生きていた陰獣

冷門 風之助 

陰の1

◎この一編を偉大なる先達、江戸川乱歩氏に捧げる◎


『ダンナ、出て来たぜ』

 運転席からジョージが声を掛けた。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 時刻はもう午後十時をとっくに過ぎていた。

 俺は身体を起こし、ワンボックスカーの後部座席で身体を起こすと、ウィンドを開けて目を凝らした。

 本駒込の裏町にあるマンション・・・・いや、そんなに御大層なもんじゃない。

 ジョージのワンボックスカーは、そのマンションの丁度真向かいの路肩にせって止めてあった。

 都合3時間がところ、俺はマンションを見張っていた計算になる。

 いや、正確には4日と3時間、ここを張り込み続けているのだ。

 一部屋2DKがいいところ、家賃は三万五千円がせいぜいという、賃貸物件だ。

 そこの道路に面した二階の角部屋、今しもそこのドアが開き、一人の男が出て来た。

 まだ若い。青年というよりは、少年のように見えた。

 身長は恐らく165センチほどだろうか。痩せているのは分かったが、顔は半分を(今流行はやりの)白いマスクで覆い、妙にフレームの太い、濃いレンズのサングラスみたいな眼鏡をかけて、尚且つ頭にはグレーのニット帽を被っている為、表情迄ははっきりと読み取ることは出来ない。

 茶色の皮ジャンを羽織り、濃い緑色のプルオーバーという、今時の若者と全く変わらない服装だ。

 彼は廊下を歩き、とっつきにあるエレベーターで下へと下る。

 一階に出て来た彼は、少し前かがみになりながら、マンションの前の駐車場に向かう。

 上に居た時は見えなかったが、下半身もジーンズにスニーカーという、これまたどこでも見かけるスタイルだ。背中に迷彩柄のザックを担いでいる。


 彼は辺りを注意深く見まわしながら、向かい側の歩道を歩いて行く。

 こっちの存在には気づいていないようだ。

 路肩に立ったまま、辺りを見回していると、

”空車”のサインが出ているタクシーが通りかかった。

 手を挙げ、車を停める。

 車が走り出したのを見定めてから、俺は、

『やってくれ、ナンバーは覚えたな』

『当たり前だよ。プロだぜ、俺は』

 ジョージが答える。


 タクシーは制限速度を守りつつ、大通りへと出た。

 ジョージも付かず離れず、その後を漬けた。

『嫌に重武装だが、然し痩せっぽちで陰気な感じだな。本当にあいつが・・・・』

 ジョージが二本目のラッキーストライクに火を点けながら言った。

 俺は何も答えず、黙ってウインドを下げ、煙草の煙を外に逃がし、ルームミラー越しに奴の顔を睨んだ。

『へぇへぇ、余計なことは申しません。黙って付けますさ』

 首をすくめ、ジョージは前を見て、アクセルを幾分か踏み込んだ。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 その女が俺の『乾宗十郎探偵事務所』にやってきたのは、今から丁度二か月前、まだ一月の末の寒い日の事だった。

『青山弁護士の紹介で参りました』

 彼女は少し小さな声でそう言い、

”弁護士、青山澄江”と書かれた名刺を出した。

 一日前、確かに当の弁護士から俺のところに、

”相談に乗ってやって頂戴”という電話を貰っていた。

 彼女は地味なブラウンのジャケットにグレーのタートルネックのプルオーバー。

そしてセミタイトのスカートにジャケット、紺色のパンプスという、至って目立たない恰好をしていた。

 顔立ちは、美人である。とはいっても、もう中年を過ぎているようだから、年相応というところだろう。

 身長は160センチほど、その年代の女性としては身長はあるが、体形は御世辞にもグラマーとは言い難い。しかしみっともなく痩せているという感じでもない。

 昔金澤碧という女優がいたが、敢えて似たタイプを探すとすれば、あんな雰囲気を想像してくれるのが早道だ。

 俺が出してやったコーヒーにちょっと口をつけ、それからまた下を向き、次の言葉を出そうと迷っているように見える。

『初めにお断りしておきます。私は法律に反しておらず、かつ反社組織とも無関係で、それから離婚や結婚に無関係な依頼でないと受け付けません。その点はご存知ですね?』

 彼女は小さく頷き、

『ええ、その辺は青山弁護士から良く聞いています。離婚とも結婚とも無関係です。ただ私は家庭を守りたいだけなんです』

 やっと言葉を引き出し、彼女はまた下を向き、10秒ほど黙ってから、

『私、男につけまわされているんです。』

 か細い声でそう言った。

 

 彼女の名前は小出亜矢子こいで・あやこといい、年齢は47歳、夫は4歳年上で、某大手会社外資系クレジットカード会社の日本支社の営業部長。

 二人の間には男の子が二人と女の子が一人の、合計三人の子供がいる。

 亜矢子は夫や子供と共に世田谷に住んでおり、週三回、家の近くのスーパーにパートに出るくらいで、後は普通の専業主婦をしているという。

『詳しくお話を伺いましょう。依頼を受けるか受けないかはそれからという事で如何ですか?』

 俺の言葉に、彼女はまた一口コーヒーを啜り、それからゆっくりと話し始めた。

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