29話 いもうと


「人の価値を勝手に決めつけんな!バカやろう!!」



エレナはイノチの叫びに驚いたが、同時に嬉しいという感情が心の中を満たしていくのを感じていた。


自分のために怒ってくれている人が目の前にいるということが、これほどまでに自分に勇気を与えてくれるものなのか。


エレナはそう深く感じながら目を閉じる。


一方で、アルスはあからさまに不機嫌な表情を浮かべていた。


バカやろうと罵られたことなど、アルスにとっては痛くも痒くもない。


だが、エレナの兄に相応しくないと言われたことが気に食わなかった。



(僕はいつもエレナを見てきたんだ…部外者のお前にそんなことを言われる筋合いはない。…というか、なぜ僕は彼の言葉にイラ立っているんだ。)



そう、心の中で湧き上がる感情を抑えつつ、アルスは表情を変えずに反論する。



「そうかな?人は誰しも他人に評価されて生きてるじゃないか。それによって自ずと価値も決まると思うけど…」


「お前が言いたいのは、その人がしてきた行いへの評価のことだろ!?そいつ自身の価値なんてそんなことで決まらない!」


「なぜだい?人間、ただそこにいるだけじゃ何の意味もないじゃないか。エレナはランドール家に生まれながら、これまで何もしてこなかった。だから、今回の件でランドール家に貢献することで、その価値を見出すんじゃないか。」


「何もしてこなかっただと…?どうせ、お前らが何もやらせようとしなかったんだろ!お前の話を聞いてたらだいたい想像できるんだよ!それをエレナがやってないみたいに…勝手に話をすり替えんなよな!」



その言葉を聞いて、アルスはさらに湧き上がる怒りを感じたが、その理由を考えてもわからなかった。



「お前らみたいな奴らは、自分たちが特別だって思ってやがる!だから、家族にもそれを押し付けるんだ!本人の気持ちなんて尊重しない!」


「我がランドール家は間違いなく特別だからね。君のような召喚士風情には理解できないだろう。一族を…国を背負うということがどういうことなのか。本人の意思よりも一族の繁栄…貴族とはそういうものさ。」


「そんなことを知らねぇし、知りたくもないね!俺は貴族なんてもの興味ないからな。だが、これだけは絶対に言える!お前、兄貴のくせにエレナの気持ちなんて一度も考えたことないだろ!」



そう吐き捨てるように告げたイノチは、妹のスイキのことを思い出していた。


この世界に来て一度だけ夢に見た妹の記憶。

もう長らく会えていない妹への想いを、イノチは無意識にエレナに重ねていたのかもしれない。


一方で、それを聞いたアルスは無言になり、表情に影を落としていた。


そして、大きくため息をつくと、持っているナイフをクルクルと手の内で回し始める。



「嫌になるな…君と話していると気色が悪い。こんなに喋るつもりはなかったのに…。はぁ…もうさっさと殺してエレナを連れて帰ろう。うん…そうしよう。」



その瞬間、アルスから今まで以上の殺気が放たれた。

その圧力に押されながらも、イノチたちはなんとかその場に踏み留まる。



(やべ…怒りに任せて挑発し過ぎた…)



ビリビリと体中を突き刺す殺気の中、それに耐えながらイノチはアルスへ視線を向ければ、いつのまにか手に持っていたナイフを握り締め、その手に蒼いオーラを纏わせているアルスの姿が目に映った。


そして…




ガガガッ!!


突然、イノチの目の前で蒼いオーラを纏った5本のナイフが止まった。


それも、防御障壁に突き刺さる形で、だ。


イノチは状況を飲み込めずに目を見開いて驚いていたが、アルスは構うことなく再び何本ものナイフを放ってくる。



「お…おわっ!?」



目の前の防御障壁が、突き刺さるたくさんのナイフで埋め尽くされていく。



(どこにそんな量のナイフを…こ…これ…やばっ…!!)



