【連載版】現聖女ですが、王太子妃様が聖女になりたいと言うので、故郷に戻って結婚しようと思います。

和泉鷹央

結婚式

 ――七月。

 ライラが水の精霊王の聖女に選定されてから、九年と数か月。

 その年の初夏、ライラが住むレブナス王国の王都イルウォールでは、珍しく結界の外側に位置する諸外国からの使者が多数、訪れていた。

 王太子アスランとシュナイダル公爵家令嬢ハンナの結婚式が行われたからだ。

 結界の中で鎖国のような暮らしをしている国民にとって、外からの人々は珍しく興味の対象だった。

 短い期間の来訪だったが、その数は数十の国々に及んだ。

 同じ人族、竜族、ティトの大森林に住むエルフや妖精王からの使者、その他に時折、結界を破って王国に侵入し被害をもたらす魔族の王たちからの使者もいた。

 

 ライラがその日忙しくしていたのは、他の神々の代理人として訪れた人々をもてなしていたからだ。

 聖女となったときに呼ばれた水の都エイジスで出逢って以来、約十年近く。

 名前と顔した記憶と一致しない彼らに、どこか通じるシンパシーを感じがら、ライラは会話をしたり、自分が住む神殿内を案内したりと気の抜けない数日。

 もう疲れた……そう思いながら職務に励んでいたライラが、王太子夫妻への祝福を述べるという一大イベントもあった。

 それはライラにとっても大きな人生の転機の一つで、心が大きくときめいた瞬間でもある。

 まだ知らない将来の夫を、その素顔を初めて見たのだから。



「どうでした?」

「え、あ……ヘザー様。どうと言われても。そう、ですね。緊張しました」

「そうですか。彼はどう見えました? 将来を共にする相手は?」

「難しいです。でも、良い印象は少なからずありました」

「それはよかった。ライラ様の結婚はこれまでにない、聖女の引退だから……気にはしていたのです。他の神々の聖女たちもそう。みんな、あなたには幸せになって貰いたいから」

「……ありがとうございます、ヘザー様」



 結婚式のあと、世話役を任された客人たちとの夕食の場で、そんな声をかけてきたのはティトの大森林を挟み東に位置する大国の一つ、トランダム王国の当代の聖女ヘザーだった。

 三十代を越えた彼女は友人と言うよりは叔母に近い、当代の他国の聖女たちのまとめ役。

 そんな大先輩に声をかけられてライラは緊張してしまう。

 彼の印象……悪くはないけど、でも――あまりよくもない。王太子アスランに嫌われているかもしれないと思うと、ライラはついつい将来に不安を感じてしまい心がどこか重苦しくなる。 

 ヘザーはそんなライラの心情を知ってか知らずか、おめでとう。

 その一言と共に意味深げな微笑みを見せている。


「おめでとう、ライラ様」

「いえ、まだ結婚したわけではありませんので……」

「そうだけど、半年後にまた来れるとは限らないし、みんなが聖女でいられるかもわからないでしょ? 最近はどこもかしこも戦争だの、天災だのと嫌なことばかり聞くもの。こうしてお会いできるのも、最後かもしれない」

