第75話 イチゴジャムを皆で


 イチゴジャムを作り始めると、辺り一帯がそれはもう良い匂いに包まれる。

 イチゴ独特の甘酸っぱい匂いが、砂糖を加えたことにより一際甘くなって、食べていないのに口の中が甘くなってくるかのようだ。


 イチゴの量が多ければ当然、匂いは強くなる訳で……ある程度イチゴが煮詰まったところで、コン君はテレビよりもカセットコンロの上の鍋のことをじぃっと見つめるようになり……座布団の上からでは鍋の中身を見ることが出来ないからと、ちゃぶ台の上にちょこんと乗っかり、鍋の中をじぃっと……口の中でよだれを充満させながら見つめ始める。


「イチゴ、イチゴ、イーチゴー、イチゴジャムー。

 甘くて酸っぱくて美味しいイチゴジャムー」


 一度食べたことがあるからか、コン君はそんな歌まで歌い始めて……その途中で何度も口の中にたまったよだれを飲み込んで口の中をごくりと鳴らす。


 そんなコン君を見ていた俺は……一旦立ち上がって台所に向かい、小さなスプーンと小皿を二つ持ってきて……ほんのちょっとだけ、まだまだ形がしっかり残っているイチゴを一粒分、木ベラですくい上げて、その小皿へとちょこんと乗せる。


「味見しよっか」


 と、俺がそう言うとコン君は、ぱぁっと笑顔を輝かせて、その目を大きく見開いて……あつあつの湯気まで上げている小皿の上のイチゴにふーふーと一生懸命に息を吹きかける。


 そうして十分に熱が取れたならスプーンでもって口の中へと運んで……コン君の笑顔がこれでもかという輝きを放ち始める。


 それに続いて俺も味見用のイチゴを食べてみると……うん、甘くて酸っぱくて、それでいて果肉をしっかりと感じ取ることが出来て、良い感じに仕上がっている。


 これなら後少し煮詰めれば完成で良いなとなり……十分に煮詰めたなら、アルコール消毒しておいた保存瓶にジャムを流し込み、詰め込んでいく。


「ジャムを瓶に入れた後の煮沸消毒は、他の瓶と一緒にやるからまた後で、だね。

 とにかく今はイチゴを煮込んで煮込んで、ジャムを作りまくるよ」


 なんて言葉をコン君にかけたなら、イチゴを洗ってヘタを取って、鍋で煮詰めて砂糖を入れてレモン汁を入れて……そして毎回一粒ずつの味見をしてと作業を繰り返していく。


 昼食を取り、レモンサイダーを飲み、トイレに行って、色々なテレビ番組を楽しんで。


 そうやって作業を繰り返していると……縁側の向こうの空が段々と茜色に染まっていって、時計が夕方と言って良い時刻を指し始める。


「……ん、もうこんな時間か。

 全部のイチゴを煮詰めるのはやっぱり明日までかかりそうだね。

 まぁ、うん、今回も色々な人にあげたいし、たっぷり作ってながーく楽しんでいきたいし……時間がかかるのはしょうがないか。

 コン君、そろそろ帰る準備をしとこうか」


 と、そんなことを言いながらつい先程出来上がったばかりのジャムを保存瓶に流し込んでいると、流し台の上に椅子に座ったコン君が、耳をペタンと畳込み、尻尾をしんなりとさせながら、なんとも言えない表情を向けてくる。


 それは帰りたくなりというか、せめて少しで良いからイチゴジャムを食べたいというか……まぁ、うん、後者の感情が強そうな表情だ。


 今日一日イチゴジャムの香りの中に居続けた訳だしなぁ、そうなってしまうのもしかたないかと、瓶詰めを終えてのホーロー鍋の中を覗き込む。


 一瓶をいっぱいにしてもまだまだ鍋の中にはイチゴジャムが残っていて……とはいえ、今は夕食前の時間で、さてどうやって食べさせてあげたら良いかと頭を悩ませていると……ぞろぞろと結構な人数の足音が庭の方から響いてくる。


 更には何人かの子供達の元気な話し声まで聞こえてきて、一体何事だろうかと一旦鍋をコンロに置いて、縁側の方へと顔を出すと……そこにはテチさんが率いる子供達の姿があった。


