第百参拾陸章 選択したのは

「ゲルダよ」


 場は暫し沈黙に包まれたが、それを破ったのは信長であった。

 カイゼントーヤ王国と商業都市コメルシアンテ、経済と流通を担う二大都市を同時に蝕む竹槍衆の謀略はゲルダの悩みどころであった。

 カイゼントーヤ王国を優先すればコメルシアンテの自治を指導する評議会が崩壊し、コメルシアンテを救いに行けばカイゼントーヤ王国を襲う海賊の増強に歯止めがかからなくなる。

 双方ともに経済の重要地点であるので陥落は世界的な経済悪化を引き起こしかねない危険があったのだ。

 ゲルダの体は一つ、同時の救済は不可能である。

 どちらに向かうべきか迷うゲルダにイルゼとイシルも無責任な案を出せるはずもなく、長らく静寂が続いていたのだ。


「信長公、なんぞ思案がお有りか?」


「うむ、一つ苦言を呈す」


「苦言…でござるか?」


 苦言と云いつつ信長の顔は笑っている。

 どうやら天魔宗の寺院に来てまで悩むなと云いたい訳では無さそうだ。


「ゲルダよ。そなた、水臭いぞ。今は共に軍鬼や新生七本槍と戦う仲間ではないか。何故、我らにどちらかを任せようと考えぬのだ」


「拙者がここを訪ねたのは、竹槍仙十こと上忍六人衆と拙者の関わりを探る為でござる。それに竹槍仙十は十大弟子の一角、ましてや豊臣秀吉公の分身、戦う事になりまするが」


 信長の過去語りにより、信長が秀吉を愛していることは明言されていた。

 その信長が分身とはいえ上忍六人衆と戦えるのかという疑念があった。


「見縊るな。惚れて惚れられる仲だからこそ我は仙を止めねばならぬと思え。むしろ六人衆と戦う事こそが悪意に苦しむ仙を救う道であると心得たのだ」


 自らの魂を消滅させてまで復活を望まなかった秀吉の覚悟を踏み躙るように軍鬼は七つに断たれた魂に悪意を植え付ける事で生への執着を起こし転生させるという暴挙に出た。

 伴天連のいう七つの大罪にちなんだ悪意を焼き付けられた秀吉の魂は七人の分身となってゲルダと上忍六人衆に別れて争う事になる。

 分身同士が戦う事で強くなり、やがて魂が一つに戻った時、秀吉は生前を遙かに上回る力と知恵を手に入れ、異世界で王となるべく君臨するという非情の策だ。

 信長は天魔宗・宗主として上忍六人衆との戦いに介入する事で軍鬼の陰謀を砕き、新生七本槍の野望を挫くのだと覚悟を定めたのである。

 勿論、それは新生七本槍の一人、前田利家の前でゲルダが示した覚悟に応えたものであった。


「ゲルダよ、そなたは迷う必要などないぞ」


 信長は静かに言いながら、ゲルダの目をまっすぐに見据えた。


「そなたの力はカイゼントーヤに必要だ。海賊と上忍『嫉妬』を鎮めるのは、そなたでなければ成し得ぬ。海こそ“水”を司る『亀』の聖女たるそなたの独壇場ではないか。行ってやるが良い」


「しかし…信長公、コメルシアンテが崩壊すれば世界の経済全体が……」


ゲルダが反論を試みるも、信長は手を軽く振って遮る。


「コメルシアンテには天魔宗もツテがある。十大弟子の一人を遣わそう。それだけで上忍『憤怒』への牽制になる。あの者・・・が一喝すれば怒りに囚われた者も頭を冷やすに違いない」


「ほう、それは頼もしきかな。その十大弟子とはどのような仁でござる」


 すると信長は不敵に笑ったではないか。

 対竹槍仙十として送り込むというのであるから余程信用できる人物なのであろう。


「もったいつけても意味が無いので教えて進ぜよう。その者の名は柴田勝家、かつて織田家中を二分して仙と争う事になったが、逆を云えば実力、人格、共に羽柴秀吉に匹敵する人物といえよう。決して『憤怒』に見劣りするものではない」


「おお、賤ヶ岳の戦いで秀吉公と一進一退の攻防を繰り広げたという柴田勝家公でござるか。あの戦いで落命されたと思っておりましたが、生きて十大弟子の一人になっているという事は…?」


 ゲルダの言葉に信長は首肯して見せた。


「うむ、新生七本槍に対抗すべく地獄より蘇らせた。流石に若い娘を犠牲にできなかったのでな。軍鬼とは違う方法を取ったがな。まだ地母神に返り咲く前のクシモ殿、つまりは淫魔王殿と手を結び、我がはらで産み直した。処女懐胎ゆえに我と瓜二つとなってしまったが、勝家は受け入れてくれたわ」


 余談であるが柴田勝家も鏡に映る自分の顔に妻・市の面影を見て驚いたという。

 その後は老いると交互に産み直すようになったそうである。

 全ては新生七本槍と刑部軍鬼の野望を打ち砕く為だ。


「何とも複雑な主従でござるな。して、勝家公はいずこに?」


「用があって留守にしておる。紹介してやれぬのは残念であるが、いずれはまみえる事ができよう。その為にゲルダよ。そなたはカイゼントーヤ王国の海賊と上忍『嫉妬』の件を解決するのだ」


