初体験のキャンプギア

「萌さん、なにか怒ってます?」


 運転中の滝本岳たきもとがく先輩――通称がっくんの言葉に、おもわず彼の横顔を見た。

 彼はまっすぐ前を向いていたが、こちらを気にしているのがわかる。


 そのようすに、なぜか胸のもやもやが増す。

 

「べつに。……ちょっと、つかれただけ!」


 感じのわるい返事をしてしまい、あわてて付け足す。


「着くまで、寝ていてもいいですよ」

「あー、うん。そうしようかな」


 ごめん、がっくん。

 実はまったく眠くない。


 そう思いながらも、目をつむる。

 なぜだか今は、がっくんと会話をする気になれなかった。


 目を閉じると、車のエンジン音や、鳥の声がよく聞こえる。

 あけた窓から入ってくる風が、ここちいい。

 車の揺れに身をまかせているうちに、いつのまにか本当に眠ってしまった。






「萌さん」


 とおくで名前をよばれる。

 まだ眠いな、と固まった首を、反対の方にたおす。


「ええ……かわいい……」


 手の甲に、誰かが触れる気配がした。

 あたたかい手が、やさしく、なでるように、二の腕まで上がっていく。


「萌さん、起きないと、たいへんなことになりますよ」


 耳元でささやかれ、ふわりと意識が浮上する。

 目をあけると、がっくんの顔が近くにあって、いっしゅん、状況がわからなかった。


「……がっくん?」

「おはようございます。キャンプ場に着きました」


 彼はいつもどおりにほほえんで、私から離れた。


 いまのは、夢?


 首をひねりながら、うながされるまま、車をおりた。

 




 

「今回は、フリーサイトを、2区画予約しました」

「フリーサイトって?」

「どこでも好きな場所にテントが立てられます」


 言われて、フリーサイトをみわたす。

 林のなかに、地面がむきだしになった平らな場所が、いくつか見える。

 起伏きふくがあるので、おおきな階段のようだ。

 

「上のほうが、見晴らしがよさそうだね」

「ええ。そのかわり、炊事棟すいじとうやトイレからは遠くなります」

「そっか。じゃあ、下のほうは?」

利便性りべんせいはあがりますが、人の行き来が多くなります」

「なるほど。がっくんは、どこがいいと思う?」

「そうですね……」


 がっくんが、サイトの入り口にある案内板にあゆみよる。

 しばらくながめてから、スッと人差し指をあげた。


「このあたりは、静かそうです」


 さしたのは、中段の、はしだった。

 水場は遠すぎず、近すぎない。

 はしの方なら、他人を気にせず、のんびりできそうだ。

 

「じゃあ、そこにしよう」

「何往復かしますが、だいじょうぶですか?」

「もちろん!」


 即答すると、がっくんが笑ったので、首をかしげた。


「萌さんが元気になって、よかったなって、思いました」


 いわれてみると、いまは楽しみな気持ちでいっぱいだ。

 すこし寝て、すっきりしたからかもしれない。


 そう結論づけて、車から荷物をおろすがっくんに駆け寄った。






 テントの設営せつえいが、無事に完了した。

 こんどはペグ打ちを忘れなかった。

 エアマットや寝袋をテントにくと、ベテランキャンパーになった気分だ。


 エアマットをふくらますのに手こずって、結局がっくんに手伝ってもらったけど。

 足で踏むだけなのに、コツがあるみたいだ。

 

 明るいうちに、調理にとりかかる。

 フリーサイトにはU字溝ゆーじこうがないので、がっくんが持ってきたバーベキューコンロを使うことにした。


「では、炭火を起こしましょう。着火剤・新聞や枯れ木・ガスバーナーなど、いろいろな方法があります」

「ガスバーナーを使ってみたいです!」

「わかりました」


 がっくんから、白い小箱とガス缶を渡される。


「あけてみてください」


 箱をあけると、金具のようなものがでてきた。


「ガスカートリッジのゴトクです」

「すごく、ちいさい」

「それ、じつは登山用品なので、ちいさくなるように作ってあるんです。その4本の爪を、ひろげてください」

「できた」

「ガスカートリッジのフタをとって、まわしこめば、準備完了です」


 いわれたとおりにやってみる。


「このつまみは、ガス調節ちょうせつレバーです。左にまわせばガスが出るので、そのあとに黒いボタンを押せば点火てんかします」


 つまみを右にまわすと、ガスが噴出ふんしゅつする音がした。


「シューッていってる!」


 音にビビりながら、点火ボタンを押す。


「あれ、つかない」

「もうすこしつまみを回して、ガスの量を増やしてください」

「もっと!?」

「音が派手なだけです。そもそも、野外なので安全ですよ」


 覚悟かくごを決めて、つまみを回す。

 片目をつぶりながら、点火ボタンを押した。


「ついた!」

「おめでとうございます」

「はあ、緊張きんちょうした」

「次からは、俺がつけましょうか?」


 がっくんが、火おこし鍋に炭を入れながら、聞いてくる。

 もうはありがたかったが、断腸だんちょうの思いでことわる。


「甘やかさないで」

「どうしてですか?」


 がっくんが、本気で不思議そうに聞いてくる。

 どうしてって、決まっているじゃないか。

 

