第37話 王子様なんて・その六

 目の前で体操服姿の男の子が笑っている。


「野々山、今度のマラソン大会がんばろうな!」


「うん。そうだね」


「それでさ、もしも野々山も十位以内に入ったら……、俺たち付き合わないか?」


 男の子の口から、予想もしてなかった言葉がこぼれる。


「え? なんで?」


「は? なんでって……、なにかご褒美があった方が、がんばれるだろ?」


「そうだけど、なんでアンタと付き合うことが、ご褒美になるの?」


「え? だって、俺と付き合えるんだぞ?」


 ……ああ、そうか。

 クラスの女子から、王子様なんて言われてチヤホヤされてたから、なにか勘違いしてたのか。


「悪いけど私、足が早いだけの人に興味ないから」


「な……!」

 

 男の子がどんどん赤くなっていく。


「……っせっかく、俺が好きだっていってやったのに!」


 それから、わざとらしく足を踏み鳴らした。恩着せがましい言葉を口にしながら。

 面倒くさいと思っていると、辺りの景色がグルリと回った。


 いつの間にか、辺りの景色は放課後の教室になっていた。

 目の前では、中学の制服を着た男子生徒が書類をまとめている。

 たしか……、私が一年のときの生徒会長だ。

 

「手伝ってくれてありがとう、野々山さん」


「いえいえ。私も生徒会の一員ですから」


「そう言ってくれると助かるよ。じゃあ、もう遅いから作業はここまでにして、帰ろうか」


「はい。お疲れ様でした」


「うん、お疲れ。そうだ、手伝ってくれたお礼に、今日は家まで送っていくよ」


「いえいえ、大丈夫ですよ。それに、友達が図書室で待ってますし」


「そうか。それなら……」


 不意に、生徒会長が目の前まで近づいてきた。


「……会長?」


「こんなお礼はどうかな?」


 そんな言葉とともに、頬に手がそえられる。

 ……そうだ。

 この人も、周りにチヤホヤされすぎて、おかしくなってる人だったな。


「離れてくださいっ!」

 

「っ!?」


 頬を思いっきり叩いてやると、生徒会長はおもしろいくらい派手にふっとんだ。


「な、なにをするんだ!? 野々山さん!」


「それは、こっちのセリフですよ。いきなり、なにをする気だってんですか?」


「なにって……、君も俺に憧れて生徒会に入ったんだろ?」


「いえ、内申点が欲しかっただけです」


「……」


 不服そうな目がこっちに向けられる。


「そんな顔しないでくださいよ。会長も受験を控えてるし、大人しくしててくれれば、騒ぎにしたりは……」


「……ゆるさないからな」


 生徒会長は私の言葉も聞かずに、そう吐き捨てて教室を出ていった。

 このあと、上級生の女子から、ちょっと嫌がらせを受けるようになったんだよね。

 まあ、サキにまで手を出そうとしたから、首謀者を含めて徹底的に返り討ちにしてやったけど。


 そんなことを思い出しているうちに、また景色がぐるぐる回転した。


 そのたびに、運動部のエースのやつだとか、成績が学年一位のやつだとか、学校で一番モテるというやつだとか告白してくる。

 自信過剰に、上から目線で。


 私が断るたびに、そいつらは顔を真っ赤にして、悪態をついて去っていく。


 ……ああ、これ、走馬灯か。


 なんで、こんな面倒な場面ばっかり出てくるかな……。

 せっかくなら、サキとの思い出を見たいのに……、でも無理か。

 あんなに、酷いことを言ったんだから。



「ミカエラ、準備はいいかな?」


 不意に聞こえた声に、目が覚めた。

 声に顔を向けると、平和条約の文面を確認するふりをしながら、目くばせをするダイヤと目があった。


 共同宣言みたいなのが退屈で寝てたみたいだけど、もうそんな時間なのか。


「大丈夫ですよ、ダイヤ様! 準備はバッチリです!」


 テレパシーを返すと、ダイヤは笑みを浮かべた。


「それはなによりだよ! さあ、僕たちの理想郷の実現まで、あと少しだ!」


「はい! 全力でがんばりますね!」


「それは、頼もしいね。ああ、そうだ、まさかとは思うけど……、ここに来て裏切ったりしないよね?」


「……当たり前じゃないですか!」


「ふふふ、そうだよね。この僕が特別に、あれだけ目をかけてあげたんだ。その恩を忘れたりするはずないか」


 あー……、また恩着せがましいセリフか。

 短い人生だったけど、本当にこんなことばっかりだったな……。


 まあ、でもいいや。

 サキのことは、これで助けられるんだから。

 それに、どさくさに紛れて、キスだってできたんだし、うん、わりと良い人生だったよね。


 我が人生に、ちょっとしか悔い無し!


 さあ! 終わりに向かって全速力だ!

 


「……ダイヤ殿、署名の手が止まっているようだが、文面になにか間違いでも?」


 ギベオンがダイヤに向かって声をかける。


「……ふふふ。そうだね、こんなふざけた条約、間違い以外のなにものでもないよ!」


 ダイヤが不敵な笑みを浮かべて条約が書かれた書面を破り捨てる。


「……な!? ダイヤどの、一体なにを!?」


「あはははは! そんなに驚かないでくれよ! この僕率いる光の勢力が、貴様らのような卑しい闇の勢力なんかと、本気で手を結ぶはずないだろ!」


 驚くギベオンに向かって、ダイヤが悪態をつく。


「さあ、ミカエラ! 君の聖なる光の力で、この見るのも汚らわしい物たちを殲滅してくれ!」


 ダイヤがこっちに向かって、歪んだ笑みを向ける。


「はい! ダイヤ様!」


 私も精一杯の愛想笑いをダイヤに向ける。


 さて、あとは究極魔法でサキを元の世界に帰すだけだ。

 それで、裏切った私はダイヤに処刑される。

 ギベオンやヒスイなら、そのすきにダイヤをどうにかできるだろう。

 それで、いやなやつらが全員痛い目を見て、めでたしめでたし。

 

 それなのに――

 

「ミカエラ? なにをモタモタしているんだい!?」

 

 ――まだ、少し期待してる。


 ヒスイがことあるごとに人形の頭をなでてたけど、シークレットボイスが再生する規定回数には一回分足りなかった。


「ミカエラ! 早くするんだ!」


 サキが人形の頭をなでてくれるはずもない。


「この僕を裏切る気かい!?」


 だから、シークレットボイスが、再生されるはずなんてない。


 それでも、大広間の扉が開いて、息を切らしたサキが駆けつけてくれる。

 そんな、都合の良い期待が捨てられない。


 でも――

 

「ミカエラ! これ以上モタモタするなら、裏切りと見なして今すぐに……」


「……もう、そんなに急かさないでくださいよ! 今、究極魔法を使いますから!」


 ――これ以上ひきのばして、ムダ死にするわけにはいかないか。



 ……バイバイ、サキ。

 私のいない世界で、どうか穏やかで幸せな人生を送ってね。



「光の力よ、今ここに集まって、サキを元の世界に……」


  バタンッ!


「ちょっと待ったぁ!」


 突然、扉が開く音と叫び声が大広間に響いた。



 こんなこと、起きるはずない。


 それなのに――



「ミカ! 色々ともの申したいことがあるから、ちょっとそこで待ってて!」



 ――現れたのは間違いなく、闇の元帥の姿をしたサキだった。

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