「御意。コメルシアンテに信長公と勝家公が睨みを利かせてくれるのあれば憂い無くカイゼントーヤへ向かう事ができ申す。それならば全力を尽くせましょう」


「良し、イシルとイルゼも同行してゲルダを助けよ。上忍共は上忍共でゲルダを殺して魂を奪おうと考えているはずだ。官兵衛の奴めはゲルダを素体に選んだが上忍からすれば“我こそが”という想いがあろう」


「「はい!」」


 イシルとイルゼは同時に答えたものだ。

 敬愛する天魔大僧正の指令であるが、二人とも、ゲルダをむざむざ死なせたくはないというのが共通した思いであるからだ。


「カイゼントーヤと云えばゲルダ?」


「ん? 如何した?」


「確かカンツラー君はスエズンで尾張柳生に襲われてからカイゼントーヤに逃げ込んでいたわよね? あれからどうしたか連絡はあったの?」


 ゲルダの愛息カンツラーは、聖都スチューデリアとカイゼントーヤ王国の国境を兼ねた運河に建造された街スエズンにて柳生今連也いまれんやの襲撃を受けていた。

 カンツラーは秘剣『野分のわき』にて迎撃を試みたが、なんと今連也も『野分』を放ってきた事で痛み分けに終わったというではないか。

 秘剣『野分』はガイラント帝国で転生武芸者・九尾つづらお戦で初披露した秘中の秘であったが、その場にいなかったにも拘わらず、今連也は見聞役からの報告のみで再現してみせたのだ。

 重傷を負いながらも運河の渡し船に跳び乗ってカイゼントーヤ王国へ逃亡する事に成功するものの殿軍しんがりとして尾張柳生の追跡を防いでいた地狐ちこが囚われの身となってしまう。

 七日の内に再戦に応じなければ地狐を凌辱した上、死体を晒すという卑劣な脅迫を地狐の兄・天狐によって知らされたゲルダは地狐の救出に向かう。

 息子は独立しているものとして救援はあくまで地狐の為というところがゲルダらしいが、聖都スチューデリアでゲルダはグレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラス公爵の復讐を中心とした様々な事件に巻き込まれる事となったのである。


 閑話休題それはさておき

 ゲルダから刀傷に良く効く膏薬を托された天狐はカンツラーと合流する。

 カンツラーは尾張柳生の監視を揶揄いながら治療に専念していたという。

 地狐が戻り次第、旅を再開しようと考えるも、やはり尾張柳生と決着をつけねばなるまいという思いもあった。

 折角の新婚旅行、監視や追跡も鬱陶しいが、また襲撃されては堪らない。

 そこでカンツラーは一計を案じて古くからカイゼントーヤ近海に存在している海賊と交渉し、なんと海賊船で旅をしているというではないか。

 一口に海賊といっても色々あるようで、カンツラーが身を寄せているオーベンドルフ水軍は主なシノギとして縄張りを通る商船から通行料を取っていた。

 だが海軍に払う護衛料と比べれば格安であるし、海賊との戦闘後も砲弾や火薬の代金をせびるようなセコいマネはしない。

 カンツラーはオーベンドルフ水軍にガイラント帝国で活動する為の拠点と縄張りを提供する代わりに海の足・・・としたのである。

 この剛胆さこそゲルダの息子として面目躍如といえよう。

 オーベンドルフ水軍の首領クルスはカンツラーの度胸も然る事ながら、ゲルダ仕込みの武術にすっかり気に入ったようで“娘を側室に”とも云っているらしい。


「カンツラー君って新婚旅行の最中よね? 空気読めないのかしら?」


 クルスの申し出を聞いてイルゼは頭を押さえる仕草をした。

 しかしゲルダといえば笑っているではないか。


「これまで嫁の来手がなかったのじゃ。側室まで来てくれるのなら願ったり叶ったりよ。天狐の手紙によるとクルス殿の娘御と九尾は仲良くしておるようじゃ。気の早い事に、“一緒にカンツの子供を産もう”とねやに連れ込もうとしてカンツに窘められておったとよ」


「な、仲が悪いよりは良いのかしら」


呵々かか! それにしても海賊を手懐けるとはカンツもやりおるわえ。必要とあらば荒くれ・・・とも手を組む大胆さ、ワシとゼルさん、どちらの遺伝であるかのぅ」


 現在はガイラント帝国の皇帝ではあるが、スラム街出身で今でも私設の傭兵団を多数召し抱えて戦場を支配している内縁の夫ゼルドナル。

 だが人脈ならばゲルダも負けてはおらず、アンネリーゼの縁から各国の暗黒街とは知己を得ているし、ベアトリクスの伝手から世界中の港湾都市と繋がっている。

 盗賊ギルドの首領とも杯をかわしており、勢力の巨大さでいえば慈母豊穣会も忘れてはならないであろう。

 先の聖都での戦いでは竹槍衆に匹敵する闇の組織『錫杖』のおシン一味とも正式に交流を結び、今この瞬間では天魔宗と同盟に近い結び付き得た。

 およそ聖女とは思えぬ交友の広がりではないか。


「明らかにアンタの影響よ。良くも悪くもね」


「そう褒めるでない! 呵々呵々!」


「褒めてないって」


 呵々大笑するゲルダにイルゼは力無く突っ込むのであった。

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