3:旅の道連れ 2

 突然現れたその少女を、アイラは目をぱちくりさせて眺めた。

 身長こそアイラより少し高いだけだ。しかし手足はすらりと長く、望めばどこまでも伸びそうだった。ぶどう色の双眸そうぼうは、アイラをまっすぐ見つめている。

「その子、あたしのラクダなんだよねぇ」

「え、でもこれは盗賊たちが……」

「そうそう、盗まれちゃって、困ってたんだ」

 盗賊にラクダを奪われたというのだろうか。傀儡かいらい術を掛けられる前に出くわしてしまったのかもしれないが、その割に、ジャマシュの体には傷ひとつない。ラクダに乗った連中から、徒歩で逃げ切るなんて不可能だというのに。そんな疑問を察してか、ジャマシュは南の方角を指さした。

「あっちの方でね」

 洞窟が多い方面だ。

「洞窟の中で、体を拭いてるときだったんだぁ。あたし砂漠って初めてで、お風呂入れないの耐えられなくてさ。でもラクダと、もう一人の仲間は外で待たせてたの」

「もう一人? その人はどうしたの?」

「殺されちゃった」

 ジャマシュは寂し気に目を伏せた。

「こんなことなら、一緒に洞窟に入ってるんだったよ。恥ずかしいからって、あたしが、追い出しちゃったんだぁ。盗賊が通りかかるなんて思わないもん……」

 濡れたように目が光るのを見て、アイラは慌てて謝った。

 少し考えれば分かることだったのに、無神経な質問で傷つけただろうか。

「ううん、平気。だけど、ラクダだけでも取り返したくてさ、あとをつけてきてたんだ。そんなチャンスもなかったけどねぇ」

 パッと顔を上げたジャマシュは笑っていたが、アイラには無理をしているように見えた。気丈な笑顔が、幼い自分の泣き顔と重なり、さっき思い出したばかりの胸の傷が痛む。

 旅の仲間を失って、一人生き残る苦しさは、誰よりもよく知っている。しかも〈戦士団〉に助けられたアイラとは違い、ジャマシュは誰の助けも得られずにいたのだと思えば……。

「でも、あきらめなくて正解だった。君みたいなヒーローがいたんだからね!」

「えっ」

 面食らうアイラに構わず、ジャマシュは言葉を続ける。心なしかその瞳は、大粒の宝石みたいにキラキラしている。

「だってそうでしょ。ラクダだけでも取り戻せなきゃ、あたし、歩いて砂漠を越えようとして死んじゃうとこだった。それにかたきも取ってくれたし。あれだけの人数、あっという間に倒しちゃうんだもん、鮮やかで見惚れちゃったよぉ!」

「え、えと……」

 顔が熱くなる。多分、真昼の日差しのせいだけではなく。

 はたから見ても赤いだろうか。確かめたいが、残念ながら鏡がない。

 ヒーロー、だなんて、初めて言われた。

「あの! 砂漠は初めてだって言ってたね」

 話の変え方が不自然だっただろうか。だけどこれ以上見つめられては、体じゅうの水分が蒸発してしまいそうだ。

「一人旅じゃ大変でしょう。よかったら一緒に――」

「おい、アイラ」

 横から割って入った声は、日差しの降り注ぐこの砂漠にあって、ずいぶん冷たいものだった。

 見ればギュンツは、ローブのポケットに両手を突っ込み、不機嫌そうな目をよこしている。

「勝手に舞い上がって勝手に決めんな。オレは嫌だぞ、そんなうさんくさい奴連れてくの」

「う、うさんくさいって、どの口で言うのさ」

 舞い上がってなんてないよ、と否定しきれなくて、苦し紛れに言う。

「それにさ、ギュンツ。ジャマシュを置いて行けば見殺しにするようなものだよ。砂漠を一人で旅するなんて、よっぽど経験がなきゃ無理なんだから」

「連れて行った方が安全か? そうも言えねえだろ」

 言うなりギュンツはニコリと笑顔をジャマシュに向けた。笑顔ではあるものの、張り付けたような笑みは、かえって分かりやすく同行を拒絶している。

「不本意ながらこの旅は、刺客呼び寄せツアーになってる。さっきの盗賊どもにしたって、偶然出くわしたわけじゃねえ。一人で町へ向かった方が身のためかもしれねえぞ」

「ははっ、それはまた物騒だねえ。何やらかしたのさ、少年?」

 少年、という呼び方に、ギュンツが眉をピクリとさせる。それに気づいているのかいないのか、

「ま、事情は分からないけど、同行させてもらえるんなら嬉しいな」

 ジャマシュは困ったように眉を下げた。

「今のあたしの状況って、君たちについてって巻き添えで死ぬか、砂漠越えしようとして遭難して死ぬかっていう、究極の二択なんだよねぇ。あたし寂しがり屋だから、死ぬんなら誰かと一緒がいい」

