第13話 栗柄とかてち


 夕方になって今日の仕事が終わりとなり……森の中へ帰る子供達が一列になって歩いていって、無事に帰れるか見届けるためテチさんがそれを追いかけていって……「また明日!」と声をかけながら、手を振りながらその一団を見送った俺は、自宅へと足を向ける。


 自宅に帰ったなら手洗いうがいをしてから台所へと向かい……冷蔵庫のドアを開けて、中にある買ったばかりの品々を眺めながら、さて、夕食は何にしたものかなと頭を悩ませる。


「確か菜の花はおひたしに、魚はなるべく早く焼くか煮るかして……後は味噌汁も作った方が良かったんだったか。

 ……あ、その前にお米だお米、お米を炊かないと何を作っても美味しいご飯という訳にはいかないな」


 冷蔵庫を前にしてそんな独り言を言ってから……ついさっきまで賑やかだったせいで、つい独り言が出てしまったなぁ、なんてことを思いながら口をつぐみ、黙々と夕食のための作業を行っていく。


 初任給で奮発して買った結構良い炊飯器の、釜や蓋なんかの付属品を洗い……スーパーで買った小さな袋入りの白米を釜の中で丁寧に洗い、炊飯器にセットし、後のことは炊飯器に任せる。


 そうして、いざ本番の夕食だと、調理道具を用意していると……背後から声が響いてくる。


「……一応様子を見に来てみれば、何だこの有様は。

 床をよく見ろ、米粒が散らばってるぞ」


 それはテチさんの声で、俺が驚きながら振り返ると、テチさんはいつのまにか床に落ちていた米粒を拾い……シンクの中にも散らばっていた米粒を拾い、両手の平の中で優しく洗ってから、これから炊飯を始めようとしていた炊飯器の中に、それらを放り込む。


「所詮米粒と侮っているようでは、まともな大人になどなれないぞ。

 食材には感謝し、腐ったり毒になっていたりしない限りは無駄にしないようにしろ」


 続けてそう言ってテチさんは、俺のことをぐいと押して、台所の隅へと追いやり……「そこで見ていろ」と、そう言ってから鞄の中からどんぐり柄のエプロンを取り出し、なんとも手早く手際よく、夕食を作り始める。


 恐らくスーパーで買い物をしている時から、どんなメニューにしているか決めていたのだろう、その動きは計算され尽くしていて一切の淀みがなく、細かい作業までが洗練されていた。


 そうして小一時間程で、味噌汁に菜の花とアスパラのおひたし、茹でエンドウ豆に煮魚を作り……それらを居間の座卓の上に並べていく。


 その最後に炊きあがった白米を茶碗に盛って……二人分の夕食を用意したテチさんは、無言ですっと座卓につく。


 座布団の上にどかんと座り、リモコンでテレビをつけて、チャンネルを回して……バラエティ番組に合わせたなら、手を合わせて「いただきます」とそう言って……テレビを見ながらの食事を始めてしまう。


 呆気にとられていたというか何というか、そんな光景をただ呆然と見ていた俺は、慌てて座卓について「いただきます」とそう言って、同じくテレビへと視線をやりながら食事を始める。


「あ、この煮魚美味い……。

 ……っていうか、わざわざ様子を見に来てくれたんだね、助かったよ、ありがとう」


「このくらいは何でもない。

 対価としてこうして食わせてもらっているしな」


 食事を進めながら俺がそう言うと、テチさんはそう返してきて……柔らかい表情でバラエティ番組を楽しみながら箸を動かしていく。


 テレビの音はしているし、夜となったせいで一段と虫が騒がしくて静かな食卓とはいかなかったが……それはそれで悪くなく、気づけばあっという間に全ての料理を平らげていて……それを見て満足そうに頷いたテチさんは「ごちそうさま」とそう言ってから立ち上がり……食器を片付けての洗い物までしてくれる。


 その後姿を見ながら俺は、すっかり暗くなったし家まで送っていくとの提案をしたのだが……テチさんは俺がいると逆に邪魔だと、木の上という帰宅までの最短ルートが使えないと、そう言って断ってきて……洗い物を終えるなりにエプロンを丁寧に畳んで、ささっと帰宅の準備を整えてしまう。


 そんなテチさんに言えることは一つしかなく、


「また明日」

 

 と、俺がそう言うとテチさんは、


「またな」


 と、こちらに背を向けながら、適当に手を振りながらそう言って……夜の森の中へと消えていくのだった。



 

 それから俺はスマホを操作し、通販サイトへと接続し、保存食作りに必要な品の注文を済ませてから風呂に入り……寝室に雑に敷いた布団の中へと潜り込んで眠りについた。


 翌朝、またもコン君が迎えに来てくれて、朝食と身支度を整えてから畑に向かって……そうして俺は、とりあえず保存食作りの道具が来るまでは仕方ないかと、ただ子供達のことを見守るだけの時間を過ごすことになった。


 静かではないのだけど静かで、やることがないものだから時の流れが緩やかで……なんとも春らしい穏やかな空の下でのスローライフな時間を。


 それは中々に辛いもので、色々なことを考えていても、意識して眠るまいとしていても、どうしても眠気がやってきてしまい……眠気に抗いながら俺は、テチさんはどうしているのだろうかと、その横顔の方へと視線をやる。


 するとテチさんは頬付けを突きながらぼんやりと子供達のことを眺めていて……その状態のまま、何をする訳でもなく、あくびをする訳でもなく、ただただ子供達の方へと視線をやり続ける。


 曾祖父ちゃんと契約していたということは、もう何年もここでの仕事をやっているのだろうし、何年もそうし続けているのだろうし……暇なことに、何もすることが無いことに慣れているのかな、なんてことを俺は考えていたのだが……すぐにそれは間違いであったということに気付くことになる。


 ……テチさんはそうしながら一度も、たったの一度も『よそ見』をしなかったのだ。


 俺と会話をしている時に俺の方へと視線を向けてくることはあったが、それでも会話時間の半分以上は子供達のことを見ていて……その目をよく見てみれば真剣なものであることが分かる。


 真剣に子供達のことを、どうやらしっかりと気を張りながら見ているようで……たとえば子供達が転びそうになったり、木の枝から落ちそうになったりすると、その肩をびくりと震わせて、ベンチから腰を浮かして立ち上がろうとしていて……結局転ばず木から落ちず、子供達に何事も起きなかったとなると、小さな安堵のため息を吐き出して、そっとベンチに腰を降ろし直していた。


 いつでも子供の下に駆け寄れるように、いつでも子供のことを助けられるように。


 どうやらテチさんは、そういう心構えをした上で子供達のことを見ているようで……そんな状態で眠気になど襲われるはずがなかったのだ。


 しかしそれなら子供達の側で見てやれば良いとも思ったのだが……改めて周囲を見回してみると、休憩所があるここは、畑よりも少し高い位置……小高い丘の上にあるようで、畑全体を見渡せる場所に作られているらしかった。


 子供達の近くにいると全体を見回せなくなるからと、あえてテチさんはここに陣取っているらしく……この広い畑を、これだけの人数の子供達を一人で見なければならない以上はそうする他に無かったのだろう。


 そのことに気付いた俺は、テチさんの横顔をじっと見やりながら……、


「はぁー、なるほどなぁ……」


 なんてことを思わず呟いてしまい……テチさんの冷たく鋭い『突然何を言っているんだお前は』と言わんばかりの視線を浴びることになるのだった。

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