プロローグ2 愛されなかった〝出来損ない〟
人は生まれながらにして平等ではない。
貴族に生まれるか、平民に生まれるかという環境の差。
容姿が優れているか否かという個体差。
そして、そんなことよりもずっと大事なこと――魔術師としての
クロム・ジーヴェストは、
大貴族ジーヴェスト家の末っ子として生まれ本来ならば何一つ不自由することなく育つはずだった彼は、わずか12歳にして家を追い出されることになった。
その理由は単純にして明快。
クロムはこの世界において最も重視される魔術師としての才能――いや、魔術を行使するうえで絶対的に必要な魔力というエネルギーを一切生み出せない体に生まれてしまった。
ただ、それだけだ。
それだけの理由で、彼はその家名を名乗ることすら許されなくなるのだ……
♢♢♢
「あ……おはよう、ございます」
たまたま廊下ですれ違った使用人の女性に挨拶をする。
だが、彼女からの挨拶が返ってくることはなく、一瞬だけ哀れみすら含んだ冷たい目でこちらを見て、そのまま去って行ってしまった。
それからも誰かが近くを通るたびに挨拶をするが、誰一人として彼に挨拶を返す者はいなかった。
「…………」
クロム・ジーヴェストは、存在しない人間だった。
いや、存在しないものとして扱われている、というのが正しいか。
そのことをよく理解していても、声をかけた相手は一瞬だけ振り返って自分を認識してくれるという小さな反応を得るためだけに、挨拶を欠かしたことは一度とてなかった。
わずか12歳の少年であるクロムは、そうでもしないと心が耐えられなかったのだ。
「……今日も挨拶、返してくれなかったな」
当たり前のことだ。
それでも、これが異常であるということを忘れないために、ちゃんと自分の口で言葉にした。
そしてちょっとだけ潤んだ眼をこすってごまかし、その身を投げるようにベッドへと飛び込んだ。
屋敷の隅にある小部屋。ベッドと机と椅子と、その他ちょっとした小物以外置かれていない雑なこの部屋が、クロムの自室だ。
これでは住み込みの使用人の部屋のほうがまだマシだ。
それでも、今のクロムは部屋があるだけありがたいと思うしかなかった。
だからうつ伏せになって枕をかぶり、余計なことを考えないように抑え込む。
そしてしばらく待っていると、コンコンと、軽く扉がノックされた。
それを聞いて飛び上がったクロムは、大急ぎで走ってドアノブを引く、が。
足下にお盆に乗せられた食事が置いてあるだけで、それを持ってきた主はすでにその場から消えていた。
いつも通りだ。存在しない者であるクロムは、家族とともに食事をとることも当然許されていない。
基本はこの小さな部屋で、運ばれてきた食事をとる。
それがクロム・ジーヴェストの――この屋敷の主であるジーヴェスト公爵家の末子の日常だった。
「……なんで僕だけ、魔術師の才能がなかったのかな」
いったい何度、その問いを口にしただろうか。
クロムは生まれながらにして魔力――魔術を行使するために必要なエネルギーを生み出すことが出来ない体だった。
それはこの世界において非常に珍しい、ある意味希少な体。
だが、それは代々優秀な魔術師を輩出する名門貴族であるジーヴェスト公爵家においては、その存在自体があってはならないものだった。
母の体から生まれ落ちたばかりの赤子を殺すべきかどうかを悩まれたくらいだという。
しかしそれは第二夫人である母がそれを全力で拒絶したおかげでクロムは生かされた。
それでも世間的にはクロムは
そのうえ当主である父グラウスは、クロムのことを〝お前など生まれてこなければよかった〟とすら言い放ち、兄弟を含めた屋敷のすべての人間にクロムと関わることを禁じたのだ。
唯一母だけはそれに背いてこっそりとクロムに愛情を注いでくれたが、その母もクロムが7歳の時に病で命を落としてしまった。
それからこの家で彼を味方してくれる人は、一人もいなくなった。
「……剣の修行、しよう」
味気のない料理を乱暴に胃へと放り込んで、クロムはさっと動きやすい服装へと着替えた。
そして〝ごちそうさまでした〟と書いた紙きれを乗せたお盆をドアの外へと置き、窓から外へと飛び出した。
クロムはこの屋敷で暮らすにあたって主に二つのことを禁止されている。
それはこの屋敷の外へ出ること。そしてこの屋敷内で客人の目に触れること。
つまりクロムは正面玄関を使うことが出来ないのだ。
しかし逆に言えばこの二つさえ守れば基本的に何をしても咎められることはない。
部屋の窓から出た先は基本的に客人の目に触れることのない屋敷の裏側。
そして彼が走った先には、広い訓練場があった。
外見はドーム状の建物で、壁に当たった魔術を吸収しエネルギーに変換する最新技術を用いた造りになっている。
早朝や夕方などは父や兄などがこの訓練場を使うので近寄れないが、この時間はほとんど人が来ないので実質貸し切りのようなものだ。
クロムはさっそく簡単に準備運動をして体をほぐす。
そして、
「ふーっ……」
大きく息を吸い込んで、吐いた。
ここには様々な訓練道具があるが、クロムにはそれを扱う権利がないので、持ってきた剣代わりとなる重い鉄の棒をぐっと両手で握りしめた。
そして目をつむり、深く集中し、頭の中でゆっくりと思い出す。
