第7章 - 4 真実

 4 真実

 



 山代のアパートを後にして、しばらく二人は黙ったままで歩き続けた。

 あまりに衝撃的だった展開に、達哉は頭の整理が追い付かない。千尋は千尋で思うところがあり過ぎて、どう話せばいいかが分からなかったに違いない。

 何度か何かを声にしかけて、「ううん、やっぱりいい」などと、実際何も話してこなかった。

 そんな千尋に半ば強引な感じで別れを告げて、達哉はその足で父親の勤めていた総合病院に向かう。

 どうしても、確かめておきたい事実があった。

 それはもちろん山代が話した内容についてで、訪ねたからって何かが分かる可能性などないに等しい。

 それよりこのまま達郎のところへ行き、直接聞いてみたなら一発だろう。しかし達哉はできることなら、今の達郎に尋ねることをしたくはなかった。

 ――こんなこと、どんな顔して、聞きゃいいんだよ!?

 そんな自問自答を繰り返した結果、〝一縷の望み〟を託して達哉は決める。

 ――一人くらい、知っている人がいるかも知れない。

 そんな微かな希望を胸に抱いて、彼は千尋と別れて病院へと足を向けた。

 アパートにいた山代は、脳梗塞を患った後だったらしい。

 左半身が不自由になり、杖を使えば歩けるようだが、もはや働くことは絶対的に厳しいだろう。そしてきっと、認知症の症状も出ていたはずだ。

 達哉のことも覚えておらず、驚くことに、ここ何十年という記憶も失っているように見えたのだった。

 天野翔太どころか、長年働いていた店、〝DEZOLVE〟のことさえ覚えていない。

 ところが不思議なことに大昔のことは覚えているらしく、いきなり達哉に向かって聞いたのだった。

「あんた、名前は……なんと言うんだい?」

 まるで普通にそう聞かれ、達哉は慌てて告げたのだ。

「さっきも言ったけど、藤木、藤木達哉だって……」

「藤木? そう、かあ、藤木、かあ……そりゃあ、懐かしい」

 話しているうちに、徐々に言葉もスムーズになって、この頃には滑舌の悪さもそう気にならなくなっている。。そして……、

 ――懐かしい?

 いったい何がだよ……などと思っていると、続いて驚くような言葉を発した。

「でも、あの野郎、俺のことを、馬鹿にしていやがったんだ! だから、当然の報いってやつ……なんだよ、ざまあ、みろって!」

 そう言ってから、右手で必死に半身となって、とうとう上半身だけ起き上がる。

 それから部屋の片隅に置かれた座椅子を指差し、達哉に向かって「取ってくれ」という仕草を見せた。

 そうして座椅子に尻を乗せ、山代の昔話が始まったのだ。

「あいつはよ、確かに、仕事を世話してくれた。でも、なあ、あいつの病院のよ、清掃だぜ? おばちゃんばっかの……中に入って、お掃除して、ちょうだいって、言いやがったんだ。冗談じゃねえって! そりゃあよう、俺は、あいつみたいに、医大なんかにゃ行ってない。でもなあ、仮にもだ、府立高等学校、卒業なんだぜ。それが、お掃除のおばさんってか? え? まさか、嘘だろって思ったぜ……なのに、藤木の野郎、嬉しそうな顔してよ、頑張って、くれって、抜かしやがった……」

 ――府立高等学校卒業……医大……。

 ――まさか、病院の清掃って、あそこじゃないよな?

 そんな言葉が頭の中に渦巻いて、下の名前を尋ねてみようとした時だった。

「なあにが天使だ! なにが、幸せの絶頂だよ! バッカじゃねえかって、思うじゃねえか、だからよ、消してやったのよ、その、天使だってのをさ、俺がしっかり、消し去ってやったんだ。そしたらよ、まあ、愉快ったらねえぜ! 藤木くん、どうしたのって、声掛けたらよ、真っ青で、今にも泡吹いて、ぶっ倒れそうな顔、してやがったぜ!」

 そう言ったところで咳き込んで、さっきのコップに手を伸ばし、残っていた水をごくごく飲んだ。それからしばらく辛そうな呼吸が続き、なんとそのままゴロンと寝転んでしまった。

「あの、天使って、天使を、消し去ったって、どういうことなんですか?」

 あまりの驚きに、思わず丁寧語になっていた。

 しかし山代は答えてくれない。

「天使って、赤ちゃんのことなんでしょ? 消し去ったって、誘拐したってことなんですか? ねえ! 殺したってわけじゃないんでしょ!? 答えてくださいよ!」

 そんな必死の声にも、彼は黙ったままだった。

 それでも必死に粘ったが、いきなり「ゴーゴー」もの凄いイビキをかき始め、達哉はそうなってやっと聞き出そうとするのを諦めた。

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