兄貴目当てでウチに上がりこむ幼馴染に、一言言おうと思ったら……

立川マナ

尊い嘘

「げ。また、来てんのかよ、お前」


 学校から帰ってくるなり、そいつの姿をリビングで見つけ、俺は開口一番、吐き捨てるように言った。


「来ちゃ悪いわけ?」


 ソファで寝転がってたそいつは、起き上がりもせず、スマホをいじりながら、ぶっきらぼうにそう言い返してくる。Tシャツにショートパンツという、部屋着全開の出で立ちで。――いつも通りに。


 隣の家に住む、同い年の坂北帆波さかきたほなみ。物心ついたときからずっと一緒にいた、いわゆる幼馴染というやつだ。

 ソファの上に広がる艶やかな黒髪は、立てば胸元まである。賢そうな顔立ちに、長いまつ毛の下で爛々と輝く瞳が印象的な――まあ、ぶっちゃければ、美少女だ。小さい頃から群を抜いて可愛かったが、高校生になっても変わらず……というか、より一層可愛さが増した気がする。

 ――いや。綺麗になった……んだろうな。

 先月、高校生になり、初めて、俺らは別々の学校になった。当然、登下校も別々で、これからは前みたいに会うこともないんだろうな、と思っていた……のだが。予想に反し、帆波はかなりの頻度でこうしてウチに上り込むようになった。子供のとき、親が共働きで夜遅くまで一人で家にいることが多かった帆波に、『何かあったときのために』とウチの両親が渡した合鍵をして……。

 理由は……分かってる。


「お前さ……」ソファの背後を通り過ぎ、ダイニングへと向かいながら、俺は低い声で切り出した。「そろそろ、諦めろよな」

「は? なにが?」


 惚ける声が、もはや白々しく聞こえる。

 ぞわっと何かどす黒い煙みたいなものが、胸の奥から立ち込めてくるのを感じた。それに必死に気づかないふりをして、俺は平静を装って続ける。


「兄貴さ、大学で彼女できたんだよ。これ以上、アプローチしても無駄。ウチに来ても意味ないぞ」


 言い終えた瞬間、喉がかあっと焼けるように熱くなった。たまらず、俺は棚からコップを取って水を汲み、帆波に背を向けたまま、それをぐいっと飲み干した。

 ずっと、知ってたんだ――と心の中で続けながら。

 中学に上がってから……だったかな。帆波はウチに来るたび、『お兄さんに会いに来ただけだから』って真っ赤な顔でしつこく言ってくるようになった。何度も何度も……うんざりするほど言われ続けた。

 嫌でも気づく。帆波が兄貴のことを好きだ、て。


 ドクンドクン、と波打つ心臓の鼓動が早まっていく。早くしろ、と急かしてくるようで、めろ、と必死に訴えかけているようにも思えた。

 このまま、黙っていても良かった。帆波の兄貴への気持ちに気づかないフリして、今まで通り、ウチに上がり込んでくる帆波に『また来てんのかよ』って憎まれ口叩いて、ダラダラと一緒に過ごすこともできた。

 でも……もう限界だったんだ。

 帆波が笑うたび、長い髪が揺れてふわりと甘い香りが漂う。Tシャツに浮かび上がる胸元の膨らみはいつの間にか、ぐっと存在感を増し、ショートパンツから覗く太ももはほっそりとしつつも実に柔らかそうで。――そうやって、どんどん変わっていく帆波の隣で、これ以上、『気づかないフリ』はしていられなかった。自分自身の、帆波への気持ちに……。


 もう空になったコップをぐっと握り締め、「だからさ」と迷いを振り切るように――ダラダラと何年も引きずってきた未練を断ち切るように、力強く言って振り返った。

 そのときだった。

 もう来んなよ――と言いかけた口からは「うお!?」と素っ頓狂な声が飛び出していた。

 いつのまに、そこにいたのか。

 理知的な顔立ちを、これでもかというほどに子供っぽくイジケたように歪め、帆波がすぐ後ろに立っていたのだ。俺を憎らしげに睨みつけながら……。


「来ちゃ悪いわけ?」ぼそっと帆波は唇を尖らせて言う。「お兄さん目当てじゃなくても……」

「は?」


 兄貴目当て……じゃない? 何を……言っているんだ?


「いや……兄貴に会いに来てるんだろ? 何度も、そう言ってたじゃねぇか」


 戸惑いながらもそう訊ねると、帆波はついっと視線を逸らし、


「嘘に決まってるでしょ」

「嘘!?」


 な……なんだ、それ?


「なんで、そんな嘘吐いたんだよ!?」

「知らないわよ!」

「知らない!?」

 

 意味が……分からない。困惑しつつも、なんとか気を取り直し、「じゃあ、なんで――」と畳み掛けるように訊ねる。


「じゃあ、なんで、しょっちゅう、ウチに来てんだ? いつも、何しに来てんだよ?」


 すると、帆波は目を見開き、「は……はあ!?」とひときわ甲高い声を響かせた。怒ったように顔を真っ赤にさせると、ふいっと顔を背けて「そんなの、決まってるでしょ」と吐き捨てるように言った。


「ひ……暇だからよ!」

「暇……!? そ……そんな理由だったのか!?」

「そうよ、そんな理由よ! 悪かったわね、暇で! だから、これからも来るから!」


 有無を言わさぬ勢いで捲し立てられ、もう『来るな』なんて言えるわけもなかった。

 ――てか、言うわけが無い。

 だって、兄貴に会いに来た、てのが嘘だったんなら。ただ、暇だから遊びに来てた、ていうんなら。帆波は兄貴に気がある、てわけじゃないんだろ? じゃあ、俺、まだ、諦めなくていい……んだよな?


「今度の日曜日さ、どっか……遊びに行かね? 久しぶりに……」


 そっぽを向いて、おもむろにそんなことを切り出すと、「えっ」と帆波が戸惑う気配がした。


「な……なんで、突然……?」

「別に……なんとなく。暇なら……で、いいけど」


 もごもごとそう言うと、一つ間があってから、帆波はぽつりと恥ずかしそうに答えた。


「暇よ、バカ」

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