第参拾㯃章 聖女の宿命、剣客の宿業

「うーむ…」


「どうしたの?」


「おお、エヴァか。いや、ちと困った事になってのぅ」


 夕食後、一人で唸っているゲルダにエヴァが問う。

 夜を待ち、マーキングした者達の元へ行くと云っていたはずだが動こうとせず思案投げ首のていでいるのだから疑問に思って当然だった。


「困った事ってどうしたの?」


「夜になれば拠点にて休むと思ったのだが、ヤツらてんでばらばらに散っておってのぅ。エルフの娘に至ってはいつの間にやらマーキングを外されておったわ」


「気付かれたのかしら?」


「ならば全員外れておろう。恐らくだがエルフの娘は魔力を遮断する領域におるのやも知れぬ。エルフの隠れ里など人間に気付かれぬよう里全体を結界で隠してしまうと云うでな」


 エルフは基本的に温厚であるが、その誇り高さから同族以外の接触を拒む者もおり、そこにエルフの里があっても認識する事ができない所謂いわゆる認識障害の魔法や結界で里そのものを隠蔽する事もあるという。


「あり得るわね。それでどうするの? もうしばらく様子を見て彼らが集まるのを待ってみる?」


 ゲルダは暫し瞑目した後、瓶底眼鏡を手に取りテーブルに翳した。

 すると眼鏡から淡い光が放たれテーブルに地図を映し出したではないか。

 聖帝のおわすスチューデリア城の城下町である。


「見よ。マーキングした男達の一人が城下町の酒場におる。こやつに地狐の監禁場所を訊いてみるのも手であるな。多勢の待つ拠点に乗り込むよりは良き機会やも知れぬわえ」


「そうね。人の目もあるし敵も無茶は出来ないでしょうしね」


 エヴァの同意も得られた事でゲルダは行動を開始する。

 幸いエヴァの実家がある高級住宅街から程近い所に酒場はあった。


「それはそうと天狐君は大丈夫かしら? 無事にカンツ君に治療薬を渡せたと良いけど…地狐ちゃんも心配だけどカンツ君も傷が浅い訳じゃないしね」


「柔な鍛え方はしとらんでな。九尾つづらおもいるし心配は無用じゃわえ」


 会えば猫可愛がりするゲルダであるがしっかりと親離れ、子離れはしている。

 況してや今は夫婦水入らずの旅の途次、姑の出る幕ではないと弁えていた。


「ワシらはワシらのすべき事をするまでじゃ」


「そうね…って云いたいところなんだけど一つ良い? 気を悪くしないで聞いて欲しいんだけどね」


「何だな? そんな前置きが必要な事を訊くつもりかえ? ワシとお主の仲じゃ。遠慮せず何でも訊け」


「そう? あのね…」


 僅かな逡巡の後、エヴァの艶かしく真っ赤に濡れる唇が動いた。


「何となくなんだけど…ゲルダ、アンタ、どことなく楽しそうじゃない?」


 なるほど、とゲルダは思った。

 愛息を傷つけられ、身内を虜にされている人間に訊きづらいのは無理も無い。

 だがエヴァがゲルダから楽しげな気配を感じ取ったのは間違いではなかった。


「カンツと引き分けた柳生やぎゅう今連也いまれんやはである」


「うん」


「ワシとカンツ、そして神夢想林崎流しんむそうはやしざきりゅう、今堀重之しげゆき殿の三人で編み出した秘剣『野分のわき』を我が物にしておったそうである。それも九尾戦で初披露した秘剣をだ」


「それだけで今連也の実力が知れるわね」


「それだけではない。今連也はその場にはいなかったはずだ。恐らくは検分役が見聞きしたものを伝聞しただけで再現したに違いない。畏るべき剣客よ」


 エヴァは戦慄した。

 ゲルダの口が耳まで裂けたかと幻視するほど口元が笑みを形作っていたからだ。


「柳生今連也…その名に恥じぬ天才剣士と早く剣を交えたいものよ。そして我ら三人が編み出した秘剣を我が手で破ってみたい。恐らくカンツが引き分けたのは今連也の『野分』が成熟しておらなんだからに違いないわえ。だが本家本元の『野分』を実際に目撃し体験・・した事で完成・・に近づいた事であろう」


「ゲルダ? アンタ、自分が何を云っているのか分かってる?」


「いけないか? ワシは剣客なのだよ。伝聞のみで秘剣を盗む強敵の出現に血が騒ぐ程度の事は見逃せい。そして盗まれた我らが秘剣を我が手で破ってみたいという野望が芽生えるのは当然の事ではないか」


 転生する事であらゆる病気や呪いを退ける聖女の宿命を背負わされたゲルダであるが、生まれ変わったとしても剣客としての宿業からもまた逃れる事が出来てはいなかったのである。


「安心せい。今は地狐の救出が最優先であると弁えておるわえ」


「そこは信用しているわ。けど…」


「けど、何だな?」


「ううん、何でも無い」


 エヴァは、いつかゲルダがいなくなってしまうのではないかと、いう不安が口から出そうになるのを何とか堪える事が出来た。

 云えば現実になってしまうような気がしたからだ。


「ところで酒場にいる男に行くのは良いけど、まだ今連也の一味って確証は無いんでしょう? どうするつもりなの?」


「なぁに、ちょっとした悪戯をするまでよ」


 ゲルダは子供のように笑ったものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る