「……実椋、いくらなんでもジャムを作りすぎだ、香りがそこら中に、それこそ畑まで届く程に広がってしまっているぞ」


 俺の顔を見るなりテチさんがそんなことを言ってきて……俺は畑の方へと視線をやってから首を傾げ、言葉を返す。


「いくら香りが広がるっていっても、畑の方までは……距離がありすぎるように思えるけど……」


「人間の鼻ならそうだろうがな、私達の鼻は人間のそれより敏感で鋭いんだよ」


 テチさんにそう返されて俺は「なるほど」と頷き……そして子供達がよだれを口から垂らしながらこちらを見ている事に気付き、これはもう仕方ないなと頷き、大きな声を上げる。


「まずは手洗いとうがいから!

 皆が手洗いうがいをする間に準備をするから、丁寧に、しっかりとやっておくんだよ!」


 俺のそんな言葉を、了承の合図と受け取って子供達はわぁっと大歓声を上げる。


 そうして苦笑を浮かべたテチさんに率いられる形で我が家の洗面台へと雪崩込んでいって……ワイワイバシャバシャと賑やかに手洗いをする音が響いてくる中、俺はどうしたものかと頭を悩ませる。


 ジャムだけ、というのはどうにも味気ないが、夕食前のこの時間にパンを食べさせちゃうのはまずいだろう。

 何より20人近くの子供達の分のパンなんて我が家にはないし……うぅむ、本当にどうしたもんだろうな。

 

 何かもっとこう、軽くて小さなものは無いかなと考えて……そう言えばあれがあったなと思い立った俺は、お菓子をしまっている棚へと向かい……中からチーズなどを乗せて食べる用のクラッカーを取り出す。


「美味しそう!!」


 俺のすぐ側で様子を見守っていたコン君が、そのパッケージを見るなりそう声を上げて……コン君に向かって笑顔で頷いた俺は、コン君と一緒に皆にジャムをごちそうするための席を用意していく。


 ちゃぶ台と来客用のテーブルを並べて、そこに人数分の小皿を置いて、クラッカーを一枚小皿の上に置き、更にその上に出来たばかりのジャムを置いて。


 飲み物は……流石に人数が多すぎるので水で勘弁してもらって、コップもまぁ、大きさも形もバラバラのものになってしまうけども、勘弁してもらうとしよう。


 座布団も当然人数分は無いのでこれも勘弁してもらっての、なんとも雑なパーティ会場が出来上がる。


 すると良いタイミングで子供達が駆けてきて……仲良く順番に小皿の前にちょこんと座って……コン君もそこに合流して座って、俺の隣に立つテチさんの方をじぃっと見つめる。


 見つめられたテチさんはぐるりとパーティ会場を見回して、全員が居ることを確認し、全員分のジャムクラッカーがあることを確認してから……パチンと両手を合わせる。


 それを受けて子供達はそれを真似するように両手を合わせて……テチさんが「いただきます!」と声を上げると、それに続く形で一斉に『いただきます!』と声を上げる。


 そうなったらもうパーティ会場は子供達の笑顔と元気な声が支配する空間となる。


 目の前のジャムクラッカーを改めて見て、美味しそうだとか良い匂いだとかもっと食べたいとか少ないとか、好き勝手な声を上げながら笑顔をこれでもかと輝かせて、それぞれ違った持ち方でクラッカーを手に持って……一口で食べる子も入れば、少しずつちょこちょこと齧っていく子もいる。


 皆よく似た外見なんだけども、食べ方が全然違って個性があって……ジャムを口の中に送り込み、その味を堪能した後の反応もまた個性がよく出ている。


 コン君はぎゅっと目をつぶっての笑顔だし、目を見開いての笑顔もいれば、隣の友達と感想を言い合っている子もいるし、良い香りを口の中に閉じ込めようとしているのか、両手で口を抑えている子もいる。


 両手を振り上げて喜びを表現している子もいれば、美味しさのあまりか泣きそうになっている子もいる。


 そうやって食べ終えたなら、口の中が空っぽになったなら、口が自由になったことを良いことに子供達は全力で、ぎゃーぎゃーと今までに無い物凄い勢いで声を上げ始める。


 そんな様子をテチさんはいつにない笑顔で眺めていて……それから子供達が落ち着くまでの少しの間、俺はテチさんと一緒に元気な子供達の様子を眺め続けるのだった。

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