すれ違い

 いきなりむせび泣きを始めた幼馴染の涙は、その勢いが止まることを知らない。

 黒と白にまだら模様の自分の耳とは違う真っ青なそれが片方は伏せ、片方は自分の方に向いて反応を待っている。

 そんな気がしてアレンは近寄っていいのかどうか判断に迷ってしまう。

 そばに行けば拒絶されるような気がして、でもここにいたのではずっと胸の内に秘めてきた彼女に思いを伝えることができない。

 気が利く誰かがいたのならこう言うだろう、「抱きしめてやれよ」、と。


「ライラ……」


 返事はない。拒絶されているようで近寄りがたい。

 抱きしめたいと、そうしたい思いもあった。

 しかし彼はライラに近づくことができない。

 それをすれば――離れていた十年の距離を、一足飛びに縮めることができるようにして。

 会いに行こう会いに行こうと思いながら、忙しさにかまけていた行かなかった自分自身。

 それを理由に言い訳をするようで、自分の情けなさはまじまじと見せつけられるようで。

 勇気がなかった。


「迎えに来るなんて言い訳欲しくない……」

「違うッ。俺は本当にそう思っていた」

「都合がいいよ、アレンは……ヒッ……ク」

「すまん……」


 ライラに泣きながら責められて、アレンはさっきまでの寡黙さはどこに行ったのやら。

 近寄ろうとすれば手で払われるし、そのうちライラはしゃっくりまでしながら批判してくるし。

 十年間の我慢の塊は簡単には溶けることはない。

 同じ時間をかけて尽くしてもらわなきゃ、わりに合わないわよ。

 なんてことまで泣きながら心でぼやくライラだった。


「謝罪なんて子供にもできるじゃない!」

「いやっ、それはそうだが――」

「来るつもりだったのならどうして手紙の一つもくれなかったのよ!?」

「俺はお前のことを考えて――王宮での立場が悪くならないようにと……」

「そんなの送ってみなきゃわからないじゃない」

「いやそれはそうなんだが、おい、待ってくれよ。つらかったのは分かるが俺だって――」

 

 と、ここまで言いそれが失言だったこともアレンは気づく。

 ライラの溶け込むような水色の瞳に、きっと怒りの炎が灯る。

 幼い頃、彼女がそういう目をした時は必ず機嫌が悪くなるのを、アレンは知っている。


「結界の外に出ることができたんでしょ。私は一人で神殿の中で精霊様にだけ必死に仕えて来たのにっ! 貴方は外国で何をして来たのよ? 同じように精霊王様に従ってきたって言うけど、あなたは私のことを知ってるように話をするわ……でも私はあなたのことを何も知らない。卑怯よっ!」

「卑怯ってなあ……。仕方がないだろう――俺の師匠は旅をしながら諸国を回ってたんだから」

「師匠?」

「……俺に剣の道を教えてくれた師匠だ」

「剣の道って……それがどう精霊王様を支えることになるのよ」


 聖女はむっすりと黙ってしまう。 

 師匠って何? どうして外国にまで行かなければいけなかったの?

 何より、それがどう、我が主の意思に関わってくるの? と、疑問は尽きない。

 尽きないし――むしろ、彼を同じ聖人の道に引き込んだのは自分自身なのだ。

 そのことをこの十年間、忘れたことはないし、後ろ暗さも絶えない。

 

「いやだからさ、俺は村を出て結界の外に行き、修行を積んで来いってそういう主のお考えだったというか……」

「へえ。それで七年間も外界に出ていたんだ? 私に迎えに行くつもりだったなんて――愛に近い告白までしておいて、来なかったじゃない!」

「それはいけるはずがないだろう。外に出て戻ってきたのが三年前なんだぞ?」

「じゃあすぐに迎えに来てくれたらよかったじゃない」

「お前、それは無茶ってもんだろう」

「……無茶じゃないわよ。私はこの十年間、あなたとの約束だけを頼りにずっと頑張ってきたのに――あなたは三年間も国内にいて、子供達の問題にしたってそうで、一言の相談もなかった。三年前なら、三年間も時間があったなら――何か他に手を打つこともできたはずなのに、どうして相談してくれなかったの」

「どうしてって、分からないか?」

「何もわからないわ」


 涙で流して、私ったらバカみたい。

 理由はどうあれ彼はそこにいながらも来なかった。

 相談できないくらい信頼されていなかった。

 違う思いがあったかもしれないけれど、それを思いやる余裕はありそうで無い。

 微妙な心持ちに揺らぎながら、ライラはアレンの手なんて取らなくて。

 懐から取り出したハンカチで涙をそっと拭くと、はっきりと事情を説明しない彼をきっとにらみつけた。


「俺はお前の決意を知っていたから。お前一人に重荷を背負わせたくなかった――言い訳に聞こえるかもしれないがな……」

「はぁ……つまり何? 私一人のために村を犠牲にしたようなそんな言い方をするじゃない」

「それは――誤解だ」

「あなたに重荷を背負わせたこと。私だってずっと気にしていたし申し訳ないと思っていた。あんな約束になんて」

「約束がどうかしたのか」

「……てっきり忘れて、誰か若い子と結婚したものだと思っていたもの」

「お前なあ……連絡してこなったのはそのせいか?」


 こくんっ、と恥ずかしそうに少女は頷く。

 ――互いに想いは届いていたんだ。

 アレンはライラの本心を知り、ライラはアレンの本心を知り――お互いを思いあった結果がすれ違いを呼んだのだと二人は静かに知るのだった。

 ただ、それにしても村での三年間のやり方は頂けない。

 アレンや神父たちのやり方を、ライラは歓迎できなかった。

 例えそこに精霊王の意思が介在していたとしても。

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