「そう、ですね。ありがとうございます、ヘザー様。寿命が尽きるまで王国に尽くしたいと思います」

「ええ、頑張ってね、ライラ様」


 ……自分の後に続く聖女を無くすために。

 その一言は口にはできなかった。

 他の神々と彼女たちの契約までは知らないし、もしかしたらもっと辛い運命が待ち受けているかもしれない。

 最近では魔族の王と戦った他の聖女が死んだとの噂も耳にしているから、そういったことを口にすることがどことなく禁じられているような気になってしまう。

 あまり多くを知らずに彼女たちとを見送ることが賢いのかもしれない。

 政治には疎いが神殿を束ねる長の一人として、十年近い管理者、経営者としての勘がそう伝えていた。


「あの、ヘザー様。ご質問、いいですか?」

「……? 何かしら?」

「その、私は見ての通り、獣人です」

「それが何か? 特に珍しいことではないわ」

「いえ、その……皆様の中には同じく獣人の方もおられますけど、同族が……見受けられません。ほかの国の使者や賓客の方にもご案内をしましたが、やはり、狼の獣人は……」


 ライラは黒髪に水色の瞳の、知的な顔立ちをした――獣人。

 青い神狼の血を引く彼女たちは、頭頂部に青い毛皮に覆われた獣の耳を二つもち、ふさふさの青い毛並みの尾を腰から垂らしている。

 いつもは神官衣の中にあるそれは、今夜はドレスを着ていることもあって、腰かけたイスの背もたれとの間で少しだけ揺れ動いていた。


「ああ、それね。うーん……この西の大陸ではあまり見かけないわね。南の大陸には狼の亜人は多いと聞くけど、まだ行ったことがない。ここにいるのは西と、シェス大河を挟んだ東の大陸の沿岸諸国の聖女たちだから、人族が多いかな」

「そうですか」

「この国には獣人が多いわね。でも――ここではあまり言えない。そういう扱いなのも知っているから心配だと思うところもあるのよ、ライラ様」

「……この国では獣人は最下層の農民。それも、多くは農奴ですから――」

「こんな身分の低い農民出身の女が王族に迎えられていいのか、と。もしかしたら……まともな扱いは受けないかもしれない、と?」

「いえ、それは――王族に迎えてもらえるだけありがたいと……」

「そう? そうね」


 ふうん、と人族のヘザーは先ほどの意味深げな瞳の色を更に深めていた。

 興味本位というよりは当たり前。当然というよりは――彼女もライラの不安点をどこか面白そうに見ているフシがある。

 他所の家庭事情だから口出しはできないけど、善意で何かをしてあげたい。そんな感じでないことだけは、どことなくライラにも理解できた。


「身分差別はどこにでもあることだけど、そうねえ……。あなたは特別にそれを自分から始めてしまったから――例え幸せになれなくても受け入れるしか、道はないかもしれない」

「いえ、受け入れないなんてそんな大それたことは――」

「責めているわけではないのよ。ただ、主である神が決めたことを止めましょうと声高に叫んだのはあなたが初めてかもしれない」

「それは……」

「責めていないわよ。誰も怖くてそんなこと言えなかっただけだから。神の怒りを買うと、とんでもないことになる。わたしみたいに。だから、気を付けなさいな、ライラ様」

「え……? はあ……、はい。ヘザー様」


 わたしみたいに?

 その意味がライラには理解できないでいた。

 この聖女様……アーゲイン王国の炎の女神の代理人は何を言っているのだろう、と。

 奇妙な発言と重い溜息をつくヘザーを見ながら、ライラはひそやかに小首をかしげる。

 夕食が終わり各員を見送る時、ティトの大森林を統べる森の妖精王の代理人として来ていた王子妃リーシェがそっとライラに教えてくれた。

 

「あの人、数年前に女神様を怒らせて聖女を追放されかけたの。ライラ様、お気をつけあそばせ」

「えっ!?」

「お幸せに。何かあれば我が妖精王はティトの大森林を解放しますよ。あなたたち、蒼狼族の為に」

「……それはどういう??」

「王からあなたへのご伝言です。他言は無用で」

「でも、我が主、水の精霊王様には――」


 大丈夫。とリーシェ王子妃は微笑んでいた。

 神々は多くを語らないだけで知っておられますよ、と。

 まるで未来のどこかで大森林に一族ごと移住して来てもいい。そんな何かの問題が善かれ悪かれ起こりそうで、ライラの心にまた余計なさざ波が一つ立つ。


「いずれ、また。では、ごきげんようライラ様」

「ええ、いずれまた。リーシェ王子妃様……」


 待っていますよ、と再度言うと彼女は踵を返して去っていく。 

 はっきりしないことなら言わなければ良いのに。

 そう思いライラはヘザーのような重い溜息が出てしまう。

 将来の夫、王太子アスランの自分を見る視線は――歓迎されているようにはどうしても思えなかったからだった。

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