六の二
川井信十郎が新選組に入隊したのは、元治元年(一八六四年)の十一月だった。
壬生の屯所の、狭い道場には三十人ほどの男たちがぎゅうぎゅう詰めに座らされ、息をするのも難儀に感じられるほど体臭が充満していたし、大勢の身体から発せられる熱気によって、季節に反した蒸し暑さが空間を満たしていて、信十郎はなんだか気分が悪くなってくるほどだった。
なんの我慢くらべかと、怒って帰ってしまう者がでてくるのじゃないかというほどの時がすぎた。
やがて、数人の幹部と思われる男たちがあらわれ、上座にならんで座った。
彼らは皆、浅葱色のだんだら模様の羽織を着けている。
「これより新選組入隊式を始める」
とひとりの三十がらみの男が告げる。
すると、一番真ん中にいた謹厳そうな男が立ちあがり、大音声で話しはじめた。
「私が局長の近藤勇である」
その頬骨の張った口の大きな男は云った。
今、日本は未曽有の危難に瀕し――。我らは新選組を結成するにいたり――。諸君らはこれから幕府のために身を捧げ――。
などと、小難しい話を長々と語るのだった。
ずいぶん無口そうな男なのに、えらく長々と喋りつづけ、やっと終わったと思ったら、入れかわりにその脇にいた、最初に式の開始を宣言をした男が立って、副長の土方歳三だ、と自己紹介したあと、今度は入隊するにあたっての心がまえなどを語りはじめた。
五カ条の局中法度なるものを読み上げ、さらに続けて云う。
「法度にそむけば即切腹だ」
と土方は冷徹に云った。
「敵を目の前にして逃走したら切腹、背中に刀傷をおったら切腹、命令に背けば切腹。とにかく卑怯なふるまいをすれば切腹させる。諸君らは常に、死の覚悟を胸に隊務に精励してもらいたい」
――異常だ。
信十郎は思った。
そろいのだんだら羽織といい、局中法度といい、この入隊式といい、やることなすことすべてが芝居じみている。すべてが絵空事のようで、そらぞらしいとさえ思えたのだ。
ある種の異様さを感じずにはいられなかった。異常な集団だとしか思えなかった。
ちなみに、信十郎はあとで知ったのだが、近藤の隣にもうひとり、白皙の美丈夫がおり、彼は伊東甲子太郎といい、つい最近、参謀格で迎えられたのだった。この日、大人数が集められて訓示がおこなわれたのは、この伊東の一派が新選組にいっせいに入隊したからであって、普段はこんなことはしないのだそうだ。
もちろん新入隊士の全員が伊東一派というわけではなく、――信十郎の憶測ではあるが――半分以上は個別に入隊した者たちだろう。
この時期の新選組は、池田屋の活躍で衆目を集め、蛤御門の変を経験し、ほんの数カ月で、京だけでなく全国的に、知名度が急激に上昇していたのだった。まさに日の出の勢いと云っていい状態で、それとともに隊士の人数をどんどんと増加させていた。
信十郎はこの十数日前まで、故郷の福井で、なんの役にもつかずに、毎日だらだらとした生活を送っていた。だが、そんな彼に白羽の矢が立った。白羽の矢というのは大仰かもしれない。新選組の内情を知りたい藩の上層部が、役にたたない無駄飯食いを活用したというのが正確な表現だろう。
表向きは脱藩という形をとり浪人として、新選組に入隊することになった。隊士を大々的に募集していたのにあわせてのことだった。
そして式の最後に所属が割り振られ、信十郎は八番隊に配属されることになった。
長い儀礼からやっと解放され、信十郎は、さてどうしたもんかと考えていると、八番隊の新人だけ、別室に集まるように指示がされた。
その部屋は、六畳間だったが、信十郎とほかにふたり、ならんで座って待っていた。
信十郎は左端にいて、ほかのふたりは緊張しているのか、そういう性分なのか、まったく会話をかわす気がないようだった。
信十郎はだんだんと暇に飽きてきたし、無駄話をしただけで切腹させられるとは思えなかったので、思いきって、隣の男に話しかけてみた。
「これから、なにがはじまるのでしょうね」
「さあ」男はそっけなく答えた。
「どちらのご出身ですか」
「常陸です」
「そちらのかたは」
「陸奥です」
「そうですか、私は越前です。川井信十郎と云います」
言葉はかえってこなかった。
ふたりとも、たんに言葉数が少ない人間なのだろう、と思うことにした。
しかたがないので信十郎は、正面の床の間にかけてある掛け軸を眺めていた。水墨画で、竹が数本に雀か何かの小鳥が数羽描かれていた。それをしばらく、ただ無感動で眺めていたのだった。
と、男がひとり入ってきた。
先の入隊式でも顔をみかけた青年だった。静かに入ってきて静かに座ると、頭をさげた。
信十郎たちも頭をさげる。
「八番隊の隊長を任されています、藤堂平助と申します」
平助は、ほほ笑んで話すのだった。
「ほかの隊士たちには、あとで自己紹介をしていただくとして、まず、みなさんとお話をしたいと思い、集まっていただきました」
信十郎は、隊長の藤堂平助という男にたいして、ひとめみて好感を覚えた。馬が合う、というのはこういうことなのだろうと思った。
平助は、端正な顔立ちで、伊勢の藤堂和泉守の御落胤などという風聞が流れるのも無理はないと思えるほど、どことなく優雅な雰囲気のある青年だった。
喋りかたも落ちついているし、挙措のひとつひとつも悠揚としていて、池田屋事件などという修羅場をくぐってきた人とは思えない、優しさを感じさせる居住まいをしていた。
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