「だって私、達人たつじんソロキャンパーをめざしているんだよ? がっくんがいないとキャンプができなくなったら、どうするの?」


 がっくんは、ぱちくりとまたたいた。


「……もえさん」

「なに?」

「俺が全部やるので、心配しないでください」

「話きいてた!?」


 がっくんが、真剣な表情でうなずく。


「いいですか、萌さん。あせらずに、すこしずつ慣れていくほうが、結果的には近道という場合があります」

「そうなの?」

「はい。今日は、アウトドアチェアを組みたてたら、終わりにしましょう。新しいチェアに座って飲むビールは、きっとおいしいですよ」

「でも、今日は調理器具の使いかたを教えてくれるって」


 言ったよね?

 そんな思いをこめ、がっくんを見ると、彼はさわやかに笑った。


「飲みながら、俺がやるのをながめていればいいじゃないですか」

「ええ!? でも、それって」

「俺が炭火をおこすのと、萌さんがアウトドアチェアを組みたてるの、どっちが早いか競争しましょう! よーいどん!」

「あ、まって! ずるい!」


 すでに火おこし鍋はバーナーの上にあったため、結果はがっくんの大勝だった。




 いろいろと流された気がするが、自分で組みたてたチェアに座って飲むビールは、さいこうだった。

 がっくんが、食材を焼いて、私の皿に入れてくれる。


 前もこんなだったな、と思いながらも、牛タンをかみしめる。

 ビールが進む!


 スキレットで焼いた、ホイル焼きハンバーグチェダーチーズのせは、ハンバーグ専門店がひらけそうなほどおいしかった。


 ラム焼肉用はタレ漬けだったので、完成された味だった。

 鶏せせりに、がっくんが岩塩を振ってくれて、その塩梅が絶妙で最高だった。

 

「時間があれば、スペアリブを前日から漬け込めたんですけど」

 

 焼けた豚バラを私の皿に入れながら、がっくんが悔しそうに言った。

 

「そんなにおいしいの?」

「ぜったいビールに合うと思います。次回のときに、持っていきますね」

「やったあ!」


 3本目に、気になっていた高アルコールビールを飲むことにした。

 クーラーボックスから、高アルコールビールを取り出すと、となりのジンジャーエールが目に入った。

 そこでようやく、がっくんのお酒をつくるという約束を思い出した。


 見た目も大事だからと、一緒にプラのクリアカップまで買ったくせに、忘れるとはなにごとだ。

 自分にあきれながら、ジンジャーエールを手にとった。


「がっくんの、シャンディガフを作ります」


 胸をそらせて宣言すると、がっくんがふきだした。


「おぼえていたんですね」

「も、もちろん!」


 がっくんの笑い声を聞きながら、シャンディガフにとりかかる。


「ジンジャーエールを入れて、同量のビールをしずかにそそぐ。完成!」

「ありがとうございます」

「こちらこそ! がっくんのおかげで、いいアウトドア用品が買えたよ。達人ソロキャンパーに、一歩近づいた気がする!」

「やっぱりソロにこだわっている……」

「え?」

「あ! せっかくなので、萌さんのお酒も注ぎますよ」

「そう? じゃあおねがいしようかな」


 クリアカップをもうひとつ出して、高アルコールビールを注いでもらう。


『かんぱい!』


 プラスチックとはいえ、コップに注いで飲むビールはおいしかった。

 半分ぐらい飲むと、すぐにがっくんがしてくれる。

 

 それを見ていると、そんなにもくしてくれるのにちない、と忘れたはずの疑問がわいてきた。


「今日会った営業部の女性だけど」

知沙ちささんですか?」

「それ」

「はい?」

「なんで名前呼びなんですか?」

「同期は全員、名前呼びで定着ていちゃくしているからです」

「ふーん」


 高アルコールビールは、ふつうのビールよりも、舌に苦かった。


「萌さん?」

「もうひとつ、聞きたいことがあります」


 がっくんをまっすぐ見つめる。

 彼は澄んだ瞳で、私を見返した。


「なんでしょうか」

「がっくんの二の腕は、あの人のものなんですか?」

「…………はい?」


 肯定こうてい否定ひていか、判断がつかない返答に、じれた私は立ちあがる。


「あの人のものなんですか!?」

「まって、なに、え? にのうで?」

「このいい筋肉がついた二の腕の話だってば!」


 じゃまなコップをテーブルにたたきつけて、がっくんの二の腕をわしづかみにする。

 ほんとうにいい筋肉がついてるな!?


