第31話 約束の日の朝


 それからは何事も無く……例の業者が何かをやらかすこともなく電話が鳴ることも無く日々が過ぎていって……五日後、再びの月曜日。


 朝、目覚め次第に台所へと向かい、冷蔵庫の中から燻製予定の肉を取り出し、流し台に置いたボウルの中に置く。


 そうしたなら水道の蛇口をひねり、水を出し、流水に肉をつけて……塩抜きを行う。

 塩抜きはそのまま、肉にたっぷりと使った塩味を抜く行為で、塩分濃度次第だけども、これをやっておかないと肉が塩っ辛くなってしまう。

 

 そしてどれだけの時間、水抜きを行うかは……人それぞれ様々だ。

 1時間で良いという人もいれば、5時間という人もいるし、8時間は必要だという人もいる。

 流水じゃなくても良いって人もいるけども……俺は流水で8時間派だ。


 とはいえ水道代がもったいないのは確かなので、出す水の量はほんのちょっぴり、ちょろちょろと出しておくだけにする。


 流水の量が少なくても時間はたっぷりかけているので、それでも良い塩梅になってくれるのだ。


 そうしてから朝食を済ませ、洗面台に向かって身支度を整えていると……今日もコン君がやってくる。


「ミクラ兄ちゃん、おっはようー!」


 元気な挨拶、明るい笑顔。


「おはよう、コン君!」


 と、そう返した俺は、コン君が座るための座布団を居間に用意してあげて……テレビをつけてやって、リモコンをコン君に託す。


「今日は掃除や片付けがメインで、見ていても楽しくないだろうから、ここでゆっくりしているといいよ。

 お昼くらいになったら昼食作りとかはするけどね」


 そうしてから俺がそう言うと、コン君は笑顔で頷いてくれて……俺は家の掃除やらテチさんを迎える準備やらを淡々とこなしていく。


 ビールは既に買ってある。

 燻製だけじゃぁアレだろうからとつまみとか、夕食用の材料も買っておいたし……後はしっかり掃除をしておけばまぁ問題は無いだろう。


 家中の窓という窓をあけて、掃除機をかけて、使い捨て濡れタオルをつける掃除用道具でささっと拭き掃除を済ませて……トイレや台所、ついでだからと洗面台も丁寧に洗っておく。


 そうして良い時間になった頃……呼び鈴がなって、玄関に向かうと、先週にもやってきた老紳士の配送屋さんが立っていて、微笑んでから声をかけてくる。


「こんにちは、お届け物です。

 こちらに運び込んだ方がよろしいですか? それとも縁側に?」


 先週と全く同じセリフを言ってきて……こちらも同じセリフで縁側にお願いして、歳を思わせない動きでテキパキとダンボールを縁側に積み上げて……伝票へのサインを終えると、微笑んでいた配送屋さんが少しだけ顔を曇らせてから、少しだけ重い声をかけてくる。


「最近、門の方で騒いでいる方がいまして……えぇ、そちらにも連絡が行っていると思うのですが……。

 その方が妙に静かになったと言いますか、騒がなくなったと言いますか……何日か前には警備の方々が思わず武器を構える程の剣幕だったと言うのに、どうにも妙な様子を見せているのですよ。

 こちら側に興味が無くなったという訳でもないようで、毎日のように門までやってきてはウロウロとしていて……はてさて、一体何を考えているのやら、門で働いている方々も困り果てているようです。

 あまりの妙な様子に何かしでかす前に公務執行妨害で令状を取るべきではないかという話まで出ているようでして……まぁ、こちらにまでやってくることは無いかとは思いますが、それでも念の為、警戒をしておいた方が良いかもしれませんね」


 そんなことを言われて俺は……笑顔で「分かりました、気をつけます、わざわざありがとうございます」とだけ返す。


 なんで貴方がそんなことを知っているのかとか、なんで貴方がわざわざそんなことを俺に知らせてくれるのかとか、色々言いたいことというか、聞きたいことがあったのだけども……ここまで露骨に匂わせてくる相手の地雷原にわざわざ踏み込むこともないだろうと、態度に出さず表情に出さず、知らない振りで受け流す。


