第漆章 第一次嫁姑戦争・後編
騎士服に着替え、動きやすいライトアーマーを着たレーヴェが稽古用の刃引を手にしているのに対し、ゲルダは厚手のボタンが無い白い上着を合わせただけの物(後に道着と聞いた)に下はスカートとズボンの中間のような物(袴というらしい)を穿いて、竹で作られ皮革の袋を被せた剣を持っている。
袋竹刀と呼ぶ稽古用の剣は安全に打ち込み稽古が出来るように発明されたそうだ。
レーヴェは早くも袋竹刀の有用性に気付き、感嘆の声を洩らしている。
木剣や刃引による稽古は油断をすれば大怪我を負い、試合ともなれば命を落とす事故も少なくない。しかし、これなら怪我をする確率は格段に減り、寸止めが主流であった従来の稽古よりも思い切った打ち込みが出来るであろう。
先程、カイムも弟子となった証として袋竹刀を与えられており、大事そうに胸に抱いて母と師の試合を見詰めている。
「カイム、寄れ」
息子を呼び捨てにし、平然と呼び寄せるゲルダにレーヴェの頬が引き攣る。
「はい! ゲルダ先生!」
しかもカイムもカイムで元気良く返事をして子犬のように駆け寄るものだからレーヴェの全身が怒りに震える。
「預かっておれ」
ゲルダは瓶底眼鏡を外してカイムに手渡す。
野暮ったい眼鏡に隠された目が露わになると周囲から感嘆の声が上がった。
猛禽のように鋭すぎではあるが、金の瞳は神秘的であり、美しさは勿論あるが、小柄な少女に侵しがたい威厳を与えている。
そしてカイムもまた頬を赤く染めてゲルダの美貌を見詰めていた。
「しっかりせい。壊すでないぞ? 縁はミスリル、レンズは龍の瞳で拵えておるから、そう簡単には壊れはせんがな。万が一壊れたらお主の首ひとつでは購えぬぞ」
「は、はいっ!」
「母者から
「りょ、了解しました」
カイムが眼鏡を大切に抱いて下がると、両者は各々の得物を手に向き合う。
ゲルダが自然体で笑みさえ浮かべているのに対し、レーヴェは最早極まっていた。
「さあ、胸を貸してやる。存分に打ち込んで参れ」
「貴様ッ!!」
更に強者の余裕を見せて構えらしい構えを取らずに、そちらから来いと宣うゲルダにレーヴェの堪忍袋は緒が切れるどころか、爆発霧散した。
レーヴェは咆哮とも云える気合を発して突進し、右手突きを繰り出す。
唯でさえ刃引は一歩間違えば大怪我に繋がるが、その一撃は殺気に満ちており、寸止めをする気配は無い。しかも突き技である。刃が無くとも十分に人を刺殺可能な技を敢えて遣う当たりレーヴェの怒りの程が知れよう。
「はて、カイムはお主がバオム王国最強の騎士であると自慢しておったがな?」
レーヴェが必殺の意思を込めて放つ突きを見てゲルダは暢気に首を傾げている。
誰もがゲルダが田楽刺しになるものと固唾を呑んだが、風を斬る凄まじい音と鋭い打撃の音が続けて起こってレーヴェの手から刃引が落ちた。
なんと無造作な片手小手打ちがレーヴェの手首を打ったのである。
しかもレーヴェが肉薄している間合いから打ってなおゲルダの剣が打ち勝つという神速にして強烈な一撃だった。
「ぐうううううう……」
レーヴェの右手首は倍の太さにまで腫れあがり、痺れてまでいた。
「どうしたな? 早う剣を拾え。お主の剣はその程度のものか? バオム王国最強が聞いて呆れるわ」
「お、おのれ……」
右手は利かなくなったが、まだ左手が残っている。
レーヴェは刃引を拾い打ち掛かるが、今度は顔面を袋竹刀が容赦なく襲う。
左目の瞼が腫れて視界が狭まってしまうが、ゲルダに遠慮は無かった。
打ち掛かるたびに袋竹刀の一撃がレーヴェの体を打ち据えていく。
ゲルダは口では厳しく指導しておきながら、幇間稽古で半端にカイムを甘やかしているレーヴェに同じ師匠として腹を立てていたのである。
カイムの将来を思うのであれば、手加減など無用だ。
忖度など入る余地も無く叩きのめし、工夫に繋がる手掛かりを言葉の端々に散りばめてやるだけで良かろう。
