第109話 訓練開始 ~イザベル先生による、クロウ君への愛の特訓~
広大な地下訓練場において対峙する人影が2つ、相対するは火と水の魔力。
そう、イザベルとクロウだ。
「…はぁ…はぁ。くぅ、今度こそ…。はあぁぁああ!!ウォーター・ボール!!」
クロウは、右手に水の魔力を集中させると、そこから複数個の大きな水の球を構築する。
そして間髪入れず、それをイザベルへと向けて射出した。
ドシュン!
ドシュドシュドシュドシュン!!
途端、5つの
————ちなみに。
クロウが行使した水魔法である、この“ウォーター・ボール”。
これはごくごく初歩的かつ一般的な詠唱魔法であり、水属性魔法使いの多くが一番最初に習得する魔法である。
仮にこの魔法を、宮廷魔術師と呼ばれる、いわゆる立派なエリート魔法使いのお歴々が行使したとしても、野球ボール大の水球を1つ、時速約70~80キロぐらいで飛ばす程度の魔法である。
だがクロウは日々の訓練により、複数のウォーター・ボールを続けざまに、そしてその速度や威力を大幅に強化して射出することに成功した、もちろん無詠唱というおまけ付きで。
だが…。
パパパパパン!!
ドン…ドドドドン…!!
「あぁ…!!」
「ふふっ、何度やっても同じさ。残念だがその程度の魔法、アタシには通用しないねぇ」
イザベルは、クロウが放った高威力のウォーター・ボールを左手1本で難なく弾き飛ばすと、両の手の平を身体の横で上に向け、肩をすくめる。
「はぁ…はぁ…はぁ…!し…信じられん…。この数週間で…、はぁ…はぁ…俺の魔法は格段に向上したというのに…」
カラカラと笑う余裕のイザベルに対し、片や息も絶え絶えのクロウ。
既に何十というウォーター・ボールを行使したクロウは、既にその身体に内在する魔力も底をつきかけていた。
ここまでの差があるのか…?
尊敬と驚愕とが入り混じったような、そんな複雑な思いを抱きつつ、クロウは大きく肩で息をしながら、次々と額から頬へと流れ出る汗を拭った。
「さて、と。防御ばっかってのも性に合わないからねぇ。今度はアタシの方から行かせてもらうよ?せいぜい踏ん張ってくんな!」
イザベルはそう言って軽く両手の拳を握り込み、にやりと笑うと、大きく息を吸い込んだ。
そして。
「はぁあああ!!」
ゴォオオ!!
「うっ…!?」
突然襲い来る衝撃波に、クロウは咄嗟に身構えて防御の姿勢を取った。
だがこれは、別段イザベルが意図したわけでもなければクロウを攻撃しようとしたわけでもない。
ただ単に、無属性魔力で一気に身体を強化したイザベルから、その余波ともいえる衝撃波が巻き起こっただけの話なのだ。
「さぁ、準備はいいかい?…いくよ?」
静かに息を吐き出したイザベルは、両脚を肩幅より少しだけ大きく広げた。
そのままグッと膝を曲げて腰を落とすと、今度は右脚を少し後ろへ。
イザベルのその所作は驚くほど緩慢なのだが、同時に怖気がするほどの迫力にも満ちていた。
クロウは一瞬、イザベルの身体に陽炎か何かがまとわりついているような、そんな感覚にすら陥ってしまう。
「…!!(ま…まずい…来る…!!)」
————その刹那。
ズドォン!!!
まるで巨大な大砲が打ち出されたかのような勢いで、イザベルは猛然とクロウへと突進した。
イザベルが蹴った地面はその反動でえぐれ、土煙が舞う。
「…まずい!!…はぁぁああ!護れ!ストーン・ウォール!!」
ズズ…ズズズズン…!!
