第22話 君の声を聞かせて その二



 黒川温泉は深い山のふところにある、古い街並みの温泉街だ。まるで昭和に逆戻りしたような、レトロな宿が建ちならんでいた。

 自然にとけこむ庭園。

 いおりのような木造建築。

 美しい。

 どこか、和風ファンタジーの世界に迷いこんできたかのようだ。


「キレイだなぁ。仙人の隠れ里みたいだ」

「そうですね。一週間くらい泊まってもいいな」

「それは、さすがに清美さんが哀れじゃないかな?」

「清美なんか黙って留守番させとけばいいんですよ。どうせ、一人だからって安心しきってオタクなアニメ見まくってます」


 その指摘は、あながち間違ってない気がする。


「宿が予約で埋まってないといいけど」

「そこはボクに任せて」

「今回、現金、持ってきてないだろ?」

「どっかにATMコーナーないかなぁ」


 そんなことを話しながら、宿の駐車場に入る。降車するとき、龍郎は気配を感じた。小動物の走るような音が一瞬した。キョロキョロしても何も見えなかったが。


「どうしたの? 龍郎さん」

「うん、気のせいだろ。これだけ山のなかだからなぁ。野生のイタチとかキツネとかいるだろうし」


 しかし、感じた気配は、それよりずっと小さいような気もしたが。

 とは言え、せっかくの青蘭とのハネムーンだ。いいふんいきを壊したくない。


「明日は鍋ヶ滝に行ってみよう。午前中のほうがすいてるらしいからさ。朝イチで」

「うん。龍郎さんといっしょなら、どこでも楽しいよ」

「……急に殺し文句言うなぁ」


 古式ゆかしい宿に入ると、予約済みの部屋に案内された。窓から見える庭の景色が、また素晴らしい。しかし、まっさきに龍郎の目に入ったのは、二つならんだ真っ赤な掛け布団のベッドだった。自分でもバカみたいにカアッと体中が熱くなるのを感じる。


(どうしよう。ヤバイぞ。おれ、夜までガマンできるかな?)


 ドキドキしながら、ぎこちなく荷物を置く。青蘭が爽やかな笑顔で誘ってくる。


「ねえ、龍郎さん。さっそく……」

「ええーッ?」

「な、何? 急に大きな声で」

「さっ、さっそくって、もう?」

「うん。だって、そのために来たんだよね? 湯巡り」

「あっ、湯……うん。そ、そうだね」


 すごく恥ずかしい勘違いをしてしまった。ほんとに、どうかしてる。興奮しすぎだ。


 くくッと何かに笑われたような気がした。案内してくれた仲居はとっくに去っている。龍郎と青蘭以外の人影は、目に見える範囲にない。笑い声なんて聞こえるはずないのだが。


 宿で貸してくれた浴衣に着替えて、龍郎と青蘭は外へ出た。宿の温泉はあとで入ることにして、時間も早いので散歩がてら観光スポットを歩きながら、手形で入れるよその温泉をまわってみることにした。


 明神様の祠や、地蔵堂をめぐり、丸鈴橋からの緑豊かな景観を楽しんだ。


 青蘭と二人で歩いていると、いつもすれちがう人の視線を集めるのだが、今日はなおさら注視をあびる。なんだか怖いくらい注目の的だ。


 青蘭はちょっと心配そうに、浴衣姿の自分を見おろす。

「ボク、変かな? 浴衣って初めて着るんですよね」


 そんなわけないよ。君が綺麗すぎるからだ——


 もとより妖精のように端麗なのに、今日の青蘭は一味違う。藍のよろけ縞に花菱紋様はなびしもんようの浴衣。赤い帯。中性的な模様も青蘭なら似合う。いつも黒のスーツだが、そんな姿をしていると、やはり女の子だなと思う。浴衣のすそからのぞく足首や、ぬいた襟足の白さが、匂いたつように色っぽい。


 それに、今日の青蘭は内から輝くような甘やかさが、全身からにじみだしている。恋をしている人に特有の輝きだ。信頼と愛情に満ちたりている。


 龍郎が見とれていると、青蘭がとつぜん走りだした。


「あっ、猫だ!」

「青蘭。ちょっと待って。猫は追っかけると逃げるよ」

「ああ、いなくなっちゃった」

「だから、追っかけちゃダメなんだって」

「そうなの?」


 カフェで休みつつ、各所で温泉に入る。湯巡りできる宿は二十四軒もあるから、とうてい全部はまわりきれない。


 そのうちに日が暮れてきた。明かりが灯り始めると、ますます幻想的な町並みになる。


 幸せいっぱいでデートを満喫していた。が、日没とともに、龍郎はまたあの気配を感じるようになった。なんだか、どこかから見られているような気がする。


「どうしたの? 龍郎さん。さっきから、いやにふりかえってばっかり」

「なんだろう? 誰かにつけられてるような……」

「そう?」

「きっと、おまえが目立つからかな。そろそろ宿に帰ろうか」

「うん」


 青蘭が龍郎の腕に両手をからめてくる。龍郎は人前でそういうことをするのは、これまで苦手だった。が、今は通りすがりの人にどう映るかなんて、まったく気にならなかった。むしろ、これほどに麗しい人をつれ歩いているなんて、それだけで誇らしい。


 するとまた、チッと舌打ちが聞こえてくる。やっぱり、誰かが尾行しているのだろうか?


(なんだろうなぁ? おれ、被害妄想かな? 綺麗すぎる恋人を持つと心配になるって言うし……)


 龍郎は自嘲して、宿にむかって歩きだした。


 夜は刻一刻と深まる。

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