2:クスリ使い 3

 最上階の部屋は、酷いありさまだった。

 八角形の床一面にギュンツの荷物が散乱している。

 手当たり次第に放り出された道具類、鞄からあふれる小瓶。薬草や謎の粉末が部屋じゅうに小山を作り、砂漠に向け開いた大きな窓から吹き込む風に音を立てる。

 極めつけは、部屋の真ん中に川のように横たわる、フラマンの秘伝書。

傀儡かいらい術に使われたのは、秘伝のクスリ、だと言ったろ?」

 足の踏み場もない中、ギュンツが器用に部屋に踏み入り、巻物を拾い上げる。

「術薬のレシピはこの巻物にあった。成分と効能さえ分かれば、解毒薬を作るのは難しくない。クスリってのは人体に干渉して効果をおよぼすモノ。それを解くには、真逆の干渉の仕方をしてやりゃいいワケさ」

 簡単に言うが、とんでもないことだとアイラは思う。

 その巻物を手に入れるまでは未知のクスリだったはず。それをたった数日で、『真逆の干渉』ができるほどに理解するなんて。いや数日どころか、ギュンツが傀儡術の章を細かく読み込んだのは、この部屋に逃げ込んでからのことじゃないのか。盗賊に囲まれ、移動するよと言うアイラに、まだ読んでいる途中だとごねたことを思い出す。

 クスリ使い。

 それがなんなのか、ギュンツは説明しなかった。しかし確実にいえるのは、薬や毒について膨大な知識を持ち、望むままに扱える人間を指すということだ。

 荷物を壁際に寄せたギュンツが手招きしたので、アイラは考えを中断し、一人生き残った盗賊の男に意識を向けた。

 三十代くらいの、体格のがっしりした男だ。ターバンがずれて肩に落ち、禿げ頭があらわになっている。縄でぐるぐる巻きにされながらも威勢がよく、「ここはどこだ」「何しやがった」と悪態交じりにわめいている。ギュンツは盗賊を床に座らせ、にっこり笑ってその肩に手を置いた。

「それだけしゃべれりゃ十分だな。せっかくお近づきになれたんだ、お話しよーぜ、おにーさん」

「ちょっと、ギュンツ」

 そんな不用意に近づいて、縄抜けされたらどうする気か。しかしギュンツは「平気だよ」と笑みを広げる。

「さっきの解毒薬にゃ、しびれ薬を混ぜてあるんだ。動けねえだろ?」

 言って、盗賊の禿げ上がった額を楽しげにつつく。悔しそうにギュンツをにらみ上げる盗賊の男。

「待って、ギュンツ」

「なんだよアイラ?」

「しびれ薬? さっき、私もあの場にいたんだけど」

「ああ。だから息止めろって、教えてやったろ?」

 首をかしげるその顔には、アイラを巻き込みかねなかった罪悪感など欠片もない。

 その態度に顔をしかめたのはアイラだけではなかった。うるさかった盗賊が、険しい顔で黙り込む。

 不安になるのも当然だろう。目の前の少年がどうやってか自分の自由を奪い、しかもその性格は決して思慮深い人格者とはいえないのだから。

 何をされるか分からない、というのは、時には分かりやすい拷問器具を見せつけるより効果がある。

「さぁて」

 と、ギュンツが薄く笑って盗賊の前に立ったときには、盗賊の目から反抗的な色は失せていた。

「おまえら最近、誰かに酒をおごられなかったか? 酒でも飯でも、とにかく口に入れるものだ」

「そういや……クジの酒場でそんなことがあったな。商売が当たって大儲けしただか、親が死んで遺産が入っただか、とにかく金があるらしく、景気よく周りに酒を振る舞ってる奴がいたんだ」

「どんな奴だった?」

「さあな。会ったことのない奴だ」

 なぜか盗賊は、目を泳がせて口ごもる。

「印象くらい答えられるだろ。男か女か、若いか年寄りか。それとも、口が軽くなるよう手伝ってやろうか?」

 ひげ面をペチペチと叩くギュンツに、盗賊は慌てて言った。

「ほ、本当に知らない! 覚えてないんだ」

「覚えてない?」

「頭にもやがかかったようで、無理に思い出そうとすると……うッ」

 突然その体が、ムチでも食らったようにビクリと震えた。二人の目の前で、しばられた男はガタガタと音が鳴りそうなくらい痙攣けいれんし、うずくまる。

「うっ、うう、うぐぐぐぅぅ!」

「様子が変だ。ギュンツ、下がって!」

 アイラは腰の剣を抜いた。またおかしくなって、襲いかかってくるかもしれない。

 盗賊はしばらくうめいていたが、不意にむくりと起き上がった。

 白目をむき、泡を吹いている。その口から、聞き取りづらい言葉がもれ出る。

「おのれ……ギュンツ……小童め……!」

(何、この声——)

 アイラはぞくりとして、剣を握る右手に力を込めた。ドロっとした黒い泡が弾けるような異様な響き。さっきまでと同じのどから発せられているとは思えない。

「暗示の、続きだ」

 背後でギュンツが言う。

「フラマンの奴、二重の暗示を掛けてたんだな。接触者の姿を思い出したら発動する術を。……しかし、名指しとはね。どこでオレの名を知ったのか——」

 いぶかしげにつぶやく声は、傀儡の声に掻き消された。

「このフラマンに対する無礼千万……さらには秘伝の巻物を盗み出すとは、おぬしの所業万死に値する。けがれた盗人の血を巡らすその心臓、喉から引き出し砂塵にさらしてくれようぞ! 、覚悟……しておれ……!」

(は!?)

