第10話 好きという自覚

「待ってたわ。湊君」


 これが、今日夜の屋上で発せられた最初の言葉だった。


「ごめん。待たせちゃったかな」


「ええ。約束の時間を過ぎてるもの。来なかったら今降りようと思ってた所」


 芽衣さんは、秋の風を受け、長く艶やか髪を揺らしながら暗闇の中佇み淡々と答える。ちょうど影となる場所に芽衣さんは立っていて、顔が見れない。


「暗いですね。今、スマホのライトを」


「ダメ。暗いままで。お願い」


 芽衣さんは少し震えた声を出して、即座に俺に訴えかけてくる。


「暗いままだと芽衣さんの顔が見えないんですけど」


「見なくて良いわ。顔なんて売りじゃないわよ」


「顔が売りだった元女優が何言ってるんですか」


「お願い。今、顔を見せたくないの」


 言葉が少し強くなった。

 芽衣さんは頑なに暗いところから出てこようとしない。


「目と目が合ったら会話が始まるんですよ。コミュニケーションの基本です」


「今の時代、目を見なくてもコミュニケーションは成立するわ」


 彼女はどうしても出てきたくない様子だ。

 仕方ない。強行突破しかない。

 俺は全速力で数メートル離れた芽衣さんの元に駆け寄り、腕を掴む。


「きゃ!?」


 俺は悲鳴を何もせず、明かりの付いている所まで引っ張り出した。

 強引な行動なので、嫌われるかもしれない。でも、俺は今目を合わせて話がしたかった。

 例え、どんな結末になっても悔いが残らないように。これは、珍しく俺のための行動だった。


「……なんだ。芽衣さん、今日も可愛いですね」


 普段なら、決して言うことのない台詞を吐く。今日は、特別な日なんだ。少しくらい、格好つけても良いじゃないか。

 芽衣さんは、いつも強くて綺麗で美しい。生きるための美学があって、妥協を許さない。俺は、そんな彼女に惹かれたんだ。

 いつもクールでしっかりしている芽衣さんは、子供のように号泣していた。


「……うぅ。だから、見られたくなかったのに」


「だって……流石にそこまで泣いてるとは」


「だって、君が約束の時間に30分も遅れるからぁ……! もう、来ないと思って」


 芽衣さんは、俺の胸に飛び込んできて顔を埋めて泣く。


「すみません。くる途中で、困ってる人がいたので」


「うぅ……君は、優しいよね」


 芽衣さんはそれから、10分ほど泣きじゃくった。こんな芽衣さん、初めて見た。

 遠くから、他の生徒たちの騒ぐ声と音楽が聞こえてくる。キャンプファイヤーが本格的に始まったらしい。


    ◆


「そろそろ。落ち着きました?」


「うん。ありがと。もう、大丈夫」


 芽衣さんは涙が枯れるまで泣き続けた後、深呼吸をして落ち着きを取り戻した。


「……それで、湊君。ここに来てくれたって事は、そういう事で良いの?」


 芽衣さんは、改めてこの状況について確認を取ってくる。上目遣いで見つめてくる姿に、俺は胸打たれ見惚れてしまう。

 しかし、見惚れて無言でいる場合じゃない。


「はい。……俺は、芽衣さんが好きです」


「私も。湊君、君が好きよ」


 俺たちはそう、短く言葉を交わすとお互い身体を寄せ合い手を腰に回す。

 夜の屋上で二人きり。誰にも邪魔されない空間で、俺たちは顔を近づけ短く唇を合わせた。


ーーーーーーーーーー


「へーそうなんだー」


「おい聞いておいて興味なさそうにするな」


「いや、だって……ねえ?」


 湊の話を聞いて、私は露骨に態度が冷たくなっていた。私もそれは自覚していて、悪いとは思うのだが、どうしても冷たくなってしまう。


「……良いよね。湊は、可愛い可愛い彼女がいて。恋愛出来るなんて羨ましいよ」


「未華だって可愛いんだから恋人作ろうと思えば作れるんじゃないのか?」


「え……私って可愛い?」


「贔屓目で見ても容姿は良い方だぞ。それに、料理も出来るし運動神経良い方だし、よく笑う」


 急に褒め出したので、私はプイッと顔を背け顔を赤くする。いや、これは熱のせいだと思う。

 …………前まで、そんな事言ってくれたことないくせに。


「未華は、好きな人いないのか?」


「ひぇ!?」


 気持ち悪い声が出た。これも熱のせいだ。うん絶対。


「俺だけ色々言うのは、何というかズルくないか?」


「いやいや私は好きな人とか居ないし」


 私は手をブンブン振って居ないアピールをする。

 ……正直、私は多分まだ湊の事が好きなんだと思う。10年近くの片想い。それを、簡単に断ち切る事なんて出来ない。

 でも、芽衣ちゃんはとても大切な友人だ。だから、私は迷うし悩むし、気持ちを殺そうと思っている。もう、終わった過去の恋愛だと思い込みたいのだ。

 そんな私の気持ちに気付かず、湊は芽衣ちゃんとの楽しい思い出を話すし、付き合った時の事も話してくれる。それが、堪らなく嬉しくて悲しかった。


「……じゃあ、未華は誰からか好きって言われたりしてないの? 未華なら告白してくる男子多そうだけど」


「残念ながら、そんな事は……ない、よ。うん」


 私は、桜井君の事を思い出して、有耶無耶な返答をした。

 桜井君に「気になっている」とは言われたが、「好き」とは言われてないし、これはノーカンでいいのでは?

