所だったわけだし。……なんの因果か迷い込んじゃったけど。――うん、だから目いっぱい楽しむことに決めたんだ。こんな経験、元の世界じゃ逆立ちしたってできないだろうし、得したと思うことにする」

「得したって……アンタ」


 おどろいた顔で呆然としたようにそうつぶやくアレックスに、レンは彼を元気付けようと微笑みかける。その笑みがちゃんと作れていたのかはレンにはわからなかったが、この言葉が虚勢などではなく本心だと伝えるにはそれが一番だと思ったのだ。


「ヘンなヤツ……」


 アレックスのつぶやきはしっかりレンの耳にも届いたが、事実なので特に気分は害さなかった。

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