 聞き返す暇もあればこそ。

 盗賊は倒れ、その衝撃で、出しっぱなしにしていた薬材の山が崩れた。

 うつ伏せの顔から血混じりの唾液が床に筋を引くのを、呆然と見つめるアイラを押しのけ、ギュンツが前に出る。

「あ、ちょっと……」

「もう死んでるよ」

 盗賊の脇にしゃがんだギュンツは、死体を見るのは初めてではないのだろう。死体の手や顔を調べる背中からはなんの動揺もうかがえない。むしろ戦士であるアイラの方が取り乱しているありさまだ。

(いけない、しっかりしなきゃ)

 アイラは呼吸をひとつして、ギュンツのそばに駆け寄った。

 仰向けにされた顔を見れば、血は口から出ているだけではない。目の端にも血涙けつるいが泡立っている。不気味な死に顔にギュンツの顔が重なって、アイラは不吉な予感に身震いした。

「術が発動したら死ぬよう仕組まれてたらしい。口封じだろうな」

「こんな呪法じみたやり方で人が死ぬなんて。君、泥棒なんてするからこんな危険な相手に狙われるんだよ。どうにかして巻物を返そうよ」

「今さら返したって意味はねえよ」

 ギュンツは気だるげに立ち上がった。

「フラマンは巻物の回収よりオレの抹殺を優先した。肝心の巻物が、暴走した傀儡に壊されるかもしれないにもかかわらず。なんでだと思う?」

「それだけ君に怒ってたからじゃないの?」

「ちげえ。知る者が少なければ少ないだけ、持つ者に力を与える——それが知識の、性質だからだ」

 一度仕舞った巻物を懐から取り出す。軸の先の金の房が、窓からの日の光に神秘的に輝く。

 もしもアイラが巻物の中身を全て読み、完璧に理解してしまったら、神秘性は失われてしまうのだろうか。

「フラマンは、力を失うことを恐れてる。魔術師の皮をはがれ、インチキを見抜かれることを。だからこの巻物を少しでも読んだ奴を決して許さない。オレのことも、アイラのこともな」

「って、なんで私まで」

「オレの連れなら巻物を開く機会はあるって思われたんだろ。実際、ちらっとは読んだわけだし?」

「それはギュンツが見せてきたから……」

「ああそうだな。オレのせいで厄介な奴に目ぇつけられちまって申し訳ない」

 やけに素直に謝るので、不気味に思って顔を見れば、ギュンツは安心させるような優しげな微笑をアイラに向けていた。

「だが大丈夫、こっちの手元にゃ奴の巻物があるし、クスリ使いとしちゃオレのが上さ。、なーんの心配もいらねえよ」

 あ……。

 巻物を見せたのは、わざとか。

 作り笑顔を見て確信したアイラは、馬鹿馬鹿しくなってため息をついた。

「君って他人に首輪をかけなきゃ安心できないタイプ?」

「何?」

「運命共同体にでもならなきゃ、私が仕事を放って逃げると思った? そんな回りくどいことしなくても、砂漠の戦士の誇りに懸けて、依頼人を見捨てたりしないから!」

 アイラの言葉に、ギュンツは珍しい生き物でも見るように目を丸くした。理解できない、とばかりにため息をつく。

「めんどくさいもん背負ってんなぁ」

「それが私のゆずれないものなの! でも、ひとつだけ条件があるよ」

「条件? いいぜ、言ってみろよ」

 うながすギュンツに、アイラは手を差し伸べた。

「服脱いで」

「は」

 ギュンツがあとずさる。が、その逃げ足の速さは経験済みだ。アイラは逃げようとする腕をつかまえると、だぼついたローブを背中からひんむいた。

「うわっ何しやがる返せよ変態!」

「君だって私のマントをめくったでしょうが」

「依頼人を追いはぐ用心棒がいるか!」

 暴れるギュンツを片手でおさえ、はぎ取ったローブを上下にゆする。

 ばっさばっさと振るわれるローブ。

 じゃっらじゃっらとこぼれ落ちる宝石。

 チッと舌打ちするギュンツ。

「やっぱり」

 アイラは軽くなったローブをぶら下げ、ギュンツをにらんだ。

「さっき死体を調べるフリして、盗賊の服からかすめ取ってたでしょう。これだけの量を隠し持つなんて、君にもそいつにも驚きだけど」

「はん。ここに転がしといたって、砂にまみれて朽ちるだけだろ。持ってってやった方が親切ってもんだ」

「あのねえ、盗品をネコババしたなんて軍警察サジャーニにでもバレてみなよ。盗賊の仲間とみなされて死刑だよ? 他にもあるでしょ、盗んだものは全部戻して。それが用心棒を続ける条件!」

「そーかよ」

 ギュンツは乱暴にローブを取り返すと、フードの内側から血に汚れた金貨を数枚取り出した。投げやりにアイラに放れば、金貨は涼しい音を鳴らしてアイラの手に収まる。

「ったくマルジャーンの野郎、こんなわからずや紹介しやがって」

「こっちのセリフだね。生きてファル・バザールに帰れたら、二人でマルジャーンさんに直訴しようか?」

 悪びれないギュンツに呆れながら、アイラは言って、金貨を手の中で転がした。

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