第179話 トンネルの中へ


 翌日。

 

 レジャーに使いそうな道具や着替えなどを詰め込んだバックを背負って両手に持って……荷物まみれとなった俺とテチさんと、小さなリュックだけを背負ったコン君とさよりちゃんの四人は我が家の前の庭で、送迎バスの到着を待っていた。


 獣ヶ森の中であれば、どこであっても来てくれるらしいホテルの送迎バスは、もうあと数分で来てくれるはずで……俺とテチさんは荷物の重さにうんざりしながら、コン君とさよりちゃんはワクワクソワソワとしながら到着を待ち続ける。


 俺とテチさんの荷物がそんなに多いのには、体が小さいせいで荷物を持ちきれないコン君とさよりちゃんの分の荷物を待ってあげているという理由があり……ここで重いとか疲れたとか、そんな愚痴を言ってしまうと、折角ワクワクと心弾ませているコン君達の気分が落ち込んでしまうかもしれないという可能性があり……俺もテチさんも何も言わずにただただ耐え続ける。


 そんな風に耐えるくらいならいっそのこと座ってしまえとも思う訳だが、ここで座ってしまったらきっと、立ち上がるのに苦労してしまうはずで……仕方なしの棒立ち待機だ。


「あ、ミクラにーちゃん! 鉢植えはどうするの?

 ずっと家の中に置いてあったら枯れちゃわない?」


 するとコン君がこちらを見上げながらそんな事を言ってきて……俺は苦笑しながら振り返り、背負ったリュックの上に縛り付けたそれを見せてあげる。

 

 ビニール袋で包み、ビニール紐でしっかりと縛り付けたそれは、扶桑の木の鉢植えで……ホテルに電話して確認し、持ってきても構わないとのことでそうしたもので……俺の背後で風に揺れるその枝葉を見て安心したのか、にっこりと笑ったコン君は大きく頷き……ワクワクソワソワと体を左右に揺らしながらバスを待ち続ける。


 それから数分の時が経ってようやく送迎バスが……10人か20人は乗れるんじゃないかという、結構な大きさのバスがやってきて……車体の横にでかでかと書かれた『中央ホテル』との文字を見せつけてくる。


 そうして停車したなら、すぐにホテルマンと思われる男性が2人、バスから降りてきて、軽い挨拶をするなり、俺とテチさんに荷物を持ってくれて……バスの横脇の荷物入れに押し込んでくれる。


 そうやって身軽となった俺を先頭に……ホテルマンの誘導に従ってバスへと乗り込んでいき……背負っていたリュックをガラガラの車内のそこらに置いて、割れてしまわないようにと鉢植えだけを抱きかかえて、ちょうど真ん中辺りの席にゆっくりと腰を下ろす。


 テチさんが窓際で俺が通路側で、反対側の通路側にコン君で窓際がさよりちゃんで。


 そうやって全員が座ってシートベルトをしたならバスがゆっくりと走り始めて……スーパーへと向かうあの道を真っ直ぐに進み始めて、獣ヶ森の奥へ奥へと進んでいく。


「えぇっと……確か、このまま進んでトンネルをくぐって、扶桑の木の向こう側に行くとホテルがあるんだっけ?

 ホテルがある扶桑の木の向こう側ってどんな感じなの?」


 前を行く車も対向車もいない、ガラガラで快適な真っ直ぐな道をスイスイと進むバスの中で、俺がそう声を上げると……テチさんもコン君もさよりちゃんも、その場の全員が首を傾げてしまう。


「えーっと……もしかして皆、木の向こう側にいったことない感じ?」


 俺がそう続けると、首を傾げていたテチさんが「いや……」とそう言ってから、言葉を返してくる。


「扶桑の木の向こう側自体には行ったことがあるんだが、ホテルの周囲には足を運んだことがなくてな……獣ヶ森にある局がやってるケーブルテレビの特集で見たことはあるんだがなぁ。

 まぁ、あれだ、こんな機会でもなければ、森の中で暮らしている私達であっても中々近付けない場所があのホテルで……それだけに楽しみにしている、という訳だ」


「はー……なるほどねぇ。

 テチさんでも行ったことがないとなると、この機会が最初で最後の機会……ってこともありえる訳か。

 なら悔いのないように一週間しっかりと遊ばないとだねぇ。

 ……子供達と畑のことを押し付けちゃったレイさん達の気持ちに応えるためにも」


 そう俺が返すとテチさんとコン君は、ふいと俺から顔を反らす。


 俺はもちろんのこと、テチさんもコン君もあの畑で働いている身で……それなりに責任のある身で。

 そんな俺達が一週間も畑から離れるというのはちょっとした大事なのだけど、そこら辺のことはレイさんにお願いすることで、なんとか解決した形となっている。


 もちろんレイさんにはレイさんの本業があるので、畑に掛り切りという訳にはいかないのだけど、そこは町内の組合の、門の向こうで言うところの農協のような組合に依頼してバイトの人を派遣してもらってなんとかした……という感じだ。


 主に働くのはバイトの人で、責任者はレイさんで。

 レイさんがちょこちょこ様子を見に行ったりしてくれて……何かあれば対応や指示出しをしてくれるという訳だ。


 当然その際に発生するバイト代とかは俺達が払う訳だけど……曾祖父ちゃんがしっかりと組合の年会費を払ってくれていたおかげで、かなりの格安の代金となっている。


 年会費さえしっかり払っておけば、回数に限度はあるものの今回のような格安代金で、いつでもバイトさんを雇えるそうで……来年になってもしっかり払っておこうと、思うくらいにはありがたいシステムだ。


 と、そんな事を考えていると道を真っ直ぐに進んでいたバスが段々と扶桑の木へと近付いていって……物凄く大きい、東京で見たビル群よりも大きい扶桑の木々が、物凄い迫力でもってこちらへと迫ってくる。


 いや、正確に言うならこちらから扶桑の木へと近付いているのだけど、扶桑の木があまりにも大きすぎて、そんな錯覚を覚えてしまっているのだ。


 そうやって視界前面全てが扶桑の木という、凄い光景が広がり始め……そんな木の根元へと道が真っ直ぐに伸びていって……そして、昨日から幾度となく耳にした『トンネル』が正面に見えてくる。


 そのトンネルは山を貫いたとか地下を掘り進んだとか、そういう類のものではなく、まるで扶桑の木の根が意思を持ってそうしたかのように、まっすぐに伸びる道路を跨ぐようにして『避ける』ことで作り出したもので……天井も壁も道路以外の全てが木の根の世界という、不思議な空間へとバスが突入していく。


 その空間には電灯とかは一切ないのだが、どういう訳か根と根の間からまるで木漏れ日のように灯りが漏れていて……オレンジ色の温かい灯りに包まれながらバスは、まっすぐに扶桑の木の向こう側へと向かって突き進んでいく。


 その光景は美しいと言ったら良いのか、不思議と言ったら良いのか、なんとも表現に困るもので……それでいて思わず目を奪われてしまうもので。


 そうして俺はトンネルを抜けるまでの間、無言で口をぽかんと開けながら……窓やフロントガラスから見ることの出来るその光景に釘付けとなるのだった。

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