第1話 北の集落(3)

 大型の森狼が十数匹で広場の群衆を包囲していた。森狼は阿鼻叫喚で逃げ惑う住民を一人一人、確実に仕留めており、ルッチが倒された頃には、広場に立っている人間はほんのひと握りになっていた。


 柘榴色の結晶核の出現に呆気を取られていると、突如、ヴォルフが呻き、右目の眼帯を押さえて倒れ込んだ。


「親父!」


 ディーターが駆け寄る。ヴォルフを起こして顔を見ると、石化が眼帯の三倍程の大きさまで広がっていた。その顔は脂汗が湧き出ており、息も荒く、苦痛に歪んでいる。絞り出すようにヴォルフは話し始めた。


「無理矢理、魔力を使ったから、だろうな。ディーター、死ぬ前に、お前に、どうしても、言っておきたい、ことがある」


 ヴォルフを支える手が震える。止めようとしても止まらない。


「俺は、お前の本当の、父ではない。だが、ずっと、本当の息子のように、思っていた。母さんは、本当の、母さんだがな」

「そんなことどうでもいい!」


 本当にどうでもよかった。ディーターの父はヴォルフでしかなかったのだ。そんなことよりも、無念に思うこと、未練に思うこと、いくらでもあったであろうに。それと同時に最後まで親父らしい不器用さだと思って、泣きそうなのに微笑ましく思ってしまった。


「もう終わりだ。母さんとソニアを……」


 言い終わる前に石化が急速に回り、ヴォルフは石像になった。ディーターの涙がヴォルフの頬に落ちると、石像は砂になって手の平からこぼれていった。


 同時に、柘榴色の結晶核が怪しく輝き出していた。黒い靄が現れ、人型を形成する。靄は次第に晴れていき、森狼のルッチの姿となった。ゆっくりと歩みを進め、十数匹の大型の森狼とともに、ディーターを取り囲む。広場の人間はもう、ディーターただ一人だった。


『神の慈悲を』


 ルッチがディーターに手を差し向けると、森狼達が牙を剥き出しにして唸り、体勢を低くした。

 ヴォルフにもらった命をここで失う訳にはいかない。眼前を見据え、ディーターが奮い立つと、心臓が高鳴り、右腕に熱くたぎる感覚があった。

 すると、右腕が陽炎のように揺らめき、青い炎に包まれた。激しく燃え上がっているが、火傷のような痛みはない。炎は徐々に収束し、右腕には目の醒めるような青さの空色のガントレットが出現した。淡く滲むような光の残渣があり、大きな力を感じる。


 森狼の一匹がディーターに向かって飛びかかった。ディーターは右の拳を握りしめて体を落とし、森狼の下顎を思い切り突き上げる。森狼は仰向けに転がると全身が青い炎に包まれ、いとも簡単に消滅した。先程のルッチ同様、柘榴色の結晶核が残ったため、ディーターはこの核に攻撃を試みることにした。拳を振り抜くと、わずかな抵抗感はあったが、硝子のようにひびが入り、それが全体に回って砕け散った。


 その後、ディーターの頭は驚くほど冷静に冴え渡っていた。手足を動かすべき道筋が光の流線で描かれているように思えた。向かってくる全ての森狼を拳で撃ち抜き、出てきた結晶核を粉砕する。それを繰り返し、森狼は全滅した。

 最後に襲いかかってきたルッチの爪を三度かわして二度いなし、胸の中心を拳で貫くと、結晶核を砕く感覚があった。胴体が消し飛び、苦悶に満ちた森狼の頭が宙を舞った。


『よもや我々に干渉し得るとは。……異端の使徒よ、また相まみえようぞ』


 森狼の頭は光の粒子となって消滅した。緊張の糸が緩んでディーターはへたり込んだ。右腕を見る。まだ、じんわりと熱いが、空色のガントレットは消えていた。

 あれは何だったのか。生来、魔力を持っていないから少なくともフォースではない。しかし、どこかで感じたことのあるような、そんな力だった。喉の奥に刺さった小骨のような引っ掛かりを感じながら、ディーターは広場の惨状を呆然と見つめていた。後ろから、ふいに声がした。


「兄さん、全部見てたよ! 無事でよかった!」

「ソニア、無事だったか! それじゃ親父のことも?」

「……うん」


 ソニアは以前ヴォルフだった物、こんもりとした灰色の砂山を見つめていた。ソニアは母のソフィアとよく似た整った顔立ちであった。髪も母と同じふわりとした長い金髪で、瞳の色だけは父親譲りのヘーゼルだった。その顔は砂埃で薄汚れていた。


「兄さん、ちょっとこっちに来て」

「ああ」


 ソニアの表情は暗く、ディーターは嫌な予感がしていた。予感は当たっていた。そこにあったのは母、ソフィアの亡骸だった。顔に傷はなく、綺麗なものだった。


「兄さん。私、母さんを魔石にしたい。手伝って欲しい」

「分かった」


 死者を弔う方法として、この国では火葬、土葬などいくつかあるが、最も一般的なのは、魔石葬である。死者を中心に錬成陣を描いて魔石化させ、家の神棚に安置したり、遺族が肌身離さず持ったりする。


 ソニアはディーターと違って、魔力量は豊富だった。母から日々、錬金術の手解きを受けており、魔石の錬成も何度か行ったことがあったため、錬成陣作成は順調に行われた。

 魔石粒で円陣を描いて、その中にペンタグラム。そして、魔石錬成陣特有の細かな装飾を施し、ペンタグラムの頂点には親石となる魔石を置いた。


「じゃあ、始めるね」


 五個の親石に火の魔力、水の魔力、木の魔力、金の魔力、土の魔力をそれぞれ流し込む。すると、錬成陣が輝き出し、色とりどりの光の奔流がソフィアを包み込んだ。光は凝縮していき、やがて小石大の魔石となった。それをソニアは拾い上げる。


「こんなに小さくなっちゃったね」


 手の平にちょんと乗った藍色の魔石、今にも泣きそうな顔のソニアを見て、ディーターは母の死を現実として受け入れたのだった。

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