第七十七話 化粧

第77話 化粧 その一



「これが佐竹あてに送られてきた郵便物です。どうぞ、ごらんください」

 そう言って、島崎弁護士はいくつかの封筒を応接セットのテーブルの上に置いた。


 ようやく、第一秘書からの書類を見ることができた。A4サイズの入る大きな茶封筒がそれだった。

 ペーパーナイフを置いて、なかの書類をあらためた青蘭は嘆息した。


「青蘭。なんて?」

「九月の末日にニューヨークの裁判所で、祖父の遺産について相続権を争うから、ボクにも来いって。兄の弁護士にはガストンがつくんだって」

「青蘭。ガストンはクビだ」

「もちろんです。でも、それだけじゃダメですね。兄がじっさいの素性はどうあれ、戸籍上、本物じゃないことは間違いありません。偽物だって証拠をつきつけて裁判に持ちこめばいいんでしょ?」


 青蘭はそう言うが、卵から生まれた擬似天使でも、人間として暮らしていくために、これまで二十年以上も出生証明書を持たずに生きてきたわけがない。偽造か、はたまた誰かの手を借りて養子として届けでるなど、なんらかの手段で戸籍を手に入れているのではないかと思う。


「そううまく行くかなぁ」

「相手の現在地をつきとめて退魔しに行くって手もありますよ?」

「退魔? 悪魔じゃないよね?」

「悪魔みたいなもんでしょ? アンドロマリウスの体細胞から造られた失敗作だよ? アンドロマリウスがすてたくらいだから、見ためだって人間かどうかわからない」

「うーん……」


 退魔できるかどうかはともかく、相手の真意や示談の可能性などをさぐるためにも行方はつきとめたい。


「ここは穂村先生の報告を待つか。それでダメなら、人間を探す専門の探偵に依頼するしかないね。青蘭」

「そうですね」


 期日が九月の末までだ。

 まだ一ヶ月近くの猶予ゆうよがある。

 とりあえず、ガストン弁護士から送られてきた書類は、島崎弁護士に頼んでアメリカにいる佐竹弁護士に転送してもらうことになった。


「それと、ボクの電話にはガストンのやつ出ないけど、佐竹からなら連絡つくかもしれないね。ガストンが本気でそいつをボクの兄だと思ってるかどうか知らないけど、どうせ金目当てだろ? 和解の道も完全に断つつもりはないはずだ。裁判にするか、示談ですませるか、どちらが得かようす見してるんじゃないかな」

「了解しました。佐竹には私から伝えておきます」

「じゃあ、あとはよろしく」


 青蘭は念のため、島崎弁護士の電話番号を聞いた。東京にいるあいだは彼の力が必要になるかもしれないからだ。


 佐竹法律事務所の合鍵を受けとって、島崎と別れた。


「じゃあ、次は依頼人と会わないとね。電話かけるよ? いいね?」


 龍郎がたずねたとき、青蘭は少しぼんやりしていた。やはり財産のことが気にかかっているのか。あるいは、ナイアルラトホテップの見せた幻のせいだったのかもしれない。


 しかし、黒川がおとなしくなったことはありがたかった。


「悪いがさきにホテルにチェックインしている。もしも日帰りで帰ることになったら早めに教えておいてくれ」

「わかりました」


 今回は宿泊費、交通費は経費で落とすつもりだ。依頼人の天野やよいの勤務さきがぐうぜんにも文京区にあると言うので、近くのビジネスホテルをネット予約してある。黒川は自費だがホテルは同じだ。とうぜん、神父もだろう。


 時刻は午前十一時半。

 ちょうど昼休みに入る前だ。

 電話をかけると、依頼人とはすぐにつながった。


「青蘭。十二時すぎに天野さんのオフィスの近くの喫茶店で会うことになったよ。今からタクシーで行けば、いい時間だ」


 指定された喫茶店は昔ながらの洋食喫茶。内装も落ちついたふんいきで心地よい音楽がかかっている。雑踏に酔いそうになっていたので、薄暗いくらいの照明がほどよかった。


 一人減ったとは言え、こっちは三人。全員がキャリーケースをさげているし、目立つのだろう。いや、青蘭の美貌だから、人目を惹くのはそのせいか。

 依頼人はひとめでわかったようで、奥の席から立ちあがり、かるく会釈をする。ロングヘアの感じのいい女性だ。


「天野やよいさんですね?」

「そうです。あなたがたが探偵さんですか?」

「はい。おれは助手の本柳。こっちが所長の八重咲です」


 龍郎は出立前に清美が早業で作ってくれた名刺をとりだし、依頼人に渡す。依頼人も交換で名刺を出してきた。そこには光矢製薬化粧品部門マーケティング担当と肩書きが記されている。


「すみませんが話は昼食をとりながらでかまいませんか? 昼休みが終わる前に帰らないといけないので」と、依頼人が言うので、龍郎たちもそれぞれ軽食を注文した。龍郎はフィレカツのサンドイッチ。青蘭は好物のオムライス。神父は一人、離れたテーブルについている。


 料理が来るのを待つあいだ、話を始める。


「それで、勤めている会社に霊的なものが出るんですか?」


 たずねると、依頼人は戸惑うように首をかしげた。


「いえ。じっさいに幽霊のようなものを見たわけじゃありません。ただ、なんていうか、すごく変な感じがするんです。先輩や、わたしのあとから入った人も、何人も辞めているんですけど」


「ええ……それはどのくらいの期間で?」

「わたし、今の会社に入ったのは三ヶ月前なんです。友達の紹介で、ものすごくいい条件だったので。最初の会社を上司からのパワハラで半年経たずに辞めてしまったので、そのあと希望するような職になかなかつけなかったんです」


 やよいは急に自分の事情を打ちあけだす。もしかして、これはただの愚痴ではないだろうかと危ぶむ。


「すみません。うちはオカルト専門の探偵社ですが、ご承知ですよね?」

「あ、すみません。そこから説明したほうがわかりやすいかなと思って」

「でしたら、どうぞ。拝聴します」


 そこへ料理が運ばれてきた。

 カツサンドはサクサクで、オムライスはトロットロ。

 青蘭の幸せそうな顔がつかのま見れた。

 が、ハヤシライスを頼んだ依頼人の表情は冴えない。


「高校の同級生が今の会社に勤めていて、とてもいいところだというから面接して、入社しました。でも、変なんですよね。この三ヶ月のあいだに何人も社員が辞めてるんですが、みんな急すぎるっていうか。わたしの同級生も前日までごくふつうに出社してたのに、なんの連絡もなく来なくなったんです。心配で何度も電話をかけるんですが、通じなくて。住所を知ってたので行ってみましたが留守でした。郵便受けがいっぱいになってて……ずっと帰ってないみたい」


 龍郎はデミグラスソースをつけた青蘭の唇の端を紙ナプキンでぬぐってやりながら、

「つまり、行方不明ってことですか?」

 たずねると、やよいはうなずいた。


「そうなんだと思います。たぶん、ほかの辞めた人たちも。三ヶ月で十人以上ですよ。変じゃないですか? 社員は総勢で百人満たないです」


 三ヶ月で十人。

 一割の従業員が辞める会社。

 それは、たしかに多すぎる。

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