第68話 人も、魔獣も

 広大な地下空間を隅々まで照らした光もいつしか消え、そこは再び静寂を取り戻していた。


 先程久し振りにかなりの魔力を放出した俺。

 自分で言うのもなんだが、俺はものすごくだらしない格好で、シロにもたれかかっている。


「あー疲れたよー、シロー。魔力がほぼスッカラカンになっちゃったぜー…」


口元に当たるシロのモフモフが心地よい。

このまま眠ってしまいそうなもんだ。


『ワンワン!キューン!!』


「わわ!?うひゃひゃひゃひゃ!くすぐったいって、シロ!やめろって!あはははは!!」


 シロは体を翻すと、嬉しそうに俺の顔をペロペロと舐めはじめた。

 ちょっとザラザラしたシロの舌で俺は顔を舐め回され、くすぐったいやらベトベトによだれまみれになるやら。

 …だがシロが喜んでくれたようで、俺も嬉しい。


 そんな風にはしゃぐ俺たちに、とても穏やかで優しい声が聞こえてくる。


『うふふふふ。仲がよろしいのですね?』


 もちろんその声の主は、件の女王アリだ。


 どうやら、女王アリの巨大な魔石への燃える闘魂…ではなく魔力の注入が間に合い、無事元気になったらしい。


「えへへへへ、そうでしょ?なんたってシロはうちのかわいいペットですし、我がプラウドロード領のマスコットキャラなんですから。そうだ、なんならユリに言ってシロちゃんぬいぐるみでも販売するか。きっとヒット商品に…」


『ワン!ワン!ワン!』


 しっぽを思い切りブンブン振りながら、なおも体全体で喜びを表現するシロ。


 かわいい…かわいいんだけどね、シ…シロ…?

 お前さ、若干大きいから…うぐっ!?

 あんまし暴れたら…ぐええっ!!

 俺の身体が…って、痛ででででで!?踏んでる!!

 お前、俺の大事なとこ踏んでるし、そこに思いっ切り体重が乗ってるううう!?…ガクッ。


『この度は私を…いえ、我々全員を救っていただき、本当にありがとうございます』


 女王アリは、その大きな頭をグッと下げた。

 その真摯な気持ちが伝わってくる。


『…ワフ』


 シロはスッとその場に立ち上がり、(あくまで俺の大事な部分を踏んづけたまま)真っ直ぐに女王アリを見つめた。  


 ザッザッザッ。

 ザッザッザッ。


 また、そんなシロに触発されるかのように、俺たちの周りには、さっきまで倒れていたアリたちが立っていた。

 みんな出会った時よりも体調がいいのか、なにか凛とした雰囲気を感じる。


(…ふぅ、こっちも大丈夫だったか。よかった、苦労した甲斐があったってもんだわ)


『…特にレインさん、あなたの途方もない魔法の力、これまで相応の時を生きてきた私ですら驚きを禁じ得ません。けれどそれ以上に、心から…本当に心から感謝申し上げます。今ここにあなたがいなければ私はこの世から露と消え、また我が子たちも冷たく朽ち果ててゆくのを待つばかりでした…』


 女王アリは、自分の周りに立つアリたちを一匹一匹愛おしそうに見つめていた。

 その目は紛れもなく優しい母親の目。

 …うちのゆるふわ母が、俺やエリーに向ける眼差しと同じだ。


『レインさん。私はその上で、どうしてもあなたに1つ聞きたいのです。…なぜ…、なぜあなたは人の身でありながら、魔獣である私を…いえ、我々を助けてくださったのですか?ともすれば我々はあなた方に敵視されてもおかしくない異形…。時には脅威にすらなり得る存在であるはず…。そんな我々をなぜ…?』


 女王アリは真剣な眼で俺を見つめる。


(んー…なんでって言われてもなぁ…)


「そんなにあらためて聞かれる程の理由なんてありませんよ?さっきも言いましたが、シロがあなたたちを助けたいと思っていた…それが一番の理由でしょうか」


『…ゴロゴロ…ゴロゴロ…』


 俺はシロの下から這い出すと、今度はその喉元をグリグリモフモフしながらそう答えた。

 

 おお…この猫みたいな声もかわええなぁ…。

 ここか?