「――いいか。お前の動きには無駄が多すぎる。如何にその場から最短で敵を斬るか。それだけを考えろ」
剣の師匠がクロムに叩き込んだ動き、心得を何度も反復し、それに合わせて舞を踊るように体を動かした。
師匠――クロムは
何故なら名前も、顔すらも知らないからだ。
だけど、師匠は母親を喪ったあの夜に、突拍子もなく現れた。
「小僧、なかなかいい才能を秘めておるな」
母の死を知り、その死に目に立ち会うことすら許されなかった彼は、真夜中に人知れず飛び出して一人で泣いた。
声が屋敷の中にすら届かない裏庭の隅で、涙が枯れるほど泣いた。
泣いて泣いて泣き疲れて、これからどうしようとうずくまっていたところに、彼は現れた。
果たしてそれは寂しさからクロムが作り出した幻覚だったのか、あるいはその場に
その真相は今でもわからないけれど、うっすらと浮かび上がった映像のような体でクロムに近づき、剣を教えようかと言い放ったのだ。
「……強くなれば、みんな僕のこと、ちゃんと見てくれるかな」
「ああ。高みに辿り着けば、いつか必ず貴様の剣を称える者が現れる。魔術師に
どういうわけか、彼はクロムのことをすべて知っていた。
クロムは彼のことを何も知らないのに。
でも、それに〝どうして?〟という疑問を抱くことよりも、目の前に現れた希望に縋りつくことを選んだクロムは、何も聞かず彼に剣を教わることにしたのだ。
それからの二年は、あっという間だった。
屋敷の中では誰も相手をしてくれないけれど、外に飛び出せばクロムを弟子として扱ってくれる師匠がいる。
剣の修行は途轍もなく苦しく大変だったけれど、それでもとても楽しかった。
師匠の言う通りクロムには才能があり、みるみるうちに師匠の教えを吸収し、体格も年齢に見合わぬほどしっかりとしたものに仕上がっていった。
そして母の死からおよそ二年と三か月経ったある日。
いつになく重い雰囲気を纏いながら、クロムにこう言った。
「剣を教えるのは、今日が最後だ」
「えっ!? ど、どうして!?」
「この二年で貴様に教えることはなくなった。ワシは次の才ある者を探しに行く」
「そ、そんなっ! まだ僕なんて――」
「剣を執れ。最後にワシを打ち破って見せよ」
そう言って師匠は一振りの刀をどこからともなく取り出して、クロムに投げ渡した。
クロムはいつものようにそれを受け取り、無言で鞘から刀身を抜き出した。
当然父には剣など買い与えられるわけもなかったので、こうして師匠が謎の力で用意した刀を借りて修行をしていたのだ。
師匠は〝我が流派を一人でも多くの者に受け継がせたい〟と言っていた。
だからこそ死してなお現世を彷徨いながら、クロムのような才ある者を探し求めているのだという。
「……さあ、来るがいい」
「――いきます」
いまだ自分は未熟者であり、もっと教えを請いたいということ。
そして何より、また一人ぼっちにさせないでほしいという引き止めの願い。
言いたいことはたくさんあった。
だけど、刀を抜き己を倒して見せよと立つ師匠を前に、それを口にすることはできなかった。
クロムは大きく息を吸って、師匠の足の指先から頭まで、その動きを余すことなく観察し様子を伺う。
先に仕掛けたのは、師匠だった。
幾度となく見て、真似をした動き。己の体を水流のごとく滑らかに滑らせ、敵に迫り、相手が防御行動に入る前に斬る。
凄まじい速さ。だけど僕はその動きを完璧に目で追い、頭が指示を出すよりも前に体を動かしていた。
「――っ、はぁっ!!」
クロムの刀が、師匠の刀に触れる。
だがそれは単純な力の競り合いとはならず、クロムがその衝撃をやさしく受け流すと同時にその下に潜り込むように体を滑らせ、そして斬った。
「ぐ……」
勝負は、一瞬だった。
クロムの勝利だ。
わずか9歳にして彼は師匠を上回っていたのだ。
「……見事だ」
「ぼくの、勝ち……?」
「そうだ。これで本当にワシが教えることはなくなった。あとは貴様自身でその腕を磨くがいい」
「……でも」
「……さらなる極意が知りたければ、さらに腕を磨き、ワシが死した地へと来るがいい。ただし生半可な強さでたどり着ける場所ではないぞ。だがもし、その地へ達することが出来たならば、貴様はこの世界における最強の剣士を自称することが許されるだろう」
最強の剣士。
その響きに、クロムは強く惹かれた。
最強になれば、誰もがクロムのことを認める。
出会ったときに師匠が言っていたように、出来損ないのクロム・ジーヴェストではなく、最強の剣士クロムとして見てくれる。
「最後に、我が流派の名前を教えておこう」
「流派の、名前?」
「
「至天水刀流……」
「これからもその名に恥じぬ剣士となれるよう精進するがいい。では、さらばだ」
「あっ、師匠――」
別れの言葉すら言わせてくれぬまま、師匠はどこかへと消え去ってしまった。
酷い人だ。でも、こうしてくれたほうが、クロムにとって良かったのかもしれない。
取り付く島もなく去ってしまった師匠を、クロムは追おうとしなかった。
どうせ何を言ったとしても無駄だっただろうと理解していたのもある。
また孤独になってしまったという事実から目をそらすために、クロムはいつも通り、そこに師匠がいるものとして剣の修行を再開するのだった。
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