第百参拾壱章 討つべきは
「これが
秀吉に纏わる過去を語り終えた信長は深く溜め息をついた後、すっかり温くなった茶を一気に飲み干したものだ。
ゲルダはちゃっかり自分で点て直した熱い茶を喫して答えた。
「ふむ、なかなか興味深い話でしたな。これで拙者の覚悟が定まり申した」
「覚悟とな?」
「竹槍仙十こと上忍六人衆…残る五人との戦いは避けられそうにないと悟り申した。たとえ拙者が戦いから逃げようと、或いは和解を模索しようと無駄であると知れただけ助かりましたぞ。これで今後の方針を定める事ができましょう」
戦いから逃れられないと云い切ったゲルダにイシルは首を傾げる。
凄腕の隠密集団が相手であるのだから逃げも隠れもできない事は分かるが、和解の道すら無いとも云った意図が分からなかったからだ。
「何故なんだい? 選択肢に無い事を承知で訊くけど、君が竹槍衆に同心して共に天下取りに勤しむとすれば殺し合いにはならないんじゃないのかい?」
するとゲルダは弛緩した顔になってイシルを見たではないか。
イシルは“何を申しておるのだ、こやつは”という態度に思わずたじろいだ。
「な、何だい、その
「あのな、イシルや。イシル殿よ。ワシを除外した竹槍仙十は六人とも再び一人に、豊臣秀吉公となる事を望んでおる…それは分かるな?」
噛んで含めるような物云いにかちんと来るものがあったが首肯する。
ゲルダが『傲慢』の悪意を持つ分身であると承知している事もあるが、子供のように感情のまま反論しても話が進まないと心得ているのだ。
「更には先の事件で竹槍衆は聖都スチューデリアの権威を失墜させ、あわよくばカイゼントーヤ王国と戦争を起こそうと画策しておった。その理由はこの世界の平和を乱して戦乱の時代を作り出そうとしていた訳じゃ。そこまでは良いな?」
「そうだね。平和な世界で国盗りをするより群雄割拠の暗黒時代で覇を唱える方が都合が良かったからというのも、さっきの話にあったね」
聖都スチューデリアが標的にされたのは世界でも最大級の規模を誇る星神教の宗主国でもあったからだ。
星神教はかつて他の宗教を見下し土地を奪っては他教徒を惨殺してきた暗黒の歴史もあり、太陽神の天罰を受けて尚、一部から憎悪の対象ともなっていた。
その星神教の威厳が踏み躙られ弱体化したならば怨みに思う者達は“ここぞ”とばかりに復讐に走るであろう。
特に崇拝する地母神を淫魔に貶められた慈母豊穣会の怒りは凄まじく、下手を打てば宗教戦争にも発展していたかも知れなかったのだ。
ただ慈母豊穣会を現在の規模にまで復興させた近代祖・教皇ミーケこと三池月弥により竹槍衆の目論見は看破されていた為、教皇自ら火消しに動いた事で宗教戦争という最悪なシナリオは回避されたばかりか、聖都スチューデリアの復興までも支援を表明する事で月弥は男を上げている。
結果、スチューデリアは国家として解体こそされなかったものの地母神クシモの手に返されて、慈母豊穣会の禁教も解除されたのである。
こうして月弥は聖帝の裏から聖都全体へと睨みを利かせる陰の支配者となったという訳だ。
「では、この世界で天下を取る。世界を征服する意思は竹槍仙十のものか? ワシは違うと思う。何故なら豊臣秀吉公の悲願は同胞たる忍び達が人らしく暮らす事ができる楽園を創造する事にあった。その暮らしとて大名となって人を支配するだの贅を凝らした生活がしたいだのといった欲得にまみれたものではない。惚れた相手と伴侶となり、子を生み、育て、隣人と手を取り合って生きていく。そんなささやかな願いであったはずだ。否、今でもそうでなければならぬ。そうではないか?」
「では秀吉公の分身を使って天下を取り、最終的には一人に戻った秀吉公を王としながら自分が宰相となって世界を支配しようとしている軍鬼こそ敵というのね? アンタが上忍六人衆との戦いは避けられないというのなら軍鬼を斃すか捕らえるかすれば良い話だと思うけど」
イルゼも加わってゲルダに反論をした。
ゲルダとは元々聖女同士で仲間意識はあったが、先の聖都での戦いで決して切れる事のない絆がお互いに結ばれたと信じている。
その友を救う為なら同じ十大弟子の一人である軍鬼を討つ事もためらわない覚悟がイルゼの中で確固としてあった。
「軍鬼をどうこうしたところでどうにもならぬ。たとえヤツを討ったとしても我が身に根付いた悪意が滅びる事はあるまいて」
まさか生きる事を諦めてしまったのか?
