砂漠の戦士アイラ

矢庭竜

依頼人の少年

1:厄介な依頼人 1

 直射日光をできるだけ排除した、窓の少ない城内とはいえ、昼間の砂漠の真ん中だ。

 アイラは体のほてりを逃がそうと、石の壁にもたれかかった。マント越しに冷たさが伝わってきて、気持ちがいい。

 今から八百年も前、ファルナ黄金時代に建てられた城だ。しかし百年ほど前に打ち捨てられ、誰にも住まわれなくなった。石造りの壁は簡単に風化などしないが、廊下には、小さな窓から入りこんだ砂が降り積もっている。砂は風の通り方によって、ある場所では川のように流れ、ある場所ではダムのようにせき止められる。

 いずれここも砂漠の一部として、ただの砂の通り道になるのだろう。

(こんなに立派な建物でも、自然に還るのだな)

 一瞬、仕事を忘れて、ため息をつくアイラだったが――。

 ふと視線を動かし、見つけてしまった。

 廊下に降り積もった砂に、真新しいブーツの足跡。足跡の主はいくつかの部屋に立ち寄りながら、先へ先へと進んだようだ。

 足跡を発見するのは三度目だった。途中で見失って、探すのをあきらめかけた頃に、また現れる。先ほどとは違う種類のため息が出る。

(どの廊下に砂が積もってるかなんて、知らないはずだけど……性格の悪いあの子のことだし、わざとやってる可能性が高いね)

 壁にもたれたまま、アイラは不機嫌にうめく。

 しかし、見つけたからには追わなければならない。アイラの仕事は、あの子の案内人兼、護衛なのだ。そばにいなければ職務怠慢だ。

 しばらくあとを追うと、足跡は廊下に並ぶ戸口のひとつに吸い込まれていた。その部屋から出て行った様子はない。そっとのぞき込む。

 いた。

 暗い部屋に、少年が一人立っている。

 ほこりだらけの本棚に向き合い、古びた本のページに顔をうずめている。床に散らばる陶器の破片は踏みつけ、すぐそばのベッドに眠る部屋の主の白骨死体すら、気にかけていない。

 一心に、本だけに、集中している。

 無防備に、部屋の入口に背を向けて。


「ギュンツ」


 はっ、と。

 アイラの声に、ギュンツがこちらを振り返った。

 警戒に見開かれた薄青い目。青白い肌と、首元に残る刃物傷。この廃城に棲む幽霊だといわれれば信じてしまいそうな、儚い雰囲気がある。

 ……黙ってさえいれば。

「なんだ、おまえかよ、アイラ」

 ギュンツは戸口にたたずむアイラを認識するや、意地悪く目を細めて笑った。持っていた本を足元に投げ捨てると、ローブをひるがえして、本棚に背中から勢いよくもたれる。

 小柄な体を補うように、動作も態度もいちいち大きい。赤茶の髪にほこりが降るのを、かすかにでも気にするそぶりも見せず、皮肉たっぷりの笑みをアイラに向けた。

「案内人が、雇い主をほっぽってどこ行ってたんだ? おかげさまで、自由に書架しょかを見て回れたが」

「勝手にいなくなったのはギュンツの方でしょう。城に入ったところで待っててって、言ったのに。それから……」

 と、アイラはマントをめくり、腰に下げた剣を見せた。

「私は案内人である前に、用心棒なんだからね? こういう廃城は、盗賊のアジトになりやすいの。最近使われた形跡がないか調べるのは、防衛の基本だよ」

「あーはいはい。オレはどうやら、案内人兼、用心棒兼、説教係を雇っちまったようだな」

 わざとらしくため息などつきながら、本棚の物色を再開するギュンツ。適当に手の届くところにある本を抜き取り、ページを開く。もはやアイラを見てもいない。

(ため息つきたいのは、こっちの方だ)

 抗議の視線を向ける気もそがれ、アイラは床の上を舞う砂ぼこりに目を落とした。

 ああ、マルジャーンさんの紹介だからって、気軽に引き受けるんじゃなかった。〈戦士団〉から独立して初めての仕事が、こんな横暴な、わからずやの世話だなんて!

 アイラは砂ぼこりを目で追いながら、五日前の出来事を苦々しく思い出した。


          ***


「いらっしゃい、旦那! 安いよ、見てってよ!」

 五日前のファル・バザールは、いつものようににぎわっていた。

 通りの両側に並ぶ露店。聞こえるのは歌うような売り口上に、活発な値切りの声。ラクダを連ねた隊商つどう東の果てのこの都市では、宝石に香辛料、絹にサテン、手に入らないものは何もないといわれる。

 しかしアイラはというと、お金がないので何も買えずに、

「おなか、すいた……」

 空腹を抱え、露店のすき間に座り込んでいた。

 節約した生活にも限界が近づき、もうその朝は、パンを一口かじっただけだった。台車に満載の色鮮やかな果物、空気に混じる香辛料のにおいが、ますます空腹を掻き立てる。逃れるように顔を伏せれば、代わりに視界に入るのは、土ぼこりを立てて慌ただしく歩く、足、足、足。そんな中で、

