第31話 じゃあ下に行きますか

「ゴブリンの巣じゃなかったんだな」


 学校の校庭のような赤土の地面をゆっくりと踏みしめながら慎二はそんな事を呟いた。何しろここに来るまでの森の中で何度もゴブリンの姿を見たものだから、地下に続く道はもれなくゴブリンの巣へと続いているのかと思っていたのだ。


「しかし、歩きやすいよな」


 ジークフリートは改めて足元を見てそんなことを口にした。確かに足元に残る足跡は、大小形も様々で、新しい物から古いものまでいろいろあった。そのおかげで凹凸はほとんどなく、なめらかなスロープのような造りになっている。


「この先に魔王城があるってことなのか?」

「どうなんだろうな?魔王はいないんだろ?」

「ああそうか。今の魔王は光輝なんだよな」


 今更ながら、心にダメージの来る設定だ。なんだってこんな鬼畜の所業ができるのか、一度聖女を問いただしてみたいと思いつつ、やっぱり聖女とは二度と会いたくはない。くだらないことを考えつつひたすら下っていく。


「ドラゴンが見てもわかりやすいぐらいに黒髪だったってことだよな」

「闇落ちしても元から俺たち黒髪だしな」

「ドラゴンが見たのは本当にあの坊やなのか疑わしいけどなぁ」

「はあ?」

「いやいや勇者様よ、ドラゴンは何百年も生きてるんだぜ」

「だからと言って、今はさっきのドラゴンの話ぐらいしか当てがないだろう」

「そうなんだよなぁ」


 ジークフリートはそんなことを言いつつも、足を止めることはしない。辺りを警戒しつつ慎二の少し後ろを歩いていく。そうして時々急な曲がり角を何回か抜けつつ、慎二とジークフリートは山の中の最下層にたどり着いた。


「この微妙に明るいのは、何なんだ?」


 確かに、山の中のいわゆる洞窟を下に下にと下ってきたはずなのに、あたりは真っ暗闇にはならず、常にぼんやりとした明るさが保たれていた。慎二はあまり気にしていなかったが、よくよく考えればおかしな話である。ここは異世界ではあるけれど、現実世界であるから、洞窟の内部が明るいということはおかしなことなのだ。どうやら慎二の頭の中では、勝手にゲーム画面に変換されていたようで、本来なら真っ暗闇のはずなのに、ぼんやりと明るいことになんの違和感も抱いていなかったのだ。


「そういわれてみれば、そうだな」


 慎二は立ち止り辺りを見渡した。先ほどまで歩いてきたなだらかなスロープは、よくよく見れば天井に松明のような明かりがぶら下がっていた。そして、たどり着いたこの広場のような空間には、明らかに人工物の噴水のようなものが設置されている。その周りには日本で見たような外灯がいくつも立っていた。今更なのだが、確かに誰かの手が入っている。それだけは間違いないのだが、短期間で光輝がここまで作れるものだろうか?慎二は考えながらも、あたりをゆっくりと確認していく。


「なあ、これなんだ?」


 慎二とは反対側を確認していたジークフリートが声を上げた。慌てて慎二がそちらに駆け寄れば、いかにも入り口です。と言ったように岩の壁に人工物の扉が張り付いていた。


「俺にはにみえる」


 慎二が見たままに答えれば、ジークフリートがいぶかしんだ。


「玄関。ってなんだ?」


 いやいや、玄関は玄関だろう。そう慎二は言おうとして、はたと気が付いた。この形状の扉を見て、玄関だと言えてしまうのは、おそらく日本人だけだろう。横にスライドをさせて開く扉だなんて、この異世界では見たことがなかった。おまけにドアノブがない。これは完全に初見殺しである。だが、日本人ならわかってしまう。いわゆる引き戸だ。ドアノブではなく、引手がついていることに慎二はすぐに気が付いた。


「俺たち日本人には馴染みのある扉だよ」


 そう言って引手に手をかけようとして、慎二はふと気が付いた。この扉を設置したのが自分と同じ日本人なら、鍵をかけるはずだ。用心深い日本人なら、在宅でも鍵をかける。それに、慎二だったら念には念を入れて、魔法の鍵を絶対につける。いわゆる合言葉的なやつで。


「…………」


 慎二は自分の心を落ち着かせるために、数回深呼吸をした。きっとそう、多分そう。絶対にそうだ。


「ごめんくださーい」


 そう言ってから引手に手をかければ、扉は難なく横にスライドした。


「呪文か?」


 隣に立っていたジークフリートが驚きの声を上げた。たしかに、聞きなれない言葉であるから、呪文のように聞こえただろう。


「まあ、そんな感じ?」


 中に入り、扉を閉めれば、すぐさま慎二は次の言葉を口にする。


「お邪魔しまーす」


 言った途端にあたりが明るくなった。

 そして、そこは慎二が思っていた通りの日本家屋だった。


「下駄箱がある」


 腰の高さほどの小さな物入が設置されていて、一目で下駄箱だとわかった。おまけに靴ベラがあって、一段上がったところにはご丁寧にスリッパが二足並べられていた。


「なんだこれ?」


 日本の玄関何て知るわけもないジークフリートがきょろきょろと辺りを見渡している。その姿は初来日の外国人のようでなんとも微笑ましい。


「ジークフリート、ここで靴を脱いで、そしてこのスリッパをはいてくれ」

「は?靴を脱ぐ?」


 靴を脱ぐのは寝る時と風呂の時ぐらいの生活を送っているジークフリートからすれば、慎二の言っていることはまったく意味の分からないことだろう。なにしろジークフリートにとってはここは魔王城なのだから。


「いいから、ここは日本人が住んでいるんだよ。だから俺の言うとおりにして」

「あ、ああ」


 ジークフリートは訳がわからないまま、スリッパの隣に腰を下ろして靴ひもを解きだした。何しろ長旅を想定した格好なので、履いているのは足首まで覆われたごつごつとした造りの皮のブーツだ。もちろん、慎二だって似たようなものを履いているから、ジークフリートと同じようにして靴を脱ぐ。そうして久しぶりに解放感にあふれた両足をスリッパに突っ込んで、慎二は廊下の先へと進んでいった。


「きっとここだから」


 案内なんか無くてもわかる。廊下を進んだ先にある障子の扉の先に誰かいる。


「こんにちはー」


 そう声をかけて慎二が障子を開ければ、予想通り、そこには慎二と同じ黒髪黒目の少年たちが仲良くコタツに入ってくつろいでいたのだった。 

 

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