イノチがそう思った瞬間に、防御障壁に大きな亀裂が走った。


それを見て、イノチもセイドもエレナも驚きが隠せない。

その場にいた全員が、アルスの底知れない力量に恐れを抱いてしまう。


しかし、エレナは前に出た。


支えてくれたイノチを…そして、仲間たちを救うためにイノチの前に飛び出して、飛んでくるナイフたちを必死に叩き落としていった。


ナイフとエレナのダガー『ドラゴンキラー』が触れ合うたびに、小さな火花と金属音が鳴り響いては消えていく。



「エレナッ!!」


「大丈夫よ、BOSS!兄さんのナイフは見えてるから!」


「だけど…!」


「今は黙ってて!あと、少しずつ後退して…ハァハァ…このままじゃジリ貧なのよ…」



しかし、鳴り響く金属音の中、エレナの手数を少しずつアルスのナイフの数が上回り始める。


弾き返せなかった分のナイフたちは、エレナの体のところどころに傷を作り、そのままイノチの防御障壁へ突き刺さり、さらに亀裂を走らせた。



「アハ…アハハハハ!エレナ!やるじゃないか!前はこんな風に僕のナイフに対応できなかったくせに…」


「あたしだって…強くなってる…ハァハァ…BOSSといれば…もっと強くなれるのよ…」


「そうかい?それは喜ばしいね!でも…もうその必要はないんだ!諦めて僕と帰ろう!」



笑いながら、途切れることなくナイフを投げつけてくるアルス。


エレナは未だ届かない高い壁を目の当たりにして、改めて悔しさを感じていた。



(飛んでくるナイフの位置が綿密にコントロールされてる。兄さんは絶対にあたしを連れて帰る気だ…)



そう感じた瞬間だった。

突然、体の動きが鈍くなって呼吸がしづらくなる。

そして、エレナはその場に膝をついてしまった。



(なによ…これ…っまさか!?)


「エレナ!?どうしたんだ!」


「ククク…気づくのが遅いなぁ。」



心配するイノチをよそに、ナイフを投げ続けながらニヤリと笑うアルス。


その間にも、ナイフはエレナを避け、防御障壁へと突き刺さり続けている。



(くっ…麻痺の毒か…それとも魔法を仕込まれていたか…)


「まぁ、気づいててもお前に選択肢はなかったけどね…フフ」



アルスの言葉が耳に届くも、思い通りに動かない体は床に倒れ込んでしまった。


ナイフを防ぐ者がいなくなり、アルスはすでにヒビだらけのイノチの防御障壁にトドメの一つを放った。


ギィンッという音が鳴り、粉々に砕け散って光の屑となり霧散していく障壁の破片たち。


アルスは一度手を止めてそれを見送ると、イノチに語りかけてきた。



「さて…これで君を守るものはなくなった。まぁ、また同じことをしても結果はわかるだろ?君は頭は良さそうだから、その辺は理解しているよね。」



ナイフをクルクルと回しながら、そう語りかけてくるアルスに対して、イノチはこの場を切り抜けるために必死に考える。



(…ハンドコントローラーは起動しているが、何かを書き換える時間は確実に足りない。動けば奴は攻撃してくるはず…くそっ!防御障壁を貫くなんてどんな能力だよ!どうする…この絶望的な状況で、エレナとセイドを助けてこいつから逃げ切る方法…)



チラリとエレナを見て、そのままセイドにも視線を向けた。

セイドは自分が足手纏いになると瞬時に理解していたようで、邪魔にならない部屋の隅まで移動してくれていたようだ。


イノチは今の自分達に選択肢が全くと言っていいほどないことを呪った。



(だめだ…俺が動くためには、セイドが時間を作るしかない!だけど…そうなれば…くそっ!完全に気を抜いてた…ここは異世界という事実に慣れ始めてたんだ。)


「さぁ…君の口から結論を聞こう。そうすれば命だけは助けてあげるよ。」



悩むイノチを見て楽しげに笑うアルス。



「考える必要なんてないだろ?それとも何かい?仲間が死なないと理解できないタイプかな…君は?」


「ま…待て!!」



セイドへ視線を向けるアルスをイノチは必死に呼び止める。


だが、アルスはすでにナイフを構えており…



「少しくらい分からせてもいいか…な!」



そう告げたアルスから、3本のナイフがセイドに向けて放たれた。



「く…そっ!セイド!逃げろ!」


「うっそだろ!?」



イノチは必死に手を伸ばすが、ナイフに触れることは叶うはずもない。


放たれた凶刃は逃げようとする青い鎧の男へ吸い込まれるように飛んでいき、その背中に突き刺さ…



ギギギィィィン!!



「…!?」


「…?」



一瞬何が起きたのかイノチには分からなかった。

アルスですら少し驚いた表情を浮かべている。


その原因は弾かれた3本のナイフと、その前に立つ一つの人影だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る