ゲルダを見つめていると、不意に瓶底眼鏡を外して蒼銀の瞳を露わにした。
普段は雷神ヴェーク=ヴァールハイトに強大過ぎる力を封印されているゲルダは瞳が金色となっているが、封印を解けば本来の蒼銀へと戻る。
その美しさと力強さを兼ね備えた瞳にイルゼとイシルは息を呑み、また魅了されたかのように目が離せなくなった。
違う。ゲルダは決して諦めていなかった。
その時、漸くゲルダが真の敵を既に見極めていると悟ったのである。
「天魔宗の真の支配者は天魔大僧正こと織田信長公でも
ゲルダの見据える先では茶々を犠牲にして再誕した織田三郎信長が静かに目を閉じていた。
「見事。見事な
真実を語った信長はゲルダに天魔衆の真の支配者が誰であるか、そこまで見抜かれてしまうであろう予感があった。
だが全く沈考する様子も無く、瞬時に悟る頭脳を恐れる事はない。
まさにゲルダこそ愛する仙の生まれ変わりであると確信を得た悦びの方が大きかったのである。
「ば、莫迦な! 大僧正様でないのなら誰が天魔宗を支配していると云うんだい?」
堪らずイシルが叫ぶ。
信じられないのはイルゼも同様であった。
つまり天魔宗の事実上の教祖が天魔大僧正の他にいるという事ではないか。
それでは自分達は何の為に戦ってきたのか分からない。
足元が崩れるような心細さと恐怖が二人を支配していた。
「天魔宗の真の教祖、否、真の支配者は新生七本槍以外におるまい。天下を望んでおられぬ秀吉公の天下を望み、悪意に苦しむ六人衆を
世界が戦国の世となれば犠牲となるのは間違いなく力の弱い民百姓であり、その惨さは聖都スチューデリアでもまざまざと見せつけられたものだ。
民は餓え、餓えから他者の物を奪い、女子供は売り飛ばされる。
世界中でこういった光景が見られる事になるだろう。
しかし新生七本槍はそれを当然の事のように受け流し、その餓えた民から搾取してためらわず、更には平然と戦場へ送り出すに違いない。
全ては最愛の友を天下人にする為なので良心の呵責など皆無であろう。
邪念も悪意も無く国盗りを実行するまさに悪魔の七人である。
「特に前田利家公よ。信長公の話を聞く限りでは邪念無く秀吉公の
「流石よ。そこまで又左を見抜いておったか。まさに今のあやつは邪念無き悪魔である。そして、それは又左に限った話ではない。成政、幸村、秀康、半兵衛、官兵衛、そして三成、新生七本槍は仙を世界の王にする為ならば手段を選ばぬ。いや、邪魔であれば我と軍鬼すら迷わず殺すであろう。今は役に立っておるから生かされているに過ぎぬのだ」
「そ、そんな…」
イルゼ達はそれでも天魔大僧正への信頼は揺らいではいない。
むしろ新生七本槍の役に立つ事で十大弟子以下の信徒を守っていると理解しているからだ。
「お、お労しい…そ、それなのにボクは何も知らずに…お許し下さい!」
イシルは信長に抱きしめてただただ泣いた。
もし信長がいなければ天魔宗の信徒、そして財産は新生七本槍に我が物顔で私物化されて天下取りに使われていたであろう事が理解出来たからだ。
「許しを得るのは我の方だ。黙っていてすまなんだな」
「いいえ、いいえ…真に許せないのは七本槍です。大僧正様は私達を守って下さっておられただけ…何も悪くはありません」
イルゼもまた信長を許し、これまでの労苦を労った。
否、そもそも許す事など何も無かったのである。
「あっ! 我らを~許せぬので~あれば~! あっ! いかが~する~~~~っ!!」
「えっ? 誰?」
まるで歌舞伎役者のように通る女声が一同を驚かせた。
見れば虎皮の衣を纏った女丈夫が身の丈の倍はあろうかという槍を手にして獰猛に笑っているではないか。