その上で弟子が工夫を凝らして成長をした時に褒めてやれば良いのである。
「あぐぐぐぐぐ……」
とうとうレーヴェは全身の
「ワシの稽古は日々の反復と手加減要らずの荒稽古よ。カイム、ワシが怖くなったのなら弟子となる事を撤回するのだな。今ならば咎めはせぬ」
「いいえ!」
即答であった。
「今こそ確信しました。私の師はゲルダ先生をおいて他にいないと」
「皆の前で引っ込みがつかないだけならやめておけ」
「違います! 『水の都』で魔物に襲われて何も出来ずにいた私を救い、シュタム様に取り憑かれ暴走していた私を再び救って下さったゲルダ先生こそ私が師と仰ぐべき御方だと思いました。そしてバオム王国最強の騎士であり、側室である母上を打つお姿に理想の師と確信したのです。きっと貴方なら私を王子ではなく一人の人間として見て下さると」
改めて私を弟子と御認め下さいと頭を下げるカイムにゲルダは答える。
相分かった、と。
「ありがとうございます」
「ゲルダ殿、余もそなたこそカイムの師に相応しいと確信した。至らぬ息子ではあるがよしなに頼むぞ」
国王ヴルツェルからの言葉もあってこの日よりバオム王家の指南役となる。
それは同時にゲルダの日常から平穏が消えた瞬間でもあった。
同時刻。
どことも知れぬ山の奥、朽ちかけた寺院があった。
本堂と思しき空間で護摩を焚き一心に祈る集団がいる。
全員とは云わぬが一様に頭髪を剃り落としており、僧の身形をしていた。
この世界に存在するあらゆる宗教の教典とは異なる祈りである。
もし、この場にゲルダが居たならば、こう指摘するであろう。
「これは法華経ではないか」と。
やがて経が終わると、護摩の一番前に座していた男が背後にいる異形の僧侶達に向き直る。
「どうやら忌まわしき雷神ヴェーク=ヴァールハイトに導かれし聖女がバオム王国に入ったようだ」
それは子供のように背は低いが法衣の袖から覗く腕は骨と皮ばかりだ。
幾重にもシワが刻まれた顔は最早年齢を推し測ることが不可能なほどである。
しかし眼光だけは鋭く光り精気に溢れていた。
「良いか、各々方。雷の勇者と水の聖女が結ばれる事があってはならぬ」
僧侶達は一斉に気を吐いた。
「では、それがしが参りましょう」
集団の中から進み出たのは一人の尼僧であった。
剃髪をしているが、まだ歳は若い。
そして大きく腹が膨れている。妊娠しているのだ。
「死してなお我が武を振るえる喜びをお与え下された大僧正様の恩に報いるは今と心得申した! それがしにお任せあれ!」
「許す。そなたが一番手となって聖女ゲルダと接触せよ」
「ありがたき幸せ!」
なんと尼僧は護摩の中へと身を投じたではないか。
紅蓮の業火は瞬く間に尼僧を燃やし尽くさんとするが、異変が起こる。
灰となった尼僧の中から一人の赤子が無事な姿で現れたのだ。
「おおおおおおおおおおおおおっ!!」
赤子は産声の代わりに恐ろしげな胴間声で雄叫びをあげる。
燃え尽きた母の灰、そして護摩の火が赤子の口の中へと入っていく。
すると赤子の体が急激に成長を始め、護摩の火が尽きるとその場には十代半ばの少女が立っていた。
その異常な光景に驚く者はおらず、少女の誕生を祝福している。
否、彼らが祝福しているのは
「おお、これが『異世界転生』。選ばれし異世界の戦士のみが許される儀式!」
「良き面構えだ。正しく天下の豪傑に違いない」
そう、彼らは少女の
彼女は一見、普通の人間のようであるが、ところどころ異なる部分があった。
長く尖った耳、鋭い牙と化した犬歯、何より人と懸け離れているのは目だ。
強膜は黒く、瞳は赤い。そして瞳孔は山羊のように四角くなっていた。
「くははははははは! 聖女ゲルダ、何の事やあらん! それがしの鎖鎌を存分に堪能させてくれるわ!」
少女は
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