第73話
「殿下、大丈夫?」
「う……う、うん。だ、大丈夫だよ……う、ぅッ」
エミールは顔を蒼くしながら、せりあがる吐気に口元を押さえた。気持ち悪い。ユーグが労わるように、背中をさすってくれた。
「休む?」
「う、ううん。急がないと、ルイーゼに追いつけないんでしょ?」
エミールは首を横に振った。
最初は馬の上が怖くて、目を回してしまった。だんだんと馬に揺られるせいで体調が悪くなるし、お尻が痛くて立てなくなるし……もう散々だ。
最初の街で宿を取ったときも、ユーグに介抱されて随分と迷惑をかけた。ルイーゼの宿を突き止めて連れ戻すつもりだったけれど、どうやら、ルイーゼたちは急いで更に足を伸ばしていたみたいだ。
エミールたちも急がないと、追いつくことが出来ない。泣き言なんて、言っている暇はない。
「大丈夫よ。たぶん、姐さんたちには、もうすぐ追いつくわ」
「そうなの?」
「ミーディアの話では、護衛を引き受けたのはセザールさん――侍従長様のご子息よ。だったら、ロレリア侯爵の城へ寄ると思うわ。ただ……」
「……僕を連れて、侯爵には会えないんだね」
ユーグの言葉を推測して、エミールが弱々しく聞いた。
「あら、よくわかったじゃなぁい。殿下が成長してくれると、私も嬉しいわ」
「……僕も、がんばらないと、ダメだから」
エミールが王都を出たことは秘密だ。貴族の目に触れると、後々面倒なことになるかもしれない。
「王妃様のご実家だから、悪いようにはされないと思うんだけどね。だからこそ、王都に連絡されるかもしれないし。危険は避けたいところなの」
「母上の……」
周囲を見渡すと辺り一面、青々とした草原が広がっている。ユーグが麦畑だと教えてくれた。これが金色に色づくと収穫されて、パンになるらしい。
王都にいたら、見ることの出来ない景色だ。
本当に外は広い。
もう、ロレリア侯爵領に入っている。
この景色の中で、母が育ったのだ。そう思うと、なんだか心の奥で疼くような痛みを感じる。けれども、同時に温かいような気持にもなった。複雑で、エミールにはどう言い表せばいいのか、わからなかった。
ルイーゼも、この景色を眺めているのかな?
ルイーゼは、どう感じるんだろう。
「とりあえず、ロレリアの城下町で宿を取りましょ。城を見張って、姐さんたちが朝出発したところを捕まえるのが良いと思うわ」
「う、うん」
ユーグの提案に、エミールは頷いた。
だが、首を縦に動かしたことで、頭の中もグラリと大きく揺れる気がする。
馬上で気持ち悪くなって、そのまま両手で口を押さえてしまった。
丘の上に構えられた白亜のロレリア城。
ロレリア城と城下町は、細い道一本で繋がっている。
小さいが、製粉業が栄えている城壁に囲まれた城下町。至るところに水路が引かれ、水車を備える家や作業場が多い。王都とは違った活気に溢れていて、エミールには物珍しく映った。
麻袋が積み上げられた倉庫や作業場の様子が、馬上からでも少しはわかる。
ロレリアでは組合を作って、広い場所でたくさんの人が働くらしい。最近はフランセール全土で、組合の仕組みを取り入れる領地が増え始めている。
パンが焼ける良い匂いもするし、道端で話し込む女の人たちが楽しそうだと思う。王都よりも職人風の格好をした人が多い気がした。
以前はこんな風に人を観察する余裕なんてなかったけれど、意外と楽しい。
緊張するけど、機会があったら、いろんな人と話してみたいな……たぶん、ほとんどユーグに任せて、眺めるだけになると思うけれど。
「今日はサーカスがいるみたいね」
宿の手続きを終えたユーグがウインクする。
「サーカス?」
「そっかぁ、殿下は見たことないのね。それなりに楽しいわよ?」