「ちょ、あぶない! 萌さん!?」


 シャンディガフがこぼれそうになり、彼はあわててコップをテーブルに避難させた。


「ちかい……! というか、まないでください!」

「あのひとはいいのに、なんで私はダメなの!?」


 言わないでおこうと決めたはずの言葉が、するりと口からとびだした。

 子供じみたわがままに、がっくんがポカンとしている。


 そして、しばらく考えこんだかと思うと、おもむろに切りだした。


「知沙さんは、誰に対してもああいう感じなので」

「んん?」


 異議いぎあり。

 営業職らしく、相手によって、態度を使いわけられる器用な人だと思う。

 しかし、どう伝えても悪口のようになってしまうので、黙ったままでいた。


「それに、萌さんから言われるまで、知沙さんに会ったことすら忘れてました」

「え!?」

「このキャンプが楽しみすぎて、というか、いまもめちゃくちゃ楽しいんですけど、正直ほかのことなんか、どうだっていいです」


 そう言い切ったがっくんが、シャンディガフをあおる。

 アルコール度数は2.5%だけど、がっくんのお酒の弱さをしっているから、ハラハラしてしまう。


「俺が、さわるなと言った理由ですが」


 そして、強い瞳で、私を射抜いぬいた。 


「萌さんにさわられると、俺も萌さんにさわりたくなるからです」


 こんどは、私がポカンとする番だった。


「さわったら、さわりかえすって、いったよね?」

「え!?」


 止める間もなく、がっくんが私の二の腕をつかんだ。

 

「ま、まって」

「またない」

「いや、でも、そういう意味だとは」

「どういういみだと、おもったの? ……おしえてよ」


 ささやかれ、パニックになった私は、テーブルのビールを一気飲みする。

 そして気付く。


「こっちがシャンディガフだ!?」


 つまり、がっくんが飲んだ方が高アルコールビールだ。

 がっくんの顔をのぞきこむと、彼の目はとろりととけていた。


「……ねむい」

「だろうね!?」


 いったん彼をチェアにすわらせ、自分のテントから寝袋を持ってくる。

 エアマットは無理でも、せめて寝袋ぐらいはためしてみたい。


「がっくん、テントいこう」

「うん……」


 彼をテントに押しこみ、ころがす。

 すぐに規則ただしい寝息が聞こえてきて、肩の力をぬいた。


 いろいろなことが一気に起きて、正直キャパオーバーだ。

 よくわからないこともあったが、ようするに。


「男性特有の、いろいろな事情があるから、むやみやたらにさわるなってことだよね?」


 女性ならつつしみをもて、と説教せっきょうをされたんだと思う。


「ほんとうに面倒見がいいな、この人」


 それはずっと思っていたことだけど、改めてそうおもう。


「明日おきたら、あやまろう」


 そう決めてしまえば、心はかるくなった。


「よし。じゃあ寝袋をひろげてみよう」


 ジッパーを全開放すると、おとなふたりは、寝られそうな大きさになった。

 ためしに、がっくんに掛けてみる。

 ぐっすりと寝入る彼の横顔は、やはり幼く見えて、かわいかった。


「成人男性のくせに、私や知沙さんより、ぶっちぎりでかわいいな」


 寝ている彼に、話しかける。


「今日はありがとう。遠くない未来に、ソロキャンプできそうだよ。まだまだ、買わなきゃいけないものはありそうだけど」


――せっかくなら、ながめていて楽しい方がいいじゃないですか。


 迷っていた私にかけられた、彼の言葉がよみがえる。


「いちばんながめていて楽しいのは、がっくんかも」


 ちいさく笑い、がっくんをながめる。

 もっと近くで見たくて、となりに寝転んだ。


「このかわいい寝顔ねがお、あと何回、見られるのかな」


 寝るのがもったいないと思ったけど、アルコールがふわふわとした眠気をつれてくる。


――俺が全部やるので、心配しないでください。


 うとうととまどろみながら、思い出す彼は、まるで私の願望がんぼう見透みすかしたみたいに笑っていた。

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