36話 トヌスの悩み


広がる大海原。

潮風に乗って大きく空を舞うかもめの群れ。


緩やかな波の音は、小さく鳴っては消えていく。


ここはトウトの南に位置し、多くの島々が点在する海域。


トヌスがスネク商会の会長であるボアと共に、ノルデンからの侵攻に備えて防衛線を張るために訪れている海域都市である。


すでにボアの計らいによって、必要な船の用意と乗組員の収集はほぼ終えており、あとはノルデンが侵攻してきた時に迎え撃つのみである。


だが、未だノルデンからの侵攻の知らせはなく、トヌスはぼんやりとした日々を過ごしていた。



「トヌス殿…」



港の端で海を眺めていたトヌスは、ボアに話しかけられて振り向いた。



「ボア会長…すみませんね。ノルデンの動きが全くなくて…これじゃ、何のために手伝ってもらったのかわからねぇや。」


「それは気にしないでも良いですよ。もともと、彼らは国における海域の防御が生業でもあるのですから。長期戦は慣れたものですし、やることは普段と変わりませんからね。」



トヌスは申し訳なさそうに頭を下げ、再び海を見る。

その横に立ち、ボアもまた海を眺めている。



「して、トヌス殿。ノルデンは本当に攻めてくるのですか?」



ボアは何気なく問いかけたつもりだったが、トヌスは少し肩を落として答えた。



「…わからない。それが本音です。BOSSからも連絡は今のところねぇし、待ちぼうけになるかもしれない…」



トヌスは不安だった。

いくらイノチの指示とはいえ、来るかもわからない敵のためにボアたちに労力を使わせている。


初めは疑わなかったイノチの言葉も、トヌスの中で今は悩みの種となっているのだ。


それでも、イノチを信じる気持ちは変わらない。

一番良いのは、ノルデンからの侵攻は無くなったという報告がイノチから上がってくることなのだから。


戦いが起きて、ボアたちが傷つくことを避けたいという気持ちは変わらない。戦わないで解決できるなら、それに越したことはない。


しかし、戦わなくては守れないものもあることは確かだ。


トヌスはそう考えて拳を握る。

それを見ていたボアは、小さく笑ってトヌスに言葉をかけた。



「侵攻が無いならないで、それに越したことはないですよ。」



心を読まれたようで、トヌスは驚いてボアに目を向ける。

だが、ボアは気にすることなく話を続けた。



「争いなど起きないことが一番良い。だが、守るためには戦うことも必要です。我らは今、万事に備えている。戦況とは常に動くものですからね。戦争は目の前だけで起きるものではないのです。」



トヌスは言葉が出なかった。

申し訳ないという気持ちが残る反面、ボアの言葉が嬉しかったからだ。


トヌスは再び海を見る。

穏やかな海と爽やかな空は、まるで自分を応援してくれているかのように眩しく輝いていた。


大きく鼻で息を吸い込み、トヌスは深呼吸をする。

深く息を吐いていくと、一緒に不安や迷いも吐き出せた気がした。


そんな時、携帯端末が鳴る。

手に取って見てみると、メッセージが2通届いていた。



(一つはイノチから…もう一つは…ゲンサイ?)



少し訝しげに感じつつ、トヌスはまずボアに断りを入れ、ゲンサイからのメッセージを開く。



「っと…なになに?「戻る」って…またここに戻るってか。相変わらず短ぇ文章だな。」



トヌスはクスリと笑いながら、ボアにゲンサイが戻ってくることを伝えた。



「かしこまりました。あの方はお強いですからね。仲間の士気も上がりますから大歓迎ですよ。」



ボアは笑いながら、歓迎の準備をしてくる旨をトヌスに伝え、その場を後にする。トヌスはその背を見送ると、再び携帯端末に顔を戻した。



「さて…次はBOSSからのメッセージだが…」



独り言をつぶやきながら、メッセージをタップする。

そして、文章に目を通していくトヌスであったが、目を進めるにつれて、表情がみるみると険しいものになっていった。



「マジか…エレナの姉御が…」



すぐにメッセージを送り返すトヌス。

しかし、イノチからの返事は…



『トヌスはそこで防衛線を張ったまま待機してくれ。ゲンサイもじきに到着するだろうから、二人にそこを任せるよ。場合によっては…本当にノルデンの侵攻が始まるかもしれないから。』



それを見て、『了解』とだけ返したトヌス。

だがその心には、重たいものが広がっていった。


ーーーイノチの奴はこれだけ戦っているのに…俺は…


トヌスはそう思って拳を地面に叩きつける。

本心では悔しくて悔しくて仕方がないのだ。本当にイノチの力になれているのかわからない焦りが、トヌスをイラつかせる。


ーーー本当なら、すぐにイノチの下へ飛んでいきたい。


だが、この地の防衛を任されている手前、そんな勝手は許されない。


イノチは信頼してここを任せてくれているわけだし、それを裏切ることは絶対にしてはならないことも、トヌスにはわかっているのだ。


そんな複雑な想いを抱いて悩むトヌスだが、ふと胸のポケットに挿してあるアイテムに気がついた。


謎の美女イザムから受け取った『煙管(キセル)』。

これは使えば、今一番欲しいSRを引くことができるというなんともチート的なアイテム…


不意にトヌスは煙管を取り上げた。

金と唐竹模様の独特なデザインだが、見た目は普通の煙管となんら変わりはない…


だが、これを眺めていると不思議な感覚に襲われる。


吸い口の部分に口を触れたくなる…

艶かしく輝く金色の吸い口に目を奪われてしまう…


その誘惑に負けそうになりつつ、すんでのところで正気を取り戻したトヌスだったが、ふとある考えが浮かんだ。


ーーーこれを使えばイノチの手助けができるかもしれない…


これを使えば一番欲しいSRが手に入る。


だが、イザムはそれがアイテムとも装備ともキャラとも言わなかった。そこから推測できることは、自分の望みを叶えるに一番相応しいSRが出てくるということだった。



(ものは試しだ…悶々としてても何にもならねぇ。なら、一つこれを使ってみようじゃねぇか!)



イザムから受け取った時は、得体が知れないと感じて使う気にならなかったが、今は明確な目的が生まれている。


ーーーならば使うべきだ。


そう考えたトヌスは再び煙管に目を向け、恐る恐る口に近づけた。


少しずつ…ゆっくりと…煙管を口元へ運び、吸い口を咥えて一吸いする。火などつけていないのだから出るはずもない煙を吐き出すために、煙管を一度口から離し、フゥっと息を吐き出して驚いた。


口から白い煙が吐き出され、それがみるみるうちに大きく膨らんでいくのだ。



「な…なんだこれは!」



煙を吐き出し終えて驚くトヌスだが、目の前でグルグルと渦を巻く煙から目が離せない。


しかし、トヌスは突然目眩に襲われる。



(あ…あれ?なん…だ…視界が…ぼやけ…)



そこまで考えて、トヌスはイザムの言葉を思い出した。



『これはお前の魔力を消費する。』


(これは…魔力を使った…から…か…)



そこまで考えて、トヌスの意識は途絶えたのだった。

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