話を聞くと、大きなブランコに乗って飛び移ったり、綱渡りをしたり、猛獣を操ったり、いろいろな曲芸が見られるらしい。建国祭のパレードでも近いことをするパフォーマーがいたが、雰囲気が違うという。
「え……す、すごい……!」
エミールが目を輝かせているのを感じ取ったのか、ユーグがニッコリとチラシを差し出してくれる。楽しそうに踊るピエロや、怖そうな猛獣が口を開く迫力満点な絵が描かれていた。
「行く?」
「で、でも……」
「どうせ、姐さんたちはお城よ。今日、それらしい旅人を見たって聞いたわ。セザールさん、良くも悪くも目立つから」
だから、いいわよ。そう言って手を差し伸べられて、エミールは思わず笑みを浮かべた。
ユーグもエミールも、あまり一般に姿を知られていない。少しくらい出歩いても、いいだろう。
「じゃあ、行く! ユーグ、あ、ありがとっ!」
サーカス、楽しそうだなぁ。エミールがウキウキと笑うのに合わせて、肩掛けカバンに隠れていたポチがニョロリと頭を出す。
「楽しみだね、ポチ!」
エミールはポチを腕に巻きつけて、声を上げて笑った。
† † † † † † †
「だから、僕にそっくりな天使のような娘を見なかったかと、聞いているんだ! 赤毛の変態誘拐下衆野郎と一緒だ!」
妹たちの情報を追って、ついにこんなところまで来てしまった。ロレリアの城下町に入り、アロイスは早速、住民を聴取することにした。
だが、何故だか嫌な顔されてしまう。
自分は、ただ誘拐された妹を探しているだけだというのに。大変遺憾だ。
「この町の連中ときたら、なんだ。僕はか弱い妹を救いに来た勇者だぞ!?」
「きっと、坊ちゃまの物言いが高圧的で面倒臭く感じさせてしまっているのでは……」
「はんッ! この謙虚で内気な僕が? ジャン、お前の目は節穴なのか?」
「よろしゅうございます。そのまま、お嬢さまのようにジャンをお仕置きして憂さ晴らししてくださいませ!」
ジャンは恭しく、アロイスに鞭を差し出す。だが、そんなものはアロイスの眼中に入らない。
そのままジャンを無視して、次の宿屋を訪れた。
「おい、主人! この辺りで、誘拐された麗しい天使を見なかったか。僕のように美しい髪と顔をしている! 可憐で無邪気で、愛くるしい花のような乙女だ!」
「そうは言われても……そういや、今日、荊棘騎士が余所者を連れてお城へ向かったらしいよ。一人は女の子で、もう一人は、異国風の若者だったって話だ」
「荊棘騎士? 誰だ?」
「あんた知らないのかい?」
「ハッ。そんな奴に興味はない! 僕が探しているのは、三人組じゃなくて二人組だ! ユーグ・ド・カゾーランという、赤毛の変態野郎だ。こちらに向かったという情報があるんだ!」
「うーむ……女の子みたいなのを連れた赤毛の旦那は、さっき宿泊の手続きしたんだが……」
「そ! れ! だ! 今すぐ、僕を案内しろ!」
煮え切らない様子の宿屋の主人を急かして、アロイスは受付の机をバンバン叩いた。煮え切らない様子だったので、はした金を投げつけてやる。妹を取り戻せると思ったら、安い金だ。
主人は渋々と言った様子で、机の下からチラシを取り出した。サーカスの興行のようだ。
アロイスは奪うように、チラシを受け取った。
「ここかぁッ! ありがとう、主人。これで忌々しい変態野郎の頭をカチ割れる。待っていろよ、ルイーゼ。次からは誰にもさらわれないように、この僕が守ってあげるから。そうだ。父上に相談して、地下牢に繋いでしまおう。大丈夫。僕がいれば、なんにもいらないだろう? ふふ……ふはははははは!」
「坊ちゃま、公爵邸に地下牢はございませんよ」
「まあ、女の子は蛇なんか連れていたし、金髪じゃなかったけどな」
補足するように付け足された主の言葉など、アロイスの耳には届かなかった。
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