「どうしたのさ、アイラ。せっかくファル・バザールにいるってのに、そんな顔してちゃツキが逃げてくよ」

 華やかなサンダルが一足、目の前で立ち止まった。

 顔を上げればそこにいたのは、長い髪を垂らした背の高い女性。空腹もあいまって泣きそうになりながら、アイラは、その人の名を呼んだ。

「マルジャーンさんっ」

「おやまあ、ぶっさいくだねえ。女の子なんだから、可愛くおしよ」

 マルジャーンは、紅墨べにずみで縁取られた目を細めてくすくすと笑った。

 二十四歳のマルジャーンは、ファル・バザールでは評判の紹介屋だ。同業の古狸たちをしのいで、かなり稼いでいる女狐――などとやっかみ半分に呼ばれることもあるが、長いつき合いのアイラからすれば、その顔の広さも交渉術も、意外ではない。

 人をよく見ているし、勘が鋭いのだ。このときも、

「ははあ、わかった」

 顔を見ただけで、アイラの状況をずばり見抜いた。

「あんた最近、〈砂漠の戦士団〉を独立したんだってね。したはいいけど、用心棒の仕事がないんで、食いっぱぐれてるんだろう」

「ううっ。なんでわかるのさぁ……」

 アイラはうめきながら、膝に顔をうずめた。

 都市同士の間にある広大な砂漠は、盗賊や野獣の住処となっている。〈砂漠の戦士団〉とは、その危険な砂漠で、隊商の護衛や盗賊退治をする戦闘集団だ。

 アイラも所属し、剣の腕を役立てていたが、一月ひとつき前に独立。

 以来、一件も仕事をしていない。

 一件も。

 もちろん、用心棒の看板を出しておしまいにしているわけではない。西に護衛を求める旅人がいれば駆けつけ、東に出発まで幾日の隊商があれば飛んで行った。仕事を申し出るためだ。しかし結果は、いつも同じ。

『うちでは間に合ってる、よそへ行きな』

 冷たい目で、そうでなければ馬鹿にするような目で、断られる。子猫でも追い払うように手を振る人までいた。この一ヶ月間の出来事を思い出せば、情けなさに消えてしまいたくなる。

「私だってちゃんと戦えるのに。一体、何がダメなんだろう……」

「うーん、そうだねぇ」

 いじけた顔で、日に焼けた黒髪のおさげを引っ張るアイラを、マルジャーンは、紅を塗った唇に長い指をそわせ見下ろした。しばし考え、

「見た目だろうね」

 無慈悲に言う。

「見た目って!? 見た目なんて、護衛の仕事に関係ないよ!」

「でもねえ。あんたが強いってこと、私は知ってるけどさ、見てくれは、ただの十六歳の小娘だもの。荒事を任せるのが不安になる気持ちも、分かるだろ」

「そ、それは……」

 自覚がない、わけではなかった。

 成長途中の低い背に、細い腕。深緑の瞳は黒目を大きく見せ、丸顔をさらに幼くする。笑うと童顔が際立つので、いつも口を結んで目を吊り上げていれば、それがますます「愛嬌がない」と人を遠ざけていることも知っていた。

 どうしろというのだ。

 むっつり黙り込んでしまったアイラを気遣うように、マルジャーンが声音をやわらげる。

「食べないとますますせっぽちになるよ。一度、里帰りしたらどうだい? 独立したといっても、追い出されたわけじゃないんだろ」

「……帰らないよ」

 アイラはかたくなに首を振る。

「おなかすいたから帰るって、子供の家出じゃないんだから!」

 と、胸を張った直後、


 ぐきゅるるる~~~


 最悪のタイミングで、腹の虫が鳴いた。

 うつむいたら負けだと思い、微動だにせず姿勢を保ったものの、顔が真っ赤なのは鏡を見なくても分かる。マルジャーンも、可笑しそうに吹き出した。

「意地っ張りだねえ、自分のおなかを見習いよ。まあ、顔見知りのよしみだ、これあげる」

 マルジャーンは手提げ鞄から布包みを取り出すと、無造作に放った。

 慌てて受け取って包みを開けば、それはつやつやのリンゴだった。アイラは手の中のリンゴとマルジャーンとを、せわしなく見比べた。

「え、た、食べていいの……?」

「ああ、お食べ」

「わあい! ありがとう、マルジャーンさん!」

 礼を言って、夢中でかぶりつく。みずみずしい果物なんて、もうずっと口にしていない。じゅわっと口に広がる果汁で、体の隅々まで満たされるようだ。リンゴの芯までなめ上げて、ちょっとはしたなかったかなと照れ笑いしながらマルジャーンの顔を見上げると、マルジャーンは聖母のごとき微笑をアイラに向け――

 いや聖母というよりかは、獲物が罠に落ちたのを見た猫のような、余裕たっぷりな微笑を向けていた。

「食べたね?」

「……マルジャーンさん?」

「それ、実はね……遠方から来た友人がくれた、とても高価な品なんだ」

「ウッソだあ!」

 と、思わず立ち上がって抗議する。

「もらっておいてなんだけど、ただすっぱいだけのリンゴだったよ!? むしろ安物だったんじゃ――」

「高級なものは高級なんですぅ。食べたからには、お礼をしてもらうよ」

「ずるい! 卑怯だ! 横暴だ!」

「まあ聞きなって、あんたにも、悪い話じゃないからさ」

 苦笑するマルジャーンに、アイラは眉をひそめてみせた。話が見えない。

「依頼人を紹介してやるって言ってんのさ、特別に無料でね」

 マルジャーンは華麗に、ウインクをひとつ。

「そのリンゴくれた友人が、案内人を探してるんだ。砂漠の廃城巡りをしたいんだって。どうだい、興味出てきたんじゃないかい?」


          ***

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