「死なせるようなことしないよ。私が守ってあげるから」

 不安げなぶどう色に吸い込まれるように、アイラは思わず言っていた。後ろでギュンツが何かわめくが、聞こえない。「よかった!」とジャマシュがホッとしたように微笑むのが見えるばかりだ。

「あ、そうそう。食べ物ねだる気はないから安心してねぇ。荷物も戻ったことだし、ほら、商品のお酒もあるんだ」

 ジャマシュがラクダの鞍を手で示した。両側にひとつずつ下がっているのは酒樽らしい。誇らしげに樽に拳を当てる。

「一杯いかが? あたしにできるお礼なんて、これくらいしかないからさ」

「えっと、ううん。申し訳ないけど、お酒って飲んだことないんだ、やめとくよ」

 ジャマシュの明るさに押されるように、アイラは首をすくめた。身の周りに飲酒癖のある大人がいなかったので、これまで機会がなかったのだ。すげなく断るのは心苦しいが、自分がどんな酔い方をするか分からない以上、うかつに飲むものではないだろう。

「あ、でもギュンツは飲めるんじゃない?」

 本来は船乗りなのだとふと思い出して、アイラはギュンツを振り向いた。

 砂漠旅とは違い、船旅では水が腐るらしい。だから船には水代わりに、酒を積み込んでおくのだという。しかしギュンツが何か答える前に、ジャマシュがぷっと吹き出した。

「ええ~、少年はダメだよぉ。お酒は早いよ、まだ子供じゃなぁい?」

「あ?」

 ギュンツの目つきが鋭くとがった。

(あ、やばい)

 慌てて止めようとする間もなく、青白い肌に静脈が浮いた。さっき「少年」呼ばわりされたことも引きずっていたのだろう。すっかり臨戦態勢で、挑発的に笑う。

「誰が子供だ。てめえこそ、ずいぶん甘ったれたタマじゃねえか?」

「そうやって熱くなっちゃうところが、コドモだって言ってんのよ」

 二対についの目がかち合って火花を散らせば、砂漠の気温が少し下がったような気さえする。アイラは頭が痛くなった。

 ギュンツは子供扱いされるとすぐ神経質になる、というのは、なんとなく察していたことだ。アイラも何度か不機嫌ににらまれたことがある。

 一方ジャマシュは、視線も手足も言葉も、何もかもがまっすぐだ。ギュンツみたいにひねくれているよりいくらかマシかもしれないが、もう少し言葉を選べばいいのにと思う。

 今日別れて二度と会わない関係なら、存分に嫌い合って構わない。しかしアイラは、少なくとも次の町に着くまでは、ジャマシュを保護すべきだと考えていて……。

「ああもうっ、そんなにらみ合ってちゃ一緒に旅なんてできないでしょ! ほら、握手握手っ!」

「わわっ? やめてよアイラ――」

「おい、腕を引っ張るなって……」

 アイラは強引に手を握らせたが、そんなことで仲を取り持てるはずもない。二人ともすぐに振り払うだろう、と思っていたのだが、

「…………?」

 ギュンツが、ふと表情を消して黙り込んだ。

 思いがけず長い間、ジャマシュの手を握っている。当のジャマシュはもちろん、そうさせたアイラまで居心地悪くなり始めたとき、ギュンツが、考え深げにつぶやいた。

「若い女の手だ」

 次の瞬間、ギュンツの体がふっ飛んでいた。


 アイラの目に見えたのは、長い腕が蛇のように伸びてギュンツの喉に吸い込まれて行くところだった。目視していながら止められなかったのは、それが攻撃だと気づくのが遅れたからだ。

 殺気を、感じなかった。

 それは、手心を加えた技だったからだろうか。

「少年。そういう発言は、あと十年くらい年取ってからにしようねぇ」

「ッ、ゲホ……!」

 砂の上に身を起こしたギュンツは、口に砂が入ったようだが、それ以外にたいしたダメージはないようだ。

「ギュンツ、だいじょう――」

「……は。やってくれんじゃねえか」

 駆け寄って助け起こそうとするアイラの手を払い、自分で立ち上がる。

 口元をゆがませて笑みを浮かべたところを見ると、なにやら火がついてしまったらしい。

「どーいたしまして、たいしたことしてないけど」

「酒好きそーなおまえにプレゼントだ。酒に酔えなくなるクスリと、下戸になるクスリ、どっちがお好みだ?」

「お礼なんていいのに。なんならもう一発、次は顔面に食らわせたげよっかぁ?」

 ジャマシュってもしかして、自力で盗賊倒せたんじゃない?

 そしてギュンツ、何を食べて育てばそんな陰険な発想になるのか。

「おいアイラ、荷物から縄を取ってくれ。そいつそこの岩にしばりつけてく」

「ははっ、やってみなよぉ。縄抜けくらいできるんだからね~」

 血の気の多い二人にはさまれて、アイラは頭を押さえため息をついた。

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