「あっ! 問われて名乗るも~おこがまし~いが~! あっ! 我こそは~新生七本槍が一人~! あっ! 加賀の~大納言っ! あっ! 前田~利家~で
その顔には赤い隈取りが施されており、両目を寄せて睨み付けている。
何故歌舞伎役者のような口振りなのかは知らないが、ゲルダら四人の脳裏には同じ言葉が浮かんでいたものだ。
(面倒なヤツが現れたな)
勿論、一々見得を切っている事も面倒臭いが、何よりゲルダがいる今、天魔衆の真に支配している新生七本槍が姿を見せた事が問題であった。
いや、今この場にゲルダがいると知っての登場である事は分かりきっている。
だが目的が分からない。よもやゲルダを殺して魂を奪うつもりではあるまいが。
「あっ! 貴公が~ゲルダで~ある~か~~っ?」
槍を片手に片脚で飛び跳ねながら近付いてくる。
しかもどこからともなく拍子木の音までする始末だ。
「いいえ、違います。新規の信徒です。この度縁がありましてイシル様の御紹介で天魔大僧正様との面談が叶いましてございます」
「む? そうであるか?」
「はい、ではお帰りはあちらで」
「うむ、邪魔したな~っ!!」
またも拍子木に合わせて片脚跳びで戻っていこうとする利家であったが途中で止まったではないか。
「って、騙されるかっ! 新規の信徒に信長公が真の姿を見せるはずがなかろう!」
「ちっ! 阿呆かと思ったのに騙されなんだか。面倒臭いのぅ」
「結構辛辣なんだね、キミ」
露骨に舌打ちをする聖女にイシルの頬は引き攣る。
仕方無く利家の相手をすると決めたゲルダは立ち上がった。
『傲慢』に加えて鈴笛終点の魂を取り込み『怠惰』の悪意を得た影響か、気怠げな態度を崩す事なく前田利家と対峙する。
本来のゲルダであれば『加賀百万石の祖』と呼ばれる前田利家を前にすれば礼を尽くしていたであろうが、死してなお愛妻まつを犠牲にして転生し、新生七本槍の一人として世を乱さんとしているとあっては敬意を抱く気にならないのだ。
「それでワシに何用じゃ? よもや秀吉公復活の為に魂を寄越せとは云うまい」
「ふふふ、それでこそ『傲慢』の分身よ。ワシを前にしてその不遜、気に入ったわ」
利家はゲルダの態度に気を悪くする様子も見せずにむしろ笑っている。
というより、普通に話せるのなら初めからそうしろと心の中で突っ込む。
或いは自分でも面倒臭かったのではあるまいか。
「何、秀吉殿が七人の分身となって幾百年、漸く二つの魂が一つとなったのだ。その実力が如何程であるか
いざ勝負――前田利家は槍を右手で保持しながら左手で扱く。
槍といっても異様に長いが利家はどうのように扱うつもりであろうか。
すると利家は槍を垂直に立てたかと思いきや左手を引いて倒してきたではないか。
ただ右手は固定して支点としており梃子の原理を利用して威力を上げている。
更に体ごと迫るのである。
「これぞ槍の又左衛門の槍よ!」
ゲルダは切っ先を見て狙いが自分ではないと見抜く。
事実、穂先は鉄製の茶釜に向かって振り下ろされており、なんと真っ二つにしてしまったのだ。
「見たか! ワシの槍の前では如何なる防御は無意味! そればかりか魔法さえも掻き消す威力よ! さあ遠慮はいらぬ! 存分にかかって参れ!」
「確かに兜で守りを固めたところで頭蓋は砕け、首の骨もへし折れよう。なるほど、これが信長公の母衣衆の槍かえ。恐るべきものよ」
ゲルダは愛刀『水都聖羅』を抜いて正眼に構える。
威力も間合いも段違いであるが前田利家の槍を剣で迎え撃つ気でいるらしい。
「信長公の前で赤母衣衆筆頭・前田利家と刃を交えるは武の誉れか」
こうしてゲルダと新生七本槍は激突するのであった。
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