第二十九話 四の世界
第29話 四の世界 その一
地下室へ行くと、やはり、仕事部屋の壁には穴があいていた。それも、昨日より確実に大きくなっていた。
「わたし……ここ、嫌い」
瑠璃がつぶやく。
龍郎はその細い肩を抱いて、励ました。
「行こう。瑠璃さん。おれが、そばにいるから」
昨日と同じ暗闇のなかへふみだす。
けっきょく、今日は神父も現れなかったが、どうなっているのだろうか?
フレデリック神父のことだから、無事なんだろうとは思うのだが。
固い岩盤のような洞窟が、しだいに、あのフワフワした感触になる。
手が壁にあたった。ボロボロと崩れる。腐食しているようだ。
(この柔らかさって、腐ってるからなのか?)
とにかく、ここにいてはいけない。
今、女王に出会っても昨日の二の舞だ。
たしか、一の世界でルリムにつれだされたとき、足元の柔らかい場所から、そうでないところに向かっていった。そして、中央の塔から出ることができたのだ。
龍郎は立ちどまった。
かなり遠いが、前方にあの玉座が見える。
(まだ、あそこには行けない)
ふと、にぎっていた手をながめた。
なんだか、急にその手ざわりが変わったような気がしたのだ。女性らしいほっそりとなめらかな青蘭の手とは、なんだか違う。ゴツゴツして、力仕事でもする人のように筋ばっている。
見ると、いつのまにか、となりに立っていたのは、ルリムだった。
「なぜ、君が……青蘭の手をにぎっていたはずなのに」
ルリムは怒ったような目をしている。
赤い目が闇に浮かびあがり、見ためは完全なる悪魔だ。
「青蘭? 誰よ、それ?」
「何を言ってるんだ。君がさらったんじゃないか。おれの大切な人を」
ルリムは龍郎の手をふりはらって腕を組む。
「あなた、侵入者ね。どうやって、その首飾りを手に入れたの?」
「重要なのは、そのことじゃない。君を信用しろと、清美さんが言った。つまり、君とおれの利害は一致してるということだ。君の目的はなんだ? おれはこの世界の魔法を打ちやぶり、囚われた青蘭を救いだすことだ」
「だから、そんな人間、知らないわ」
「そんなはずがない。君が黒川温泉の宿から——」
そこで、龍郎は気がついた。
ルリムが青蘭を知らない。それは、まだ青蘭をさらっていないということではないかと。
試しに、龍郎は聞いてみた。
「祭は何日後だ?」
「時間のとらえかたが、あなたたちとは違うけど、今、あなたの思考から読みとった概念で言えば、七日後ね」
やっぱり、そうだ。
四の世界は青蘭がさらわれてくるより前の時間軸なのだ。
「ルリム。君はこの世界で何がしたい? おれと君は手を組めるかもしれない」
ルリムは爪をかんで黙考する。
その仕草が彼女の化身である冴子のときと同じだったので、龍郎はなんだか安心した。ルリムとは共闘できるという印象を深くする。
「ここでは、話せない。来なさい」
命令口調だが、ルリムは洞窟のなかを案内してくれた。複雑な迷宮を通りぬけ、女王の塔を脱出する。そして、鉄骨の渡り廊下を四方の塔の一つに向かっていった。幽閉の塔ではない。そのとなりの塔だ。
「ここは王女の塔よ」と、ルリムは言った。
ルリムがハッチに手をあてると、簡単にひらいた。なかは幽閉の塔にそっくりの構造だ。螺旋のスロープがゆるくカーブを描き、しだいに上部に伸びていく。
ルリムは塔のなかの一室に龍郎をつれて入った。
「ここなら、秘密の話をしても、いくらかマシ。わたしの結界のなかだから」
「王女の塔って?」
「そう。わたしは王女」
「戦闘天使じゃないのか?」
「バカなこと言わないで。女は時期がくれば羽が生えるものよ。戦闘天使とは違う。天使はできそこないよ」
「ふうん?」
「だから、もうすぐ決断しなければならない」
「何を?」
ルリムは赤い舌を出し、ペロリと唇をなめた。
「女王に忠誠を誓うかどうかを、よ」
「えっ? なんで?」
「この世界に女王は一人で充分だからよ。王女は女王に何かあったときのための予備でしかない。わたしはもうすぐ、予備の時期をすぎてしまうのよね」
「そうなのか」
なぜ予備でなくなるのかはわからないが、重大な時期なのだろう。おそらく、ルリムにとっては一生を左右する決断だ。
「あなたは、どうしたいの? この世界の魔法を解くと言ったけど?」
「女王を倒す」
にやッと、ルリムは口唇をつりあげた。
「いいわ。あなたと手を組む」
「取引成立だ。おれは女王を倒す。君は女王を倒すために、おれに手を貸す」
握手を求めて、龍郎は右手をさしだした。が、そこで気がつく。自分の右手には苦痛の玉が埋まっている。それは、ふれるだけで悪魔を傷つけ苦痛を与える。悪魔のルリムには龍郎の右手をにぎりかえすことはできない。
「すまない。こっちで」
かわりに左手をさしだした。
左手の握手は別れのあいさつだと言うが、ルリムは人間のマナーなど気にしないだろう。
「変なことするのね。まあいいわ。じゃあ、契約成立ね」
龍郎はルリムと手をにぎりあった。
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