第43話 失われた唄の追憶 その四



「龍郎さん。気持ち悪い……」


 青蘭のぐあいが悪そうだ。

 龍郎は卵の部屋を出て、もとどおり外から閂をかけた。


 階段をあがり、上げ蓋を閉めると、青蘭はホッと息をついた。


「ごめんなさい。なんだか吐き気がして」

「いいよ。今日はもう休もう」


 アンドロマリウスは人工的にか、または魔術的に、天使の卵を作るための実験をしていたのだろう。

 じっさいにどんな実験をしていたのかまではわからない。が、そのさまが、もともと天使だった青蘭の記憶を刺激するのかもしれなかった。


 青蘭をつれて一階の病室へ帰ってきた。青蘭はもう食欲もなく、ミネラルウォーターを飲んだだけで、布団のなかに入ってしまった。


 龍郎は缶詰やレトルト食品を急いでとって、同じように青蘭のとなりにもぐりこむ。


「おやすみ。青蘭」

「おやすみなさい」


 さすがに色っぽい気持ちになるわけもなく、抱きしめあって目をとじる。それでも二人でいれば心が安らいだ。おたがいのなかにある玉が共鳴しあう。


 海鳴りを子守唄に眠りについた。

 そのせいだろうか。

 夢を見ていた。

 海中をただようような、ふわふわした心地で。

 景色が水中のように揺らいでいる。


 水槽のなかから外を見るようなこの感じに覚えがある。


 男が二人、話していた。

 とても古風なトーガのような服をまとっている。


 男の一人は知っていた。

 アンドロマリウスだ。濃いブラウンの巻毛とコバルト鉱石のような青い瞳。なかなかハンサムな西洋人に見える。


 もう一人は龍郎の知らない男だ。黒髪の巨人のようだが、頭部に三本の角がある。人ではないらしい。


「アンドロマリウス。おまえはどちらにつく? 右の神か左の神か」

「どっちについても同じだろう? やつらは双子だって言うじゃないか」

「生む者と滅する者。どちらが欠けても世界は成り立たない」

「やつらには好きなだけ戦わせておけばいいんだ」

「だが、ノーデンスが騒いでる。これ以上、やつらをこの地にのさばらせておけないと。やつらはもともと外なる宇宙から来た者だ。われら地の神が結束して、この地より追放するべきと」


 アンドロマリウスは皮肉な笑みを浮かべた。


「おれたちのなかにも、やつらに加担してる連中がいる。結束なんてできるものか」

「だから、組みしない者は抹殺すると豪語しているらしい」

「ふうん。ノーデンスにそれだけの力があったかな?」

「あいつは今、英雄の卵を持ってるからな」

「ああ。千人の魔王の魂を吸いとったと言われる特別な卵か」

「それがかえれば、生む者や滅する者にも等しい神が誕生するらしいぞ」


 アンドロマリウスは肩をすくめた。


「おれはこの都市の住人を守るだけの存在だよ。悪いが、サルガタナス。参戦には応じられない」


「戦わなくてもいい。戦場のすみにいるだけで。まだ前哨戦だ。ノーデンスだって、いきなり外なる神を襲撃はしないだろう。地の神のなかで向こうにつくやつらをまずは潰しにかかるはず。初戦は天使がけちらしてくれるさ。ようす見には、ちょうどよくないか?」


「なるほど。初戦に名前だけつらねておけば、とりあえず、その後の天使の標的にならなくてすむってわけだな」


 景色が変わる。

 空と地を群衆が埋めつくしている。

 古代の石の都を背景に、まだ原人のような人間や、それぞれの獣を結集し、天使と悪魔の軍勢が争っている。


 同じ大地に生まれた者同士で争うこの光景に、アンドロマリウスは失笑しか浮かばない。こうして地の神同士で争うことじたいが、外なる神の策略ではないかとすら思う。


 最後尾で高見の見物を決めこんでいた。が、その戦いの先陣を切る天使の姿をひとめ見て、釘づけになった。


 天使は概して美しい。

 戦闘に特化して生まれてきた存在であるはずなのに、なぜ、あれほどに美しいのだろうか? 敵対したときに殺すことを躊躇ちゅうちょさせるためだろうか?


 あれが襲ってきたとしても、おれはあいつを殺せないだろうなと、アンドロマリウスは自嘲的に考えた。


「ゼパル。あの先陣のなかにいる髪の長い天使を知ってるか?」


 近くにいた仲間に声をかけた。ゼパルは女好きの戦士だから、きっと天使のことにも詳しいだろうとふんだ。その考えは的を射ていた。


「ああ。アスモデウスだな。天使のなかでも、ことに麗しい」

「そう……だな。じつに艶麗だ」

「あんな奉仕者が、おれも欲しいものだ。一柱でいいから、さらってみたいな」と、ゼパルは鼻の下を伸ばして言う。


 アンドロマリウスはあまり天使のことを知らなかった。これまで、まったく興味がなかったからだ。このさいだから、ゼパルの知識をちょうだいすることにした。


「でも、天使はみんな男なんだろう?」

「いや、聞くところによると、天使は繁殖期に入ると、男にでも女にでもなれるらしい。なんでも生まれたときから体のなかに石があって、自分の石と呼応する相手にあわせて性別も変わるらしいんだ」

「へえ。じゃあ、天使は天使としか繁殖できないのか」

「そうだろうな。たぶん」


 戦うためだけに造られた、哀れな存在。

 だが、その姿のまぶしさに、その日、アンドロマリウスは打たれた。

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