第38話 ロイコクロリディウム その四



「おいおい。本柳くん。君、どうしたんだ?」


 穂村に問いただされ、龍郎はあわてて手の甲で涙をぬぐう。


「いえ。その……それより、ここが超古代の遺跡だったというのはわかりました。でも、おれたちに頼みっていうのは——」


 言いかけたときだ。

 背後で、カタンと、かすかな物音がした。そっと、青蘭が龍郎の背中にふれてくる。


 龍郎は青蘭の手をにぎりしめ、音のしたほうをふりかえった。玄関のドアがひらいている。そう言えば、さっき三人が入ったとき、穂村は鍵をかけていなかった。


「穂村さん。誰か来たみたいですよ」

「ああ。ほんとだ。誰だろう?」


 穂村が立ちあがり、玄関へ歩いていく。


 それにしても、変な訪問者だ。

 いくら鍵があいていたからって、勝手にドアをあけるだけでも失礼だと思うが、せめて開けたのなら挨拶くらいはしそうなものだ。


 玄関は逆光になっていて暗い。

 ドアのすきまから明るい光が入りこみ、外廊下に立つ人物の姿は黒く影になっている。それも、ほんの一部だけしか見えない。


 なんだか、違和感があった。

 一瞬、影の形がいびつに見えた。頭のあたりに角が突きだしていたような……。


「穂村さん」


 思わず声をかけたとき、すっと角はひっこんだ。穂村がドアを全開にすると、外廊下には磯福が立っていた。この前はやつれて無精ひげが伸び、ひどい風態だったものの、少し肉がついて、ひげも剃り、清潔になっている。


「やあ。声が聞こえたから。もしかして、龍郎が来てるのかなと思って」

「ああ。来てるよ。君もあがってくれ」


 穂村は顔見知りが来たので警戒なく、なかへ入れる。しかし、この部屋に大人が四人も集まると、きょくたんに狭く感じられる。


「あの、穂村先生。大事な話があるんじゃないんですか? ご用がないなら帰りますが」


「ああ、すまない。すまない。君たちに遺跡の調査を手伝ってもらいたいんだ。忘れられた超古代文明。しかも、いまだにこの地に異変が起こっている。何かしらの霊的な力が働いている。君の特殊な能力をだね。ぜひ私に貸してもらえないか?」


 龍郎は青蘭を見つめた。

 ほんとは今すぐにでも、あの診療所のある島へ行って、青蘭が自身を守れるようにしたい。でも、青蘭の内にあるアスモデウスの記憶を蘇らせることへの不安もある。


(遺跡の調査をすることで、アスモデウスに関する情報も得られるかもしれない。この場所には、たしかに一度とは言え、アスモデウスがいた。それなら、あの島へ行くのと効果は同じか)


 これは逃げるわけじゃない。

 決して、青蘭の記憶をとりもどすことを先送りにするためじゃない。


「そうですね。いつもってわけにはいかないけど、時間のあるときなら、かまいませんよ。なあ、青蘭?」


 だが、青蘭は不満そうな顔で首をふる。


「そんなの協力する必要ないよ。もう帰ろ? 龍郎さん」

「えっ? なんで?」

「なんでも!」


 龍郎の手をひっぱって、外へ出ていこうとする。


「まあまあ。そう言わないで。君たちをこの剣や矢じりが見つかった場所に案内しよう」


 青蘭がにぎったのとは反対の腕をとって、穂村がひきとめようとする。


 そのとき、龍郎は変な感じがした。

 穂村は痩せすぎの死神みたいにガリガリだ。それなのに、龍郎の腕をつかむ手は妙に柔らかい。


「そうだよ。龍郎。まだいいじゃないか。帰るなんて言うなよ。友達だろ?」


 そう言って、磯福も龍郎の肩をつかむ。


 なんだか、おかしい。

 急に穂村や磯福が別人にすりかわってしまったような変な心地になった。


「穂村……先生? 磯福……?」


 二人は張りついたような笑顔で、龍郎をつかむ腕に力をこめてくる。


 やっぱり何かが普通じゃない。

 龍郎は身の危険を感じた。

 青蘭の言うとおり、今すぐ、ここから逃げるべきだ。


 二人の手をふりはらおうとした。

 まだ龍郎の手には、穂村から受けとった古代の剣のカケラがあった。傷つけるつもりはなかったが、ふりはらった弾みで、その切っ先が穂村の手にあたった。


 とつぜん、カケラが光った。

 ジュッと音がして、肉の焦げる匂いが立ちこめた。


 穂村の口から悲鳴があがる。

 見ている前で、それは穂村ではなくなっていった。

 ガリガリに痩せた冴えないイケメンだった中年男の目玉が、急に眼孔から突きだしてきた。異様な角のように。


 穂村はとびだした右目を片手で押さえる。と、今度は反対の左目がとびだす。赤い色の目玉だ。触覚のようなものが穂村の両眼をつきやぶって生えてきた。筋肉の色なのか、血の色なのか、不気味な色の縞模様がグリグリと触覚のなかで蠢いている。


 女の子なら失神しそうな面相だ。

 グロテスクなものを見なれた龍郎でさえ、吐き気をもよおした。


「なんだ、これ? なんで、穂村さんが?」

「龍郎さん。こいつら、寄生されてるんだ。中身は人間じゃないよ」


 だから、さっきから青蘭のようすが変だったのか。いつものワガママだと思っていたが、そうではなかったのだ。


 龍郎は右手に力をこめた。

 古代の剣の切っ先がキラリときらめいた。まぶしい光を発しながら、龍郎の手の内に消える。


 その感覚に、龍郎は覚えがあった。

 数年前、二十歳になったばかりのころに、祖母から受けとった、先祖から代々伝えられてきたという玉。祖母から受けとった瞬間、龍郎の手の内に吸いこまれた。


 それが、苦痛の玉だった。

 青蘭のなかにある快楽の玉と対になる二つの賢者の石の一方。


 苦痛の玉は今、龍郎の右手のなかにある。あのときと同様に、古代の剣のカケラは、龍郎の手のなかに吸収された。苦痛の玉の力が増幅したような気がする。


 龍郎は右手を広げ、穂村の前にかかげた。ふれる前から強烈な光が発し、穂村の姿はドロドロに溶けていった。

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