クロウは、凄まじい勢いで迫ってくるイザベルと距離間隔を保つべく、自身も無属性魔力で両脚を強化しつつ後方へ飛び退きながら、そのまま左手で土魔法を行使した。
ストーン・ウォール。
その魔法もまた、土魔法の基本中の基本というもので、通常であれば、高さ約1メートル、厚さ50センチ程度の低い土壁を作り出す魔法である。
だが鍛えられたクロウのストーン・ウォールは、まさに訓練場の天井まで届こうかというほどの高さと、2~3メートルはあろうかという分厚さ。
見ようによっては城壁のようにも見える巨大な土壁がクロウの前方に形成され、イザベルの前に立ちはだかったのだ。
「へぇ、やるじゃないか!アンタ水と土の
「…なっ…何…!?」
土壁の向こうから聞こえる自信満々のイザベルの声。
自分の防御はこの土魔法で鉄璧のはず…、そう思っていたクロウだが、聞こえてきたその声は妙に耳に残り、胸に一抹の不安が去来する。
自らが創り出した土壁によって相手の姿が見えないことが、余計に不安を搔き立てているのかもしれない。
クロウはレインとの訓練で無詠唱魔法を習得するとともに、その魔力量は桁違いに増加した。
また、繰り返し繰り返し、確固たるイメージを構築することで、その魔法の威力や制度も飛躍的に向上した。
きっとそれはエドガーやクリントンも同じだろう。
実際クロウが行使したこのストーン・ウォールは、相手が一般的な魔法使いや魔獣の類であれば、かなり効果的な防御魔法となったことだろう。
だがあくまでそれは、
現在のクロウの訓練相手は、同じブラックタートルクラスの同級生でもなければ、怪我をしないように配慮しながら魔法を撃ち合ってくれる教授陣でもない。
「クロウっていったね?ま、なかなかイイ線いってんだろうけどさ。アタシみてぇな捻くれ者にとっちゃあ…ほれっ!!」
ドッゴォ——————ン!!
訓練場に響き渡った音。
現代日本で例えるなら、高層マンション等の建築現場から時折響き渡る、何か固いものと硬いものがぶつかったような、そんな巨大な音。
そして—————。
ピシッ…。
「……?」
ピシピシ…!!
「…!!?」
ドッバアァァァン!!
小さな亀裂が走ったかと思うとそれは一瞬にして大きく広がり、次の瞬間、クロウの作り出した土壁は派手に崩壊した。
噴出する土煙と、飛散する大小の土の塊。
眼前の光景に、クロウは驚愕に目を見開く。
誰にも破られるはずはない、そう思っていた自慢の
「そ…そんなバカな…、一撃で…!?」
だがクロウは瞬時に思考を切り替えた。
魔法を破られたのは事実だが、今はそこじゃない。
いや、
壁を突き破られた
「なっ…!?…いない…!?」
だがそんなクロウの予想とは裏腹に、崩壊した土壁の向こうにイザベルの姿は無かった。
噂に聞く猪の魔獣、エビルボアの如く、猪突猛進してくると思っていたのに…?
「…背中、強化しときなよ?」
次の瞬間、クロウは小さな声を聞いた。
それは間違いなくイザベルの声だったのだが、同時に驚くほど穏やかな声だった。
まるで昼下がりのティータイムに、「紅茶がお熱くなっておりますので、お気をつけください」と、側付けの侍女に諭されたかのような、静かな一言。
一瞬時が止まったかのように感じながら、クロウはその視線だけを下に向ける。
そこでやっとクロウは、壁の向こうから消えたイザベルの姿を見つけることができた。
何故だからわからないが、イザベルはその身体を深く沈み込みこませながら、クロウのすぐ近くで背を向けている。
次にふと、クロウの目に飛び込んできたのは、漆黒のロングコートから踊り出る、紫色の美しい髪だった。
それは清らかな川の流れのようでもあり、また、黒い大地を縦横無尽に這う、妖艶な紫色の蛇のようにも見えた。
「…?(か…身体が…浮いていく…?)」
ふわりと身体が浮かび上がるような、そんな酷く落ち着かない感覚に陥った一瞬の後、クロウは自分の右腕が、ガッチリとイザベルにホールドされていることにようやく気が付いた。
だが、時既に遅し———。
そこからは、まるでスローモーションを見ているような感覚だった。
無論、テレビやブルーレイレコーダーなどが無いこの世界では、録画再生のスローモーションなどというものを見る機会などあるべくもないが、ある種の場面においては、脳の起こす作用として知覚するそれは確かに存在するのだ。
「……(そうだ。背中…強化…)」
ふとイザベルの言葉を思い出し、クロウはごく自然に、自身の背中を無属性魔力で強化する。
その言葉が何を意味するのか、詳細はわからずとも、何となく感覚では理解できていた。
次の瞬間。
視界が、思考が、そして自分以外の全てが超高速で反転した。
ズダァアアアアン!!!
