さとりのしょ

よろずの

第1章 故事成語

第1話 治世の能臣、乱世の奸雄

三国時代の三英傑の一人である魏の曹操そうそうは、若くして機知きち権謀けんぼうに長じていたが、遊侠ゆうきょうを好んでいたために評判は良くなかった。

そんな曹操がある日、月旦評げったんひょうの権威であった許劭きょしょうを尋ねた。

月旦評げったんひょうとは人相見のことで、この時代の月旦評げったんひょうはその後の人生を左右するほどの重要なものだった。

許劭きょしょうは、曹操を一目見て、『子、治世之能臣、乱世之奸雄』と言ったらしい。



治世ちせい能臣のうしん』とは、『世が平和に収まっている時は有能な臣下となる』と言う意味だ。

乱世らんせい奸雄かんゆう』とは、『世が乱れている時は、狡賢ずるがしこい英雄になる』という意味に訳されることが多い。

が、『奸』というのは、そんな単純な意味ではない。

実は、『奸』の意味そのものは、『正道せいどうを犯す』というもので、そこから転じて『邪悪』という意味になったのだ。



『正道』とは、文字通り正しい道だ。

それを犯すのだから、『正道から外れるよこしまなヤツ』ということで『邪悪』となるのだが、ここで問題となるのが、邪悪になる時だ。

曹操は、治世では能臣になると言われ、奸雄になると言われたのは乱世だ。

つまり、曹操が『正道』から外れるのは、乱世ということになる。



治世だろうが、乱世だろうが、正道から外れるのは邪悪な存在だと考える人は、リスクマネジメントの何たるかを知らない。

緊急時の価値観の反転現象を知らない。

実は、乱世では、邪悪と言われる存在の方が、真の意味で正道になるのだ。



リスクマネジメントの詳細な説明は後々するから、ここではやらない。

ただ、リスクマネジメントのやり方は、治世と乱世では180度回転するのだ。

ここで、治世を平常時、乱世を緊急時と考えてみよう。



平常時におけるリスクマネジメントの最も良い方法は、規則やマニュアルに従うことだ。

規則やマニュアルは、先人の知恵が詰まっている。

これまでの経験で培われたもので、それに従うことが最善なのは間違いない。

だから、それに従って失敗したとしても、問題とされない。

別な言い方をすれば、規則やマニュアルは、個人の才能に基づく判断のバラつきを是正するためのものなのだ。



一方、緊急時におけるリスクマネジメントは、規則やマニュアルに従うことではない。

なぜなら、規則やマニュアルに従うことで失敗しないのなら、緊急時と呼ぶ必要は無いからだ。

つまり緊急時とは、従来の規則やマニュアルが通じない状況と言うことができる。

そんな時のリスクマネジメントは、当然ながら、従来の規則やマニュアルを無視し、自らが考える最善の判断で処理するということになる。



ここまで書けば、理解して貰えるだろう。

緊急時に、使い物にならない規則やマニュアル、つまり平常時の『正道』に固執する者が、最善の選択をすることができるだろうか・・・・。

曹操は、緊急時は『正道』、つまり規則やマニュアルに囚われずに動ける英雄ということになる。

乱世らんせい奸雄かんゆう』は、決して『邪悪』という意味ではない。

乱世に応じたリスクマネジメントができる優秀なリーダーという意味なのだ。



ここでもう一つ、緊急時の価値観の反転現象の視点からも考えてみよう。

あなたは命と財産と、どちらが大事かと聞かれれば、命と答える。

これは、普段の生活の中では財産を失うことを気にかけても、命を失うことは気にも留めていないからだ。

なぜなら、普段の生活の中で、命を失うような場面に出くわすと考えていないからだ。



が、一旦、災害に直面すると、その考えは一変する。

財産なんか顧みず、命が助かる方法を考えて、全力を尽くす。

命を失くすかどうかの瀬戸際の時に、現金や宝石なんかのことを気にしている人はいないだろう。

このメカニズムについての詳細な説明も後々するから、ここではやらない。



つまり、緊急時は価値観を反転させて乗り切らなければならない。

そんな時に、平常時の価値観に固執していればどうなるだろうか・・・・・。

洪水で流されそうな時に、現金や宝石を取りに行くような人の姿は、あなたの目にどのように映るだろうか・・・・・。



さて最後に、私の今の説明に、撞着どうちゃくがあることに気付かれた人がいるだろう。

規則やマニュアルに従って失敗したとしても、問題とされないと書いた。

どうして、規則やマニュアル通りにやって失敗したのか・・・・。

実はその時は、平常時ではなく、緊急時になっていたということなのだ。

そのことに気づかず、規則やマニュアル通りにやってしまったから失敗してしまったということになる。

実は、今が平常時なのか、緊急時なのか、明確に判別できる人は、殆どいないのが現実だ。

『治世の能臣、乱世の奸雄』と言われた曹操は、それも出来るということだろう。

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