第26話 七つの世界 その三



 暗闇に血しぶきが舞った。

 透子の首筋から噴きだすようにあふれる。


(殺された! 殺人だ!)


 大変なところを目撃してしまった。

 どうしたらいいんだろう。やはり、警察を呼ぶべきか。しかし、家の人たちが死んだり生き返ったりする、こんな異常な状態で、警察を呼んでも解決はしない気がする。


 そんなことを考えているあいだに、勝久は透子の死体の両手を持って、ズルズルとひきずっていった。


 なんてことだ。この家には殺人鬼がひそんでいたのか。だから、冬真の態度がおかしかったのか。ここは冬真と相談してみるほうがいい。


 龍郎は一階におりていき、冬真の部屋まで走っていった。龍郎たちの客間と、ちょうど中庭を挟んで向きあうくらいの位置だった。近くまで行くと、見おぼえのある場所に出た。


「冬真。起きてるか? 冬真」


 これだけ大きな家だ。多少の物音なら二階までは聞こえない。龍郎はドアをノックしながら冬真を呼んだ。


 だが、冬真が部屋から出てくるようすはない。すでに寝てしまったのか。いや、というより、また停電のときのように仮死状態になっているのかもしれない。もしそうなら、朝まで起きてこない可能性が高い。


 龍郎はしかたなく、今すぐ話しあうことをあきらめた。朝まで待つしかない。


 屋敷のなかは静まりかえっている。

 勝久の蛮行が終わったのだろうか?

 それとも、透子の死体を処理するために工作しているのか?


(青蘭、大丈夫かな?)


 心配だが、瑠璃の寝室がどこにあるのかわからない。こんなことなら、冬真に聞いておけばよかった。


 屋敷中をうろつくわけにもいかないので、龍郎はともかく客間へ帰った。いちおう清美のことも案じたが、あいかわらずヨダレをたらしたまま、この上なく幸せそうだった。


 ため息をつきながら、ソファーに上がる。急速に睡魔に襲われた。目をあけていられなくなり、眠りに落ちた。


 翌朝。

 龍郎はふつうに目ざめた。

 現実世界のことが気になって、魔界へ行くことがためらわれたせいか、夜の眠りのなかで、あの場所へ行くこともなかった。


 図々しい気もしたが、昨夜のことがあるので、早めに食堂へ行った。この家の人々のようすを観察したかった。とくに、勝久のようすを。


 ところがだ。

 朝一番で食堂に現れたのは、ほかの誰でもない。透子だ。

 龍郎はあぜんとして、食事をならべる一家の女主人を見つめた。


 あんなにたくさんの血が流れたのに、あたりまえの人間なら生きているはずがない。それとも、この家の人たちは、あたりまえじゃないのだろうか?

 あるいは、この家の人たちが仮死状態になることと関係があるのか……。


「氏家さん」

「はい?」


 話しかけると、透子はにこやかに応えてくる。この人は、ほんとに何も自分たちの異変に気づいていないのか?


「あの、昨夜なんですが」

「はい。なんでしょう?」


 五分ぐらい凝視したが、透子の表情は変わらない。冬真の言ったとおり、冬真の家族は何も知らないようだ。


 それにしても、昨夜のあれは、ただの仮死状態ではなかった。目の前で夫に殺害されていたのだが。


(なんだか、わけわかんないなぁ……)


 弱音を吐きたい気分だが、そうも言っていられない。大切な青蘭の命がかかっているのだから。


「いえ。昨日は冬真くんに勧められて、泊まらせてもらいました。子どものころのことが懐かしくて」

「あら、そう? 冬真、このごろ沈んでることが多いから、仲よくしてやってくださいね」

「はい」


 会話が終わるのを待っていたかのように、勝久が食堂へやってくる。

「おはよう。透子。今日もきれいだね」

「あら、あなた。およしなさいよ。お客様の前ですよ」

「まあいいじゃないか」


 イチャイチャするので、へきえきしてしまった。


 そのあと、朝食をごちそうになり、龍郎は清美といっしょに、いったん自宅へ帰った。長期間の滞在となると着替えがいる。


 自宅に帰ったとたん、フレデリック神父が門前に立っていた。


「どこに行っていたんだ? 何度も電話したんだがな」

「すいません。ちょっと」

「ちょっとじゃないだろ? ぬけがけしたんだな?」

「まあ、そうです」


 神父は嘆息する。

「それで、何かわかったか?」

「わかったというより謎が深まりました」

「話してくれ」

「あなたたちのことは信用してないんですが」

「言ったろう? 組織はともかく、私は君たちの味方だと。青蘭にもしものことがあれば、星流に申しわけが立たない」


 龍郎はこの機会に、気になっていたことを聞いてみることにした。

 以前、診療所のある島で、神父に化けた悪魔が言っていた。私は青蘭に惹かれていると。もちろん、あれは悪魔の本心だったんだろうが、神父自身の心を投影しているわけではないと確証がほしかった。


「フレデリックさん。あなたと星流さんがバディだったことは知ってます。でも、それだけのことで、娘の青蘭にそこまで肩入れするのは、なぜですか?」


 すると、予想とは違うこたえが返ってきた。


「星流は私の恋人だった」

「えッ?」

「少なくとも私はそう思っていたが、星流とは認識がズレていたのかもしれないな。あっけなく、私をすてて、青蘭のお母さんと結婚したんだから」


 意外な言葉に、龍郎は言葉を失ってしまった。

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