第6話 『クレイジークライマー』


「運動場の利用を認めろだと?」


「ええ旦那。一日一時間程度、姫に運動場を使わせてあげてもらいませんか」


人類領と魔族領の境界線に位置する洞窟ダンジョン《大地のくびれ》。さらに、その最深部にある《竜の間》にて巨大なドラゴンと、小さなライム色をした不定形の魔物が向かい合っている。


巨大なドラゴンとは、もちろんダンジョンの主である大銀龍=ペディランサスである。そして、それに物怖じすることなく物申しているのはスライムの《ポトス》であった。


ポトスは、ダンジョン内で唯一回復魔法を扱うことができ、ダンジョン内の全ての者の健康面を守るダンジョン医の役目を担っている。当然、ダンジョン内全ての者の中には捕虜である姫も含まれている。


「しかし、ポトスよ。あの脱獄大好きっ娘を、そうやすやすと牢の外に出すのはちょっとなあ……確かに、牢の中は退屈だろうが最近はパキラ嬢と仲良くやっとるようだし」


「いやいや、別に姫が可哀そうって話じゃねえですぜ。これは、姫の健康に関わる問題なんです」


「どういうことだ」ペディランサスの眼光が鋭く光る。


「ダンジョン内には、ろくに陽の光が差さないでしょう? 俺達、魔物はともかく人間の姫は太陽の下で光を浴びる必要があるんですよ。それに牢の中じゃ、運動不足になるのも否めません」


「なに? それは、知らなんだ。人間とは植物に近い生き物なのか……?」


「まあ、そういうわけですから、ダンジョン内でただ一か所だけ光が差し込む《運動場》を使わせて欲しいんですよ」


運動場とは、ダンジョン《大地のくびれ》の最上層にある開けた空間である。

そもそも、《大地のくびれ》は北と南の大陸のつなぎ目に在する山脈を貫いた一本道の洞窟であったが、それを魔王軍の手によってアリの巣状に拡張されたことによって迷宮化されたものだ。


運動場も、元々はその山脈の頂上にあったすり鉢状に窪んだ火口を整備することによって作られていた。暗いダンジョン内とは対照的に、日の光が差し込む運動場はダンジョン内で働く魔物たちの憩いの場となっている。


「ううん、しかしなあ……」


ペディランサスの危惧は、当然姫の脱走にあった。運動場は、ダンジョン内で唯一陽の光が差し込む。つまり、ダンジョン外と直接つながっているということだ。であるならば、すり鉢状の崖さえ登り切れば容易に外界に出ることができるのだ。


「いやいや、旦那。いくらなんでも、人間にあの崖は登れませんよ」


「そ、そうかな?」


「そうそう。それに、監視にパキラの姐さんがついてるんだから大丈夫ですよ」


「う、うむ。そうだな。姫の健康面という事情もあるし、よかろう。運動場の使用を許可する」


「ありがとうございます」


ポトスに押される形で、姫に運動場の利用を許可したペディランサス。しかし、その胸にはどうにも拭いきれない不安が残るのであった。



「ペペぺペディランサス様、姫が! 姫が!」


「ほらきた……だから我は嫌だったんだ」


竜の間に飛び込んできたトックリの表情を見れば、何が起きたのかは聞くまでもない。彼女が来てから何度目になるだろうか、麗しの脱獄姫が再び捕虜の務め『脱獄』を果たそうとしたのだろう。


「とにかく、運動場まで来てください」


手をひくトックリに、ペディランサスはため息交じりの呪文を唱え人の姿に変身した。

そのまま早足にて運動場まで辿り着くと、既に多くの魔物たちが集まっていた。みな、一様に空を見上げている。自然と、ペディランサスの視線も同じ方向へと向いた。


そこには、姫の姿があった。普段のスウェットとは異なり、今日はスポーツウェアを着込み、その長い髪をうなじ当たりで縛っている。問題なのは、彼女が反り立つ崖の中腹あたりに張り付いているという一点のみだ。

ペディランサスの顔から、一気に血の気が引いていく。


「あああ、危ないじゃないか! すぐに降りてきなさい姫!」


ペディランサスの声は、おそらく姫には届いていないであろう。それほどまで、高い位置まで姫は身一つで壁をよじ登ったのだ。それどころか、いまなお登頂は続いている。


小さい身体を揺らし僅かなとっかかりに手と足を巧みにかけ、少しずつ少しずつではあるが確実に頂上へと歩みを進めているのだ。


「パキラ嬢はどこにいる! どうしてこんなことになった!?」


ペディランサスの怒気交じりの声に応えたのは、トックリであった。


「よく見てください。パキラさんは、姫のそばについています」


ペディランサスが目を凝らすと、確かにパキラの姿が見て取れる。その腰から生えた翼で、姫に寄り添うように宙を舞っている。


「おそらく、下手に手を出して姫が落ちることを警戒しているんだと思います。それならば、そばについていて万が一の際は姫をサポートするつもりなんでしょう」


「くっ……致し方ない。落ちた時に備えて、マットを可能な限り集めろトックリ」


「御意!」


不意に、運動場に強い風が吹き込んだ。姫の体が大きく揺れ、それを見守る魔物たちから悲鳴に近い声が漏れた。しかし、姫はどうにか腕を縮め体を丸くし壁へと確りしがみついた。


