一角獣とホワイトシチュー 7



 「……どうだろう?」


 僕の眼の中を覗き込むようにしている糸の整った顔の、まるで誘うように綻ぶその柔らかそうな花弁に似た唇に自然と視線が吸い寄せられそうになるのをぐっと我慢して、どこにも焦点を合わせることなく真っ直ぐ前を見続けるのがこれほど疲れることとは思いもしなかった。


「ああ、やっぱり。見えます、ね」


 糸がこうして僕の眼の中を覗き込んでいるのには、訳がある。


 それというのは、あれから一夜明けた後、どうやら恩田氏の思惑通りに事は運び手鏡を覗き込んだ僕の眼にも人の身体に絡まる絹糸が視えるようになったことが事務所に来るまでの道すがらに、嫌でも思い知らされたことと深く関係があった。


 行き交いすれ違う人の身体に、遠く目の前を通り過ぎる人の身体に、ぬらぬらとした光沢を帯びた様々な色の絹糸が細く幾重にも絡まり、あるいは束のように太く絡みつくのを目の当たりにした僕は、その眺めに息を呑む。


 誰も彼もが絹糸を身体に這い纏うていた。


 ある人の細いくびに絡みつく血のような暗い朱色の絹糸の今にも滴り落ちるかのようなその様や、すっぽりと幌を下ろしたベビーカーから覗くむっちりとした白い乳飲み子の足首に絡みつく透き通るような春の空を思わせる薄く淡い青緑色の絹糸が細くたなびく様子も、スーツの袖口から見える僅かなシャツとその肌の隙間からだらりと垂れる黒漆のべっとりと濡れたような黒い絹糸は、おそらくその人の身体に余すことなく絡みついて外にみ出てずるずると地面を引き摺っているのであろうその悍ましさにも、目を逸らすことが出来ない。


 目に映れば、それらを追うように視ずにはいられなかった。

 おぞましくも美しい色とりどりの絹糸が、僕を誘うのだ。


 依頼人と会った次の日が日曜日ということもあり、僕のことを心配して早くから事務所に顔を出しに来た宗田くんと糸の二人の目に映る景色には何の変わりもないことを知って安堵したものの、やはり二人の身体にも絡まる絹糸は視え、僕は落ち着かない気分になるのだった。


「やっぱオレにも付いてるんだよね? どう視えてんの?」


 両手を体から離し少し広げた格好で、自分の尻尾を追うように視線を斜め下にした宗田くんが、ぐるぐるとその場で回ってみせるその両手首には僅かに青色を含んだ淡く薄い灰色のきらきらと絹糸が幾重にも巻きつき、身体を動かす度に風を受けた蜘蛛の糸のように舞っているのが視えた。


「そうだな……綺麗だよ。宗田くんの絹糸は」

 僕がそう言った時。

「……あ、ちょっと待って下さい。今、シキさんの眼の中に……」

 何を見つけたというのだろう。ひどく驚いたような顔をした糸が、つと僕の方へと身を乗り出した。

 糸の眼の上を通り形の良い小さな頭に絡まる薄桜色の控えめな紅を含んだ白く優しい細い絹糸が、燦きふわりと揺れる。

 ソファに座っていた僕が思わず後ろに身体を引いたところで、そのままテーブルを乗り越えてずいと顔を寄せてきた糸からの逃げ場はなかった。


「やべー。なんで四季さん逃げてんのそれ、ウケんだけど。にしても高桜さん……何? どうした?」


 女性に迫られて逃げ腰の体勢の僕を笑う宗田くんだったが、真剣な様子の糸を見て途端に眉をひそめた。


「……シキさんの眼の中に、見えたんです」

 まじまじと覗き込みながら、糸が言う。

「え? 何が?」

 それを聞いた宗田くんは、同じように僕の顔にぐっと近づくのだった。


 僕の眼の中に何が見えるというのだろう?


「少し、動かないで下さい」


 糸のその怖いまでに真っ直ぐな視線は、僕の眼の中の深いところを見ているようだった。


「……ああ、やっぱり」

 溜め息のように囁く糸の密やかな声はそのあとにこう続く。


「見えます……シキさんの眼の中に、女の人が閉じ込められているのが……」

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