 ここがええのんか…?


『それは承知しています。その…何と言いますか、があなたに飼われているという事実もにわかには信じ難いことですが…この際そこは置いておきましょう。…私がお伺いしたいのは、あなた自身の心の内なのです』


「うーん…、そう言われてもなぁ。昔シロと何があったのかはよく知りませんが、そんなに色々と難しく考えなくてもいいと思うんですけどねぇ…。うーん」


 俺は顎に手を当て、頭をひねってみるが、やはりそんなに難しいことは思い浮かばない。


『…難しく考えなくても…よい…?』


 女王アリは首を傾げた。

 つられて周りのアリたちも首を傾げる姿にちょっと笑ってしまう。


「だってほら。さっき女王アリさんは、子供たちを助けたいって泣いてらしたじゃないですか。それで十分ですよ。僕としては、近所で困ってるお母さんを助けたら、…、っていう感じですけどねぇ?」


『——————!』


「…さらに元はと言えば、僕たちが地面を掘ってわいのわいのとそちらをお騒がせしてしまったわけですしねぇ…なははは…」


 俺は苦笑いしながら、ほっぺをぽりぽり。

 

(工事に際し、地面の下の地元住民への説明を怠っていたのは俺だしな…。いや、その辺りの責任を追求されたら、ここはマッチョ父のせいにして…)

 

『…あなたという人は…。ふふ…うふふふふふ。もはや言葉もありません。ですがもう一度だけ言わせてください…。本当にありがとうございました』


 女王アリは再び頭を下げた。

 今度は周りのアリたちも一緒に。

 

 おぉ…どうやら工事に対する苦情は言われなさそうで一安心だな。


「いや、ほんっと気にしないでください。なぁシロ?」


『ワフッ!』


『いえ、そういうわけにはまいりません。我々は数多くの命をあなた方に救われたのです。私はこれでも一族の長…、助けられたまま何も恩返しできないとあっては我が子たちにも顔向けできません。何か人間の役に立つ物でもあれば…』


 サササッ。


 そんな折、一匹…というのは失礼か。

 一体のアリが女王アリの横に立つと、何やら話しはじめた。 


『…ギギッ…ギィギィ…。ギギギィ』


『…ええ、ええ。あぁ成程。それならもしかすると、彼らの役に立つかもしれません。よく教えてくれましたね、ありがとう。ではあなたは、そのまま彼らを案内してくれるかしら?』


 女王アリはそう言うと、再び俺の方へと向き直る。


『レインさん。お役に立つかどうか確約はできませんが、我が子たちが巣穴を掘る際に除けるなどした、色々な種類の石が奥の部屋にあるそうです。我々は石の価値など分かりかねますが、普通の岩とは些か違う物だそうです。もしレインさんに有用な物であるならば、どうぞご自由にお待ちください』


「そうですか、わかりました。ぜひ確認させていただきますね。…けどなんか逆に気を遣わせてしまったみたいで恐縮です」


 今度は俺が、ぺこりと女王アリに頭を下げた。

 そんな俺の様子をじっと見ていた女王アリは、少々の沈黙の後、遠くに視線を移すと再び穏やかな声を発する。


『あぁ…。かつて蔑まれ、忌み嫌われた私が、まさか人の子とこのようなやり取りができる日が来ようとは…。私は…いいえ、我々は今日という日を生涯忘れることはないでしょう。…他には何かありませんか?我々にできることなら何でもさせていただきましょう』


 なんかえらく感激されちゃってるけど…。

 俺としてはシロのために軽い気持ちで助けただけなんだけどな。

 しかしまあ…へっへっへっへっ…。

 そこまで言うなら、逆にお断りするのも申し訳ないってもんだよね…うしししし。

 仕事なら、たくさんありまっせ?