 

「おや。未華、その反応もしかして」


「えっと……うん。まあ、そんな事があったかもしれない」


「とうとう、未華にも春がやってきた!? 俺は嬉しいよ」


 湊は嬉しそうな顔をして声を弾ませる。

 その表情を見て、私はどうしようもない気持ちになってしまった。

 私は目線を下に落とし、小さく呟く。


「……別に。気になるって言われただけだから、付き合うとかそういうのはないし。それに、別に私はその人のことを好きじゃないから」


「その人は、諦めないとおもうよ」


「え?」


「気になるって言われただけなんだよね。これから、段々とその人は未華にアプローチすると思うよ」


 湊ははっきりと断言する。その言葉には、重みがあって、確信しているようだった。


「何でそんな事が分かるのさ」


「……未華の事を好きになった人はそうすると思うよ。俺は昔そうだったし」


「…………へ?」


 今、湊はなんて言った? いやいやいやいや絶対気のせいだよ。いや、え。

 私はその発言の真意を確かめようとして湊の方をしっかりと見るが


「湊、今なんて」


「お姉ちゃん! 大丈夫〜?」


 バンッ!

 この空気を壊すように、妹が勢いよく扉を開けて入ってくる。


「あ、加奈ちゃん。帰ってきてたんだ」


「今さっき帰ってきたんだ。……湊兄。お姉ちゃんを見ててくれてありがとう! 大好き!」


「ああ、俺も好きだよ加奈ちゃん。あ、俺もう帰るよ」


「ちょっと湊。まだ話は終わって」


「お姉ちゃん! 動かないの! 病人は寝てる!」


 妹に思い切り突き飛ばされ、私は布団へ逆戻りする。

 いや、病人に優しくしてよ。

 その間に、湊は部屋から出て行ってしまう。聞きたいことがあったのに、私は一気に力が抜けてしまう。頭がクラクラする。


「お姉ちゃん、湊兄を送ってくるから寝ててね」


「ちょっと、加奈待って………よ……」


 私は部屋を出て行く妹の姿を見ながら、倒れるように眠りに落ちた。


    ◆


「今日はありがとうね湊兄」


「未華が寝込んだんだ。心配だから、頼まれなくてま来てたよ」


 私、暗闇加奈は寝込んで体調の悪そうなお姉ちゃんを放置して、湊兄の見送りをするために玄関まで来ていた。湊兄の家はお隣だけど。

 湊兄は、昔からお姉ちゃんと仲が良く、私の憧れの人でもあった。言わば、初恋と言っても差し支えない。幼かった私が、お兄さん的な湊兄に興味を持つのは、自然な流れだと思う。

 でも、私が大きくなるにつれ、初恋の気持ちはどんどん尊敬へと変わっていき、今では信頼できるお兄ちゃんという風に思っている。それに、お姉ちゃんが湊兄の事を好きなのは知っていたので私は譲ってあげたのだ。私優しい!

 結果、ご覧の通り。お姉ちゃんの意気地なし。


「湊兄。病気で寝込んでる弱った女の子の家に来たら、彼女さんに何か言われるんじゃない?」


「それは大丈夫。許可は取ってある」


 湊兄はスマホでのやり取りの証拠を見せてくる。プライベートなやり取り見せちゃって良いの……?


「……じゃあ、お姉ちゃんに好きって言ったのも許可済み?」


「聞いてたの……? あと、語弊があるんだけど」


 湊兄の、浮気がバレた時みたいな慌てた顔を見て、私はニヤッと笑う。


「えぇ〜? 事実を確認したまでですが」


「昔の話だから! ……遠い昔の話だよ」


「うん。知ってる。……でも、お姉ちゃんをあまり困らせないであげてね。今、少しずつ前を向いて歩き出そうとしてる所だから」


「ああ。未華は、これからスタートだもんね」


「いや、湊兄もこれからだよ? 安心してたら、急に彼女さんに付き纏う虫が出てきたり、湊兄を私が私に行くかもしれない!」


「はいはい。なら、もっと俺も頑張らないとね」


 そう言うと、湊兄は自分の家へと帰っていった。

 私は、それを見送った後二階へと戻り、お姉ちゃんの様子を確認する。

 ……ぐっすり寝てるなぁ。赤子みたいにすぅすぅ寝息を立てながら、困った顔で寝ていた。


「全く。困ったお姉ちゃんとお兄ちゃんだなぁ」


 私はそっと布団を掛けてあげる。

 …………もし、二人が一握りの勇気を持って、何かの拍子で変わっていたらどうなっていたんだろう。

 そんな事を、少しだけ考えて辞めた。

 たらればの話をしても、何も変わらないし、どんなルートになったとしても私が虚しくなるだけだから。

 一度口にした言葉も、感情も。決して無しにすることなんて出来ないのだから。

 それでも、あなたは進まないといけないんだよ。お姉ちゃん。

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