第16話 緊張のバイト初日は些細な褒め言葉もうれしい

 5時から開店準備を始め、6時に開店。初めてのバイトは分からないことだらけだ。俺、敬語すら怪しいし。


「すごいね、入谷くん。細いのに力あるんだ」


 ビールサーバーの生樽なる物を抱え上げると、橋本さんがわー、すごーい、とかわいく拍手してくれている。


 え? いや、俺、力なんかねえ。この樽が俺でも持てる重さなだけだ。


「いや、俺力ねえっす」


「あるよー、私樽交換苦手なの。助かるー」


 ……助かる?


 初日の俺でも役に立ててるんかいな? すげーうれしい!


「これでも男っすから、力仕事は任せてください!」


「へー、男らしいんだ、入谷くん」


 おう! 俺は男たるもの優しく男らしい男になる男だからな! 何回男出てくるんだ。


「そりゃーもう! 俺ゃ男っすから!」


「さすが男の子だね。頼りにしてるね」


 おう! 俺に任せとけ!


 ひと通り教わって、橋本さんの接客を横で見させてもらって、俺もやってみる。


 橋本さん、すげーな。めっちゃニコニコして接客してる。俺は普段からもあんなにニコニコしてない上に結構テンパってっから、笑顔! 笑顔! と橋本さんにも店長にも何度も言われた。


 たしかに、常連さんが多いらしく、


「新しい子が入ったんだ」


 と何人もに言われた。


 髪が緑と白とグレーが複雑な色合いを見せるおばちゃんには


「まー、かわいい子が入ったわね! うちの孫に欲しいわ〜」


 と言われ、ハゲた小さいおっさんからは


「えらい男前が入ったなー。天音ちゃん達、取り合いになるんじゃねえのー」


 と言われた。客に容姿を褒められると気分がいいもんだ。ホスト達の気持ちがちょっと分かったかもしれない。


 下の名前で呼ぶ客が多くて、俺にも


「統基くん! 生3つおかわり!」


 と注文される。


「はい!」


 この生ビール入れるのが難しい。あー、泡入んねーわ。


「泡ないけど、いっすか」


「あはは! 仕方ねえなー初日だからいいことにしてやるよ!」


「すんません」


「ありがとうねー、田島さん!」


 店長もフォローしてくれる。悪いな、店長。俺ビール入れるの苦手みたい。


 2杯目は、慎重に操作して泡を入れるのには成功した。


「半分泡なんすけど、いっすか」


「それはよくねーわ!」


 と田島グループから笑いが起きた。えー、入れ直さないとダメなのか。もったいねえ。捨てるくらいなら誰か飲まねえかな。


「ちょっと待てば泡が引くから、ビール足せばいいよ」


 と橋本さんが教えてくれる。あ、そうなんだ。早まって捨てなくて良かった。


「分かりました。ありがとうございます」


 3杯目は、いい感じに入れられた! おー、橋本さんのお手本よりは泡少なそうだけど、これはいい感じだろ。


「いい感じっすよ、これ! 成功じゃないっすか?」


 と田島グループに持って行く。


「おー、うまいじゃん、統基くん」


「かっこいいし、いい子入ったねえ、店長」


「ごひいきにお願いしますー」


 と店長が笑っている。座敷にデカい長テーブルが3つと、L字のカウンター席には10人以上は座れそうかな。店長のいるカウンター内からはひと目で店内が見回せそうな、狭い店だ。


 今は結構混んでて、長テーブルひとつに相席ってか、2グループが座ってる。カウンターも、ほぼ満席だ。


 9時45分。俺は10時までだから、あともうちょいだな。あー、なんか、あっという間だった。


 ガラガラーと引き戸が開いて、


「おはようございます」


 と、背の高いメガネを掛けたイケメンが入って来た。おはようございます?


「あ、おはよー」


「おはようございます」


 店長と橋本さんが言う。あ、10時からのバイトさんか。階段の方に歩いていく。


「おはようございます」


 1拍遅れて俺も言う。


「もうそんな時間か。入谷くん、まかない食べて上がっていいよ」


「まかない?」


「晩ごはん。おなか空いたでしょ」


「え? 飯食えるんすか?!」


 驚く俺を見て店長が笑った。


「うん、簡単なものだけど食ってって」


 店長がカウンターの端に丼と水と箸を載せたお盆を置いてくれる。


「やったー。いただきまーす」


 ごはんの上になんか魚みたいなのが載ってる。おー、タレが絡んでて美味い! 労働後の飯は格別だわ。ガツガツ食ってたら、


「いい食べっぷりだねえ。あんたいくつ?」


 と隣に座るおばちゃんに聞かれた。


「15っす」


「15?! そりゃたくさん食べないとね」


「あ、入谷くん! 明日時間ある? 急だけど入谷くんの歓迎会しようと思って」


 飯食わせてもらった上に歓迎してくれんの? ありがたい話だな。


「ありがとうございます! 昼からだったら時間あります」


「じゃあ他のバイトさん達の都合聞いて、時間また連絡するよ。あ、あと上のデスクのノートに簡単でいいから自己紹介書いといて。バイトさん達の交流ノートなんだ。皆好き勝手書いてるから」


「あ、分かりましたー」


 そういや、なんかノートあったな。自己紹介ねー。何書こうかな。


 俺が座るカウンター奥の階段をイケメンが降りて来た。


「あ! 工藤くどうくん! 新しいバイトさん紹介するよ。入谷くん」


 工藤と呼ばれた人がこっちに来る。俺も立ち上がる。


「工藤 健一けんいちです」


 健一か。惜しいな。何がとは言わんが。小さい声でボソボソしゃべる人だ。


「入谷 統基です。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 顔はいいけど無愛想な人だな。店長や橋本さんは超ニコニコなのに。こんなんで接客できるのか、コイツ。


「健一くん! 待ってたのよー」


 工藤さんが客席の方へと出て行くと、おばちゃんグループが盛り上がってる。俺が座ってる位置からは様子が見えないけど、なんだ、大人気じゃねーか。


「お待たせしましたー。今日も楽しく飲んでいってくださいねー。今日のおすすめは……3種盛りとサイコロステーキだそうです! もう頼みましたかー?」


「まだー」


「じゃあ、両方頼んでいいですかー?」


「いいよー」


「あーりがとうございまーす! 店長ー、3種盛りとサイコロステーキ入りましたー」


 なんだあいつ! 客前に出たら急に声デカいし漫才師みたいなノリとテンションになった。オンオフしっかりし過ぎだろ!

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