 ざっと見た感じ悪意は無いようで、敵意は無いようで……言動からしても本気でこちらを案じてくれているようだし、耳だけじゃなくて鼻とか目とか、勘までが鋭いらしい獣人のコン君が、俺の足元で緩い表情をしているというか、警戒を緩めている相手なのできっと大丈夫なのだろうと、コン君と老紳士を信じることにしよう。


 そんな俺の態度を受けて老紳士は、爽やかな笑顔を見せてくれて……「ではまた来週に」と、そう言って配送車に乗って門の向こうへと帰っていく。


 そうしたなら今日もコン君と、荷物の開封と片付けを始めて……それが終わったならダンボールを一緒に潰していく。


「コン君、お昼は何か食べたいものあるかい?」


 その中で俺がそう言うとコン君は、畳んだダンボールの上でぴょんぴょんと跳ねながら、


「ミクラ兄ちゃんは何作れるんだー? 何食べたいんだー?」


 と、返してくる。


「大体何でも作れるかな、凝った料理は準備がいるから出来ないけど……。

 お昼なら、そうだな、チャーハン、焼きそば、オムライス、ナポリタン、ピザトースト、とかかな?」


 するとコン君は跳ねるのを止めて、その目を大きく見開いて……、


「オムライス!? ナポリタン!? ピザ!?

 ミクラにーちゃんはあれだな、レストランみたいだな! すごいな!!」


 と、そう言って両手と尻尾を振り回しての大喜びをし始める。


 どれもこれも簡単な料理というか、大雑把な味付けで出来るシンプルなものなんだが……コン君にとってはそのどれもがレストランで食べるような『ごちそう』であるらしい。


 確かに子供が好きそうな……コン君が好きそうなメニューを選んで口にしたのだけども、まさかここまで喜んでくれるとは。


 ……もしかしてコン君のご両親は料理とかあまり得意じゃないのかな? それとも和食党なのかな? 


 と、そんなことを考えていると、両手と尻尾を振り回しながらどれにするか考えていたらしいコン君が、その動きを止めてその目をくわりと見開いてから……拳をぐっと握り、力強い声でもって何を食べたいかをはっきりと口にする。


「ピ、ザ、トースットッ!!」


 まさかそれを選ぶとは。

 一番簡単なピザトーストを、そんなにも嬉しそうに選んでくれるとは……コン君め、やるなと頭をかいてから「じゃぁピザトーストにしよう」とそう言ってから台所へと向かう。


 手をよく洗い、エプロンをして、用意する材料は玉ねぎ、ピーマン、ベーコンにチーズ、それとパン。


 味付けはケチャップ一択で……具材は火がすぐ通るように出来るだけ薄く、歯ごたえはしっかりあるように大きく丁寧に切り分けていく。


 そうしたならパンにケチャップを塗って、具材を乗せて、チーズを多めにかけて……アルミホイルに乗せてからオーブントースターへ。


 するとコン君はいつのまにか棚から取り出したらしいパン皿を持って、オーブントースターの前に座り込み……ガラス窓になっている蓋の奥を覗き込みながら焼けていくピザトーストをじっと睨む。


「嘘か本当か分からないけど、トースターの赤い光って目に良くないなんて話も聞いたことあるからほどほどにね」


「はーい」


 なんて会話をしながら5分程待つと、ピザがとろとろになってくれて、パンがいい感じに焼けてくれて、香ばしい匂いを発してくれて……すぐさまコン君がパン皿をぐいと突き出してくるので、オーブントースターの蓋を開けて、アルミホイルの端を摘んでピザトーストを引っ張り出し、コン君のお皿に乗せてあげる。


 するとコン君はそのパン皿を高く掲げて……口の端からよだれを垂らしながら居間の食卓へと駆けていくのだった。

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