第50話 老紳士との会話


 翌日……自宅待機解除まで後3日。


 朝食を終えて身支度を整えて、洗濯やら掃除やらをこなして……そうして今日の食材などの配達を待っていると、何かを聞きつけたのかコン君が縁側の方にダダっと駆け出して……1・2分経ってから門の方から車の音が聞こえてくる。


「お、来た来た甘夏の到着だ……ってあれ?」


 コン君と同じように縁側の方へと移動して、車の方を見やって……そうして俺がそんな声を上げると、コン君もまた「あれ!?」と疑問の声を上げて、その顔をこちらに向けてくる。


 音を上げている車がいつもの政府の職員さんが使っている車じゃなくて、以前から来てくれている配達業者の車で……まだ来る曜日ではないはずなのに? と、コン君と首を傾げていると、車が停まりいつもの老紳士が運転席から顔を出して、帽子を脱いで軽く掲げての挨拶をしてくる。


 そうしてから車を降りて、甘夏と書かれたダンボールを取り出してそれをこちらに持ってきて……縁側にそれをことんと置いてくれる。


「どうも、こんにちは。

 今日は人手が足りないそうで、代理ということで私が配送の方を仰せつかりました。

 ……検疫を通れる人は少ないですからね、こういうこともあるのでしょう」


 ダンボールを置くなり老紳士は、そんな風にこちらの質問を先回りする形で、言葉をかけてくる。


「それは……わざわざありがとうございます。

 これが甘夏で……後は頼んでおいた食料ですか」


 俺がそう返すと老紳士は微笑んで、残りの荷物も運んできてくれて……そのついでに真新しい新聞紙を手渡してくれる。


「こちらは今日の新聞になります。

 例の方々……変質者ということで正式に逮捕状が出たようですね。

 残念なことに世間ではそこまで話題になっていないようですが……有名紙に顔写真入りで掲載されましたし……まぁ、この辺りが妥協点なのでしょう」


 新聞を受け取りながら老紳士のそんな言葉を耳にすることになった俺は……老紳士が笑顔ながら静かに怒っていることを感じ取る。

 

 どうしてこの老紳士が怒っているのか、この老紳士はどういう立場なのか、色々なことが気になりながらも俺は……、


「あー……そんなこともありましたねぇ……」


 と、そんな言葉を返してしまう。


 今も自宅待機は継続中で、食料もこうやって運んでもらわないといけない不便なはずの生活をしていて……それでその原因を忘れてしまうなんてのもおかしな話だけど……それでも俺は、あんなことがあったことを、あんなおかしな連中がいたということを、正直今の今まで忘れてしまっていた。


 そんなことよりもコン君との生活が……婚約者となったテチさんとの生活が楽しくて、そんなことどうでも良くなってしまっていたとも言える。


 そんな俺の言葉と態度を受けて、老紳士は微笑んだままだけども小さな動揺の色を見せてくる。


 恐らく老紳士は俺があの男を恨んでいるとか、あの連中を裁いて欲しいと願っているとか、そんなことを思っていたのだろうけども……いや、本当に、今はもうどうでも良いんですよ、彼らのこと。


「実は俺、ここの人と……栗柄とかてちさんって人と婚約しまして。

 今はご両親への挨拶とか今後のことをどうするとか、そういうことで頭がいっぱいなんですよ」


 なんとなくこの老紳士から一本取ってやりたいな、なんてことを考えて俺はそんな言葉を口にする。


 すると老紳士は微笑むのをやめて、その顔をいっぱいに使って驚いたという表情を見せてくれて……そうしてから柔和に、営業スマイルでは無いらしい、本当の微笑みを見せてくれる。


「そうですかぁ、ご婚約されましたか。

 それはそれは、おめでとうございます……まだまだ知り合って間もない仲ではありますが、我が身のことのように嬉しく思うばかりです」


 老紳士は本当に喜んでくれているのだろう、万感の思いがこもったような声でそう言ってくれて……俺は笑顔で「ありがとうございます」と返す。


 この老紳士は……まぁ、今更のことになるが配送業者などではないのだろう。

 政府関係の何者かで……そしてほぼ確実に俺の移住が上手くいくことを願ってくれている。


 テチさんと婚約したということは、移住が上手くいっているという証明でもあり……そもそも移住の成功を願っているということは、人と獣人が仲良くなることを願っているという訳でもあって……老紳士にとって俺達の婚約は望外のことであったようだ。


 配送作業はもう終わって、話としても一段落していて……老紳士がここにいる理由は無いはずなのだけど、それでも老紳士は嬉しそうに微笑み続けて、祝福の思いを精一杯に俺に伝えてくれる。


 そんな俺達の様子を見て、俺の足元にいたコン君は自分も祝ってくれているつもりなのか、それとも俺達の真似をしているのか、いつもの笑顔を浮かべて俺達の方へと向けてくれる。


 それを受けて俺と老紳士が更に微笑んでいると……「なんだ? 今日は随分と騒がしいんだな?」と、洗面所の方からテチさんの声が響いてくる。


 向こうで作業をしていたテチさんにとってはいつもの職員さんであるはずで、すぐに買えるはずのいつもの配達のはずで……そのはずなのに長々と話し込んでいることが気にかかったのだろう、こちらへとやってきてひょこりと顔を出す。


 そうしてテチさんは老紳士のことを見て……「なんだ、お前か」と、そんな声を上げる。


「テチさん、この人のこと、知っているの?」

 

 俺がそう問いかけるとテチさんは、当然だとばかりに頷いて、答えを返してくれる。


「そりゃぁな、富保の所に毎週のように顔を出していたからな。

 私や子供達は何度か顔を合わせていたぞ。

 富保とは古い付き合いで友人だとかなんとか……まぁ、毎週顔を合わせていればそうもなるだろう」


 テチさんの言葉を受けて俺はハッとなる。

 この老紳士がいつからこの仕事をしていたのかは分からないが、曾祖父ちゃんの所にも荷物を届けてくれていたはずで……歳が近いだろう曾祖父ちゃんとは色々と言葉を交わしていたはずで。


 曾祖父ちゃんと長い付き合いのある友人で。


 勿論テチさんのことは知っていて……夏休みの、まる一ヶ月間ここに泊まっていた俺のことも知っているかもしれなくて。


 それならば立場に関係なく、その正体に関係なく祝福してくれるのは当然のことで……裏の思惑とかそういうのは一切無いのかもしれない。


 純粋に友人の曾孫と、知り合いの女の子を祝福してくれているのかもしれない。


 そう思うとなんだかあれこれと考えすぎていたというか、裏を読もうとしていた自分がなんだか恥ずかしくなってしまう。


 そうして老紳士への評価を改めた俺は……改めて名前を名乗り、テチさんのことを紹介し……それから少しの間、老紳士と言葉を交わすのだった。

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