「……いいホールドだ。よく鍛えてある」


声の主は、ダンジョン内食堂の料理長。サイクロプスの《ブルーアイ》であった。

腕を組み、その名の由来でもある巨大で青い瞳をじっと凝らしている。他の野次馬達が、ハラハラドキドキしている中、唯一彼は落ち着いて姫の様子を見守っていた。


「ホールド? ホールドとはなんだ」


「ああ、ペディランサス様。彼女は良いクライマーだぞ。私が断念した、大地のくびれ内壁北東ルートを見事に進んでいる」


「まて、何の話だ料理長」


「ふふ……一度は諦めたルートであるが、私もいつか再挑戦してみるか」


ペディランサスは、自分の世界に浸りきってしまったブルーアイを見限り視線を姫へと戻した。強風を耐えきった姫は、再び頂上を目指し少しずつ壁を登っていく。


その姿にいつしか、その場の魔物達全員が魅入られていた。騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬達、ダンジョン内の布団やマットを片っ端から集めてきたトックリ、姫に寄り添うパキラ、そしてダンジョンの主であるペディランサス。


姫が、一段一段確実に登っていくにつれ俄かに魔物たちから歓声があがる。

このダンジョン内で誰よりも非力、誰よりも幼いはずの姫が、この大陸で最高峰の一つである大地のへそに挑んでいる。それもベストオブクライマー《ブルーアイ》ですら諦めた、あの内壁北東ルートをだ。


巨大な敵へと挑む勇者の如く、身一つで、誰の助けも得ず。何を求めてか。姫は天へと目指す。


いったい、どれほどの時間が経っただろうか。

姫が、頂上の縁に手をかけいっきに体を持ち上げる。ついに、ついに姫は登頂を果たしたのだ。

姫は立ち上がると、既に傾き始めていた太陽を臨み、その美しき光景を目に焼きつけた。


そして、沸き立つ魔物たちを背に、その達成感を勝ちあげた右手を持って示して見せた。

その日、ダンジョンに一人の勇者が誕生した。その名は、サンデリアーナ=ドラセナ。

脱獄王にして、王国第一皇女、そして勇者の称号を持つ若き少女だ。



山頂の縁に腰を掛け、足をプラプラとさせている姫の隣に、変身を解き巨大な竜と化したペディランサスが並ぶ。


いくらダンジョンから抜け出したと言っても、そこは大地のくびれの山頂。そして、日も暮れかけているとなれば下山は不可能。姫は、逃げ出すこともなくその場に留まっていた。ペディランサスは、そんな姫を迎えに来たのだった。


「登り切ったとしても逃げきれぬことはわかっていたろうに。何故登った……?」


「……そこに山があったから」


往年の登山家のような台詞に、ペディランサスは違和感を覚える。

ペディランサスの疑念を察したのか、姫はあっさりと嘘を認めた。


「ごめんなさい。本当は、ここからの景色が見たかったの。いま私がどこにいるのか、いま私がどこにいないのか知りたかった」


姫の視線は、北の大地へと向いていた。

姫の故郷であり、人類の治める王国領が広がっている。


「帰りたいのか?」


「いいえ。私は捕虜だから、だから捕虜の職務を果たさなきゃ」


「帰しても良いのだぞ」


「だとしても、それは私自身の手でやり遂げたい」


「そうか。ならば好きにしろ」


「そうする」


ペディランサスが翼を大きく広げ、頭を垂れた。


「ほら、捕まれ。下まで乗せて行ってやる」


「ふふふ、貴方の背に乗るのは捕まった時以来ね」


姫を背に乗せ、竜は空を切った。

運動場では、魔物たちが姫を大歓声で迎えた。トックリの口から、一足先に姿を消したブルーアイが《登頂記念パーティー》と称して大宴会を用意していることを聞かされた姫は、いつになく表情を崩してみせた。


さて、懸念であった姫の日光浴と運動不足は解消された一方。

此度の一件で、本来ならその罰として運動場の利用を禁じるところを、ペディランサスの鶴の一声で許されることとなった。


だが、それも仕方あるまい。

何故なら食堂で開かれた大宴会、ブルーアイの気合の入った料理に姫の腹がオークと見紛うほどに膨れ上がってしまったのだから。









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