「そ…そうですか?いいのかなぁ…、えへへ。でもせっかくだから、ちょっとだけお願いしちゃってもいいですか?」


 ※※


 ザッザッザッザッ。


 女王アリとのやり取りの後、俺とシロは道案内をしてくれるアリの後に付いて歩いていた。


「なあシロ、この先に何があるんだろうな。変わった石がどうのこうのって話だったけど…」


『アウ?』


「もしかしたら…ちょろっと魔石が落ちてたり?」


 俺は明るい表情でシロに言う。


『ワン!』


「…かと思えば、実はリアの超絶暗黒料理並の食べ物を頂けたり…!?」


 俺はこの世の地獄を見たような暗い表情でシロに言う。


『クゥーン…』


「あっはっはっ!ごめんごめん、冗談だよシロ。そんなに震えなくてもいいじゃん。…っていうか実際食べたの僕だしね…?シロは食べてないじゃん…?」


『…ギギギィ…ギギ』


 シロとそんなアホなやり取りをしているうち、どうやら目的の場所に着いたらしい。

 

 ここもかなり大きな空間のようだが、中は暗くてよく見えない。

 なので俺は、光の魔力で白熱球のような灯りをたくさん作り出して宙に浮かせ、内部を照らし出した。


「さてさて?確か色んな石コロがあるとかないとか?まあ、ちっこい魔石の1つでもあれば御の字…かな…って……えっ…?」


 俺は驚愕とともに自分の両目を疑った。

 おいおい…。

 こ…これ…見間違い…じゃあないよな…?


 目をこすってもう一度目の前の光景を確認したが、やはり変わらない。


「マ…マジかよ…。…これは…」


 そこには白銀に輝く金属の結晶が無造作に転がされていた。

 それも1個や2個じゃあなく、有体に言えば

 

 女王アリ曰く、巣穴を広げていく途中で邪魔になった石ころなんかを置いているようなことらしいが…。


 俺はこの白銀の結晶を、かつて王都のガラテア工房で見たことがある。

 苦労して苦労して、本当にたまたま失われた製法を再現することに成功した伝説の鉱石。

 その希少性から通称“神々の忘れ物”などと呼称されるとともに、凄まじい硬度を誇る超希少金属。


「これ全部…オリハルコンの結晶かよ…」


 右を見てもオリハルコン。

 左を見てもオリハルコン。

 下から見ても横から見たってどう見てもオリハルコンだ。


「しかしオリハルコン結晶って、たしか神々の忘れ物とかなんとか言われてなかったっけ…?どんだけ忘れっぽい神様だよ。…けどまあ、そもそもルーシアも若干、駄女神臭がするしな……ひひひひ…ぁ痛っ!?」


