第四十二話 黄泉比良坂

第42話 黄泉比良坂 その一



 ようやく、特注のペアリングができあがった。華奢な指にそれをはめて、毎日、ながめている乙女らしい青蘭が愛しくてたまらない。


「ねえ、龍郎さん」

「うん。何?」

「いっそ、結婚しちゃう?」


 なんて、嬉しそうに言うのだ。


「いいね。ちゃんとした披露宴は準備に時間かかるけど、式だけあげるとかさ」

「二人だけの結婚式だね」

「青蘭がしたいならするよ」

「うん」


 でも、その前にやらなければならないことがある。そのことは青蘭自身も自覚していた。


「約束。ボクがもう一度、自分で戦えるようになったら、必ず」

「そう、だね」


 今度こそ、青蘭の失われた記憶をとりもどすために旅に出なければならない。この前のことから、フレデリック神父が、つねに龍郎や青蘭を監視していることがわかった。ナイショで出発するのは難しい。


 そこで一計を案じた。


「清美さん。おれたち、しばらく旅行に行くけど、いいかな?」

「ラジャーです!」

「えっ? ちょっと返事、早すぎない? まだ説明してないけど」

「大丈夫。夢で見てますから。理解してますよ」

「あっ、そうなんだ」


 だんだん、清美の夢巫女の力が増している。便利ではあるが、ちょっと怖い。


「じゃあ、行ってきます。おれたち、散歩のふりして行くから。もしフレデリックさんが来たら、てきとうに言って引きとめておいて」

「ラジャーです!」


 なるほど。この頼みに対する“ラジャーです”だったのか。


 めちゃくちゃ、いい笑顔で敬礼している清美を残し、龍郎と青蘭は外へ出る。


 龍郎は財布とスマートフォンだけポケットに入れていた。青蘭も同様だ。見たところ、散歩にしか見えないだろう。


「どうするの? 龍郎さん。着替えは?」

「そんなの途中で買えばいいよ。このまま街中に向かって、人ごみにまぎれよう。駅まで行けば、まけるんじゃないかな」

「ふうん。別についてきても、かまわないんじゃない? 少なくとも、神父、エクソシストではあるし。万一のとき、役には立つよ?」


 まったくもって、そのとおりだ。

 しかし、龍郎は神父に知られたくない。青蘭の正体が、智天使だったころのアスモデウスの魂の転生した姿だということを。

 清美にさえ告げていない。できれば、このまま、龍郎の胸にだけしまっておきたい。


「ほら、組織に入れって、うるさく言われると困るからさ。あんまり弱みをにぎられたくないんだ」

「そうだね」


 なんとか青蘭を説得して、田舎道を歩いていった。家のまわりの散歩はしょっちゅうしているから、どこからか監視している神父も、まだ龍郎たちの魂胆こんたんに気づいてはいまい。


 なんだか、身一つでとびだして、二人で駆け落ちでもしにいくようだ。手に手をにぎりあって、道ならぬ恋の逃避行。やけにロマンチックな気分にひたる。


 にぎやかな街中まで来ると、スーパーに入るふりをして、裏口から駆けだした。そのままタクシーをひろってJRの駅へ行くと、岡山行きの特急に乗りこんだ。M市から九州への新幹線はないので、いったん岡山駅まで行かなければならない。


 幸いにして、旅費用の軍資金だけは豊富にある。この前、ひさしぶりに通帳記入したら、とんでもない額が貯まっていたのだ。


「青蘭。なんか、見たことない数のゼロが並んでるんだけど? なんだ、この振り込みの一億って? それに月給が二千万ずつになってる」

「だって、二百万は試用期間だったからですよ? 正式に契約したから、給料は十倍です。一億は僕を魔界から救出してくれたことへの特別手当」

「お金のためじゃなかったけど……」


 まあいい。しょせん、ホテル王だった祖父の遺産を継ぎ、数兆円の資産を持つ青蘭にとっては、微々たる金だ。貰っておけば、いつか役に立つかもしれないと、龍郎は結論した。


 そんなことがあったから、今のところ金の心配はいらない。


 特急はガタガタ揺れて、恋人同士が密着するのには都合がよかった。カーブが多いのか、右に左に体がふりまわされる。だから、自然によりそいあう形になる。


「青蘭は五歳までの記憶がないんだろ?」


 車窓から外の景色をながめながら聞いてみる。ちょうどカーブが来て、龍郎のほうに傾いてきた青蘭の頭が肩に乗った。


「うん。火事にあう前のことは覚えてない」

「おれはさ。前にあの島に行ったとき、結界のなかで、五歳の青蘭に会ったんだ。そのとき、青蘭は変なこと言ってたんだよ」

「なんて?」


 またカーブが来て、今度は反対側に傾く。龍郎の頭が青蘭の頭に乗っかる。


 田植えの始まったばかりの田がつらなっていた。水の引かれた田んぼが空の青さを映している。


 空の水色。

 地上の空色。


 なんだか空中を浮かんでいるようだ。ふわふわと雲のあいだを、二人で漂っている。


(これを青蘭に言ってもいいんだろうか? 自分が天使だったと思いだせば、青蘭は……)


 天女の羽衣を隠した男の気持ちは、こんな感じだったんだろうと、龍郎は思った。愛する人を失いたくない。その思いが嘘をつかせた。


 言えば、今のこの幸福は粉々に崩れさるかもしれない。

 でも、もうこれ以上、隠しておくべきではない。そのために、青蘭が傷つくのだとすれば。


(この前だって、指を噛みちぎられなかったからよかったものの、一歩まちがってれば、もっとひどい怪我になっていたかもしれない)


 龍郎は真実を伝えるために、思いきって口をひらいた。


「青蘭。じつはね……」

「うん」


 そのとき、列車がトンネルに入った。窓の外の景色が隠れ、ガラスの表面に龍郎と青蘭の顔が映りこむ。


 龍郎はおどろいた。

 自分たちの奥に反射する乗客の姿が、すべて髑髏どくろに見えた。

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