第六十六話 地獄の犬

第66話 地獄の犬 その一



 あきらかに人ではなかった。

 あの女。

 かと言って、幻を見たわけでもない。


 翌朝。

 楽園の木陰で目覚めた人のように、幸福そうな顔つきで起きてきた青蘭が、龍郎を見たとたん、キッと目くじらを立てた。


「龍郎さんから女の匂いがする!」


 あれから眠れなかった龍郎は、深々と嘆息した。


「女は女でも宇宙人だよ。青蘭、知ってたかい? 宇宙人の女は体が半分しかないんだ」

「龍郎さんはわたしより、体が半分しかない女が好きなの?」

「そんなわけないだろ!」

「ほんとに?」


 なんで、そこで疑うのかわからない。

 しょうがなく、夜中に見たものを説明する。


「ふうん。体が半分で光る女か」

「あの隕石が光ってたって話だろ? 関係あるんじゃないかと思うんだ」

「ふうん」


「穂村さんやフレデリックさんも油断するなって言ってたし、ちょっと気になるね。ヌルワンさんは大丈夫かな? 大学で保管された隕石が盗まれたってことは、もう半分も狙われるんじゃないか?」

「今日はタマンウジュン宮殿に行くって……」

「観光はいつでもできるから」

「うん……」


 泣きそうな目の青蘭は可愛い。

 あやうく、ほだされるところだ。


 しかし、隕石の半分を預かっていた教授は異常な状態で殺されていたというし、一刻の猶予ゆうよもない気がした。


 ナシクニンというターメリックライスのご飯、ガドガドはインドネシア風の野菜サラダ、これにインドネシア風スープのソトアヤムという朝食のあと、龍郎と青蘭は迎えにきたドゥウィさんに頼んで、ヌルワンの家を訪ねることにした。清美は観光ができないならホテルのスパに行くと言って留守番だ。


「ヌルワンに用ですか?」とたずねてくるドゥウィに、龍郎は戸惑いながら答える。

「隕石をもう一度、見せてもらいたくて」


 怪異があったのかと聞くのは、まだ早い。殺人事件がからんでいるので、変に怪しまれる言動はさけたかった。


 ドゥウィのワゴン車に乗りこみ、森のなかを移動する。

 何度見ても美しいテガラランの近くを通りすぎ、ドゥウィやヌルワンたちの村に到着した。

 ヌルワンはドゥウィの長女の娘婿だが、いっしょに暮らしているわけではない。ヌルワンの実家がドゥウィの家から歩いて十分ほどのところにあり、娘がそこに嫁入りしたのだ。車でその家の前まで送ってもらうと、なんだか家のなかが騒がしい。


「何かあったんですかね? ようすが変じゃないですか?」

「ヤ。ちょっと見てくるよ」


 ドゥウィがそう言って、アンクル・アンクルをくぐり敷地へ入っていった。

 龍郎と青蘭は車の前で待っている。

 青蘭がソワソワしだした。


「変な匂いがするね。悪魔の匂い」

「そうだね」

「昨日はこんなに濃くなかった。悪いことが起こってないといいけど」


 そういえば、ヌルワンにも忠告しておくようにと、穂村は言っていた。注意してなかったことを龍郎は悔やんだ。とりかえしのつかないことが起こってなければいいのだが。


 しばらくして、ドゥウィが走ってきた。


「ヌルワン、病気。昨日の晩」


 あとはジャワ語でベラベラとまくしたてるので、よくわからなくなった。

 困っていたのだが、ちょうどそこへ家のなかから、アグンが顔を出した。病気のヌルワンを心配して見舞いに来ていたようだ。


「英雄さん。何があったんですか? ヌルワンさんが昨夜から病気みたいですが」


 アグンは迷ったようだが、手招きして小声で教えてくれた。


「ヌルワンは昨日の夜中、とても怖いめにあったようですね。意識がハッキリしないので、詳しいことはわからないです。が、女がなんとか言ってます。今は高熱を出して布団のなかでうなされていますね」


 女——それは、龍郎が見たではないだろうか?


 龍郎は思いきって打ちあけてみることにした。アグンなら信用できる。


「じつは昨夜、おれも変な女を見たんです。おれや青蘭はそういうのをよく見るほうなので」


 昨夜のことをザッと話す。

 うーんと、アグンがうなった。


「半分の女とヌルワンも言ってましたね。今のこと聞くまで、なんのことかわからなかったです。龍郎さんはバリアンですか?」

「バリアン?」

「占い師のことです。昔ながらのまじないで病気を治したりもします」


 なんとなく、アグンの目のなかにこっちの出かたをうかがうような色があった。龍郎の答えによって、アグンから得られる情報が変わってしまう気がした。ジャワ人は穏やかで優しい人が多いのだが、あまり本心を言わない。腹を割って話せるかどうか、この返答一つにかかっている気がした。


 龍郎は正直に答える。


「占い師ではないですが、それに近いのかもしれない。エクソシストってわかりますか? 悪魔祓いの神父。フレデリックさんはそれだし、僕らもその力を持っています」


 アグンは東南アジア系の大きな目で、じっと龍郎を見つめる。

 心をつかめたのだろうか? それとも答えがマズかったのか?

 龍郎が緊張して待っていると、やがて、アグンは深々と息を吐きだした。


「こっち来てください。あなたとセイラさんに頼みがあります」


 どうやら、答えは間違っていなかったようだ。

 アグンに案内されて、ヌルワンの家に入っていった。

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