 ゴロンゴロン…。


 転生のきっかけとなった女神ルーシアの悪口を言って笑っていると、ふいに上から俺の頭に向かって何か固い物が落ちてきた。


「いてててて…。やべぇ…バチでも当てられたか?…けど冗談はさておき、一体何が落ちてきたんだ…?ん?…んん…??こ…これは…」


 落ちてきたのはこれまためちゃ固い石。

 だが右手に持ったそれは、通常の岩とは明らかに異なり、なんだか青白く光っている気が…。


「…!」


 俺はバッと上を見上げた。

 なんとそこには、俺が手にした物と同じように青く輝く無数の鉱石が…。


「ほ…本で読んだことあるぞ…。あれはもしかして…ミスリル!?」


 たしかマッチョ父の書斎で、どろんこになったシロの体を洗っていた際、シロが嫌がって大暴れした時に本棚から落ちてきた本に載ってた気がする…。


 オリハルコンよりは強度で若干劣るものの、その宝石のような美しい青さと、魔力に対する高い親和性を兼ね備えたこれまた超希少金属…それがミスリルだ。

 そんな物がこんなにもたくさんあるとは…。


「あの…アリさん…?ここにある鉱石はめちゃくちゃ貴重な物だと思うんですが…。本当に僕が貰ってしまって構わないのですか…?」


 俺は恐る恐る案内してくれたアリさんに尋ねてみる。


『ギーギギィ!ギーギギィ!』


「そ…そうですか…、わかりました。あ…ありがとうございます…」


 ごめん、正直何言ってるか全っ然わからん。


「…でもせっかくだしな。貰っちゃおっかシロ?やっぱり返してほしいってんなら、また女王アリさんの方から話があるだろうしさ!」


『ワフッ』


「だよな!うんうんそうしよう。何事も前向きに、だよな?だって女王アリさんたちとの関係は、!!」


 俺はそんなことを言いながらシロと顔を見合わせて笑った。

 案内してくれたアリさんも、どことなく嬉しそうな顔をしているように感じる…というか感じたい。


(しっかしなぁ。この光景を見たらワッツなんて、きっと鉱石の山の中で裸で泳ぎ出すんだろうな…ぷぷっ!)


 俺はそんなことを考えながら、目の前で輝く無数の超希少鉱石をしばらく眺めていた。


 ※※


 ガシャコーン!

 ガシャコーン!


「そーれ、えっさ!ほいさ!えっさ!!ほいさ!!」


 ガシャコーン!

 ガシャコーン!


「おっれたち楽しみうっまい飯!かわいこちゃんのためならえーんやコラ!まいにち楽しみうっまい酒!あの子のためならえーんやコラ!!」


 地下空間に変わらず響く、今日も元気な男たちの声。

 アリさん問題もばっちり解決し、男たちは今日も鉄道工事に従事していた。


「ここの工事もずいぶんと進んできたよなぁ。これじゃああと数か月もしねぇうちに工事は終わっちまうぜ?そうなりゃ俺たちゃ王都に帰還かねぇ?」


「いや、なんでもこのトンネル工事が終わったら、今度は村の方にもトンネルを広げるって話を聞いたぞ?大雪とかで地上の移動手段が使えない時でも、滞りなく物資の搬送ができるようにするって話だそうだ」


「成程なぁ。ま、俺は仕事がありゃなんでもいいや。毎日リーリャちゃんの顔が見れりゃあそれだけで大満足ってもんよ!」


「ははは、確かにな。何にせよ、やるべき仕事があるってのは幸せなこどだよな。なぁ、あんたもそう思わないかい?」


 男は、最近新しく現場作業に加わった男に…、いや、正確には男か女かなんてものもよくわからないが、とにかくその新人作業員に声を掛けた。


 ガシャコン!

 ガシャコン!

 ガシャコン!

 ガシャコン!


『ギギギ…ギギギィ…!』


 通常の成人男性よりも明らかに大きな漆黒の体に、人間よりもはるかに多くの鋼材を運んできた新人作業員は、嬉しそうに?そう発声した。


「いやぁ、しかしあんたすげぇ量の鉄を運ぶんだなぁ。けどあんま無理すんなよ?俺たちは身体が資本だぜ?頑張り過ぎてぶっ倒れたら、かえって現場に迷惑を掛けちまうからな?」


『ギギギィ…?』


「あっはっはっは!まあいいじゃねぇか!そいつにはそいつのやり方があんだろうさ!最初は俺もぶるっちまったけどよぉ、まああのレイン様のやるこった!すぐに納得しちまったさ。人も魔獣も関係ねぇ、ここじゃみんな現場の仲間だぜ!」


『ギーギギギィ!』


「お、もうすぐ昼飯だぜ?あんたも一緒に行こうや、仲間もたくさん来んだろう?今日もリーリャちゃんのおにぎりが楽しみだぜ…!それ食って昼寝して、午後もまるまる、思いっきり作業だぜ!」


「あっはっはっはっ!おにぎり自体を握ってるのは、ゴリゴリのおっさんかもしれんけどな!」


「「はっはっはっはっは…!!」」


『ギッギッギッギ…!』


 そこには世にも珍しい、人と魔獣が笑い合いながら手を取り合い、1つの大きな目標に向かって、共に全力で取り組む姿があったのだった。

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