第3章 - 2 千尋と翔太(4)

 2 千尋と翔太(4)




 なんて茫然自失の状態から、やっぱり彼が現実の世界へ引き戻してくれる。

「ひゃ〜、やっぱりなあ〜、こりゃ、酷いね〜」

 驚いて振り返れば、天野翔太がすぐ後ろに立っていた。そして千尋のさらに頭の上から彼女の部屋に目をやっている。

「ほら、まだ見てないんでしょ?」

 彼はそう言って、千尋に何かを差し出した。

 それは大家さんからの伝言で、千尋の部屋の扉にもしっかり貼ってあったのだった。

 ――雨漏りが凄い。

 ――明日には直してもらうから、

 ――濡れて困るものは濡らさないように。

 大体こんな感じがマジックで大きく書かれてあった……が!

 ――もう、部屋中びしょ濡れじゃないのよ!

 天井あっちこっちから、雨粒が連なり滴っている。

 部屋の片側半分が、まさに濡れ雑巾のようになっていた。

「どうしよう?」

 思わず彼にそう言って、千尋が困った顔を見せた時だ。

「とにかく、濡れてるやつを端っこに寄せよう……でさ、入っても、いい?」

 天野翔太はそう言って、千尋が頷いた時にはすでに動き出している。

 それからひと通りの作業を終えて、無駄骨になるとは知りながらバケツや茶碗なんかをあっちこっちに置いて部屋を出た。

 そうして言ってくれたのだ。

「こんな時間からホテルってのも厳しいだろうし、もしよかったら、ウチに、くる?」

 ――え、いいの?

 素直にそんな疑問を思っただけだったけど、きっと驚いた顔に見えたのだろう。 

「あ! 違うって、俺はもちろん、店に行って寝るからさ!」

 大きく手を振り、天野翔太は慌てたようにそう言った。

 彼の部屋はアパートの端っこで、ぜんぜん雨漏りなんかしてないそうだ。

 ところが千尋の真下にある部屋は、彼女の部屋以上にひどい状態だったらしい。

「その部屋から大家さんに苦情が入ったらしいよ。それで今ちょうど、住んでる人が様子見に戻ってきててさ、きっと上もおんなじだろうって、教えてもらったんだ……」

 それで慌てて千尋の部屋までやってきて、一緒にいろいろやってくれた。

 だからと言って、千尋が彼の部屋で寝て、

 ――彼が店でって……? 

 訳には行くわけがない。

 結果、いろいろ言い合って、入ってすぐある三畳ほどのキッチンと、畳の部屋との間をカーテンで仕切ってしまう……ってことに落ち着いた。

「俺がさ、台所の方で寝るからさ……」

 そうしてコンビニまでガムテープを買いに出て、いざアパートへ戻ろうという時だった。

 そこでふと、千尋がポツリと声にする。

「あの、一階と二階って、間取りはみんな、一緒ですか?」

 フッと浮かんだ疑問が気になり、千尋はさっそく翔太に問うた。

「うん、さっき見た感じだと、少なくとも俺んとこは、おんなじだったな」

「ってことはね、トイレって、どこにあります?」

 そう尋ねた途端、彼は一瞬横を向き、

「あ、そうか、やっぱり行く? 寝てからも、トイレ……行く、よね? やっぱり」

 大きな傘を揺らしながら、そんなことをひと言ひと言、まるで確認するように聞いたのだった。

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