「—————————————…っ!!!」
言葉は出なかった。
否、正確に言えば、発する余裕などなかった。
クロウの背中から生じた痛みと衝撃は、文字通り、頭のてっぺんから爪先までを一瞬のうちに突き抜けたのだ。
全身の感覚が麻痺し、大の字で地面に寝そべったままのクロウ。
しばらくすれば当然、強烈な痛みにも襲われるのだろう。
イザベルの言葉に従って背中を強化しなければ、今頃一体どうなっていたのだろうか…?
いや、そもそも自分は何をされたのだ?
一体何がどうなってこんな格好で寝そべっている?
そんなことをぼんやりと考えながら、徐々に疼き始めた背中に顔を顰めながら、訓練場の高い天井を見つめていたクロウだったが、ふと視界に異物が飛び込んできた。
イザベルだ。
「おーいクロウ、生きてるかい?」
「えぇ…お陰様で…。けど恥ずかしながら、何がどうなったかサッパリで…」
呆然とした様子で寝そべるクロウを見下ろしていたイザベルは、そんなクロウの言葉に、カラカラと笑い始める。
「はっはっはっ!不用意にあんなでかい壁を作るもんだから、アンタからはアタシの姿が見えなくなっちまったろう?んでもってその壁をぶっ壊しゃあ、土の破片で無数の隠れ蓑の出来上がりってわけさ」
そんなバカなことを思いつくのはあなたぐらいだろう…?とは思ったものの、口に出しはしないのが、クロウの賢いところ。
「そうなりゃ後は簡単。アンタの右手をがっちりホールドしたら、イッポン・ゼオイで投げ飛ばすだけさ!」
「…イッポン・ゼオイ…?」
「あぁ。実はこのアタシも、一番最初に
いつの間にかイザベルの顔は、戸惑うクロウの顔のすぐ近くまで迫っていた。
それだけでなく、クロウを鍛えることを自分のことのように、そして何よりついさっき会ったばかりの自分に対し、子供のような笑顔で目をキラキラさせるイザベルの姿に、クロウは背中の痛みも忘れ、ついつい吹き出してしまった。
この人なら、掛け値なしに自分を強くしてくれるかもしれない。
自身が囚われたしがらみを、変えることができない今の状況を、そして何より弱い自分自身を、変えられるかもしれない。
そんな思いをひた隠し、クロウは何とか立ち上がろうとするが。
「よし、じゃあもう1回最初からだね。さあ立ちな、すぐ立ちな」
イザベルは満面の笑みでそう言った。
「え…?あ、いや、ちょっとまださっきの技で身体中が痛いというか、麻痺しているというか…、もうしばらく待ってもらえればと」
「あっはっは!若いもんがナニ言ってんのさ!痛みなんてもんは新しい痛みで上書きすりゃあ、綺麗さっぱり消えちまうだろうが!ほらほら、立てないならアタシが連れていってやるよ!!」
イザベルは大声で笑いながら、むんずとクロウの服の襟を掴むと、そのままズルズルと引き摺って歩き始めた。
「ま、…ちょっと確かめたいこともあるしね…?」
ズルズルとクロウを引き摺ってゆく音の影で、イザベルは誰にも聞こえないように、小さくそうつぶやいた。
「いや!?あの…ちょっと…?イザベルさん…!痛い…痛いんですけど…!?…う…うわああああ!!」
こういう役回りはレインの担当ではないのか!?
そんなことを考えながら、なす
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