第21話 ラビリンス その四



 青蘭の言葉に呼応するように、屋敷がゆらいだ。空間が歪み、グチャグチャに丸められた粘土のように別の形に変わる。


(そうか。おれは時間を飛んで過去に戻ったわけじゃなかったのか。ここは、青蘭の心が作りだした迷宮なんだ)


 龍郎が嘘をついたと勘違いして、絶望した青蘭が生みだした結界。

 青蘭の心に巣食う深い闇が形になったのだ。


 龍郎は腕のなかで燃えがらになった青蘭を見つめた。

 できることなら、こうなる前に救いたかった。でも、すでにそれが変えられない過去なら、今からでも龍郎にできることはないのだろうか?


「青蘭。おれは必ず、おまえを見つけるから。今のおまえを」


 ささやくと、腕のなかの青蘭は、かすかに微笑んで消えた。


 屋敷の風景が変化していた。

 炎はもうあまり見えない。ところどころ青く光るのは、よく見れば、炎を発する目玉だ。クトゥグアは自分の体で体当たりしながら、機関銃のように、目玉を撃ちこんできたのだろう。

 目玉をふみつぶすと、炎は消えた。


 屋敷のなかは暗い。真っ暗だ。

 夜になったせいなのか、青蘭の心が暗闇に閉ざされているせいなのかはわからない。


 それにしても、なんだか建物の造りが火事の前と違って見えた。火事で崩壊したあとの屋敷だから、そう思うのはしかたないが、それだけが原因でもないようだ。やけにノッペリした壁や、豪華な西洋館には似つかわしくない非常灯などの灯りが見える。

 これは、洋館というよりは、病院のようだ。


(病院……そうか。青蘭が入院してた診療所か。青蘭の記憶のなかだから、場所が、ごっちゃになってるんだ)


 暗がりを歩いていくと、なんだか異様に動悸がする。足どりもおぼつかない。急に体力が半分以下になってしまったかのようだ。体が熱っぽく、だるい。これに近い感覚は以前、一回だけインフルエンザに罹患りかんしたときだろうか。自分が自分ではないようだ。猛烈に睡魔に襲われ、意識が遠のく。あやふやな感覚が誰かのそれと結合していくような……。


 足をひきずるようにして、歩いていった。どこからか、ひそひそと話し声が聞こえる。きっと、ナースか医者だ。


 退屈して病室をぬけだしてきてしまった。きっと、見つかったら怒られる。まだ、体が本調子ではないから。


 長いこと意識不明だったらしい。

 何年も植物状態が続いていたと聞いた。意識が戻ったのは、つい最近だ。


 病室には窓がないし、テレビやラジオもない。子どものころのことは思いだせないことが多いけど、屋敷のなかで何不自由なく暮らしていたことだけは、ぼんやりとだが覚えがあった。


 真っ白な壁や天井に、パイプ製のベッド。家具はいっさいなく、本やオモチャや気晴らしになるようなものは何一つ置かれていない。服も患者用の白いパジャマみたいなものを毎日、用意される。食事は時間ピッタリにナースが運んでくる。毎日、検査だけで何もすることがない。


 もう、こんな生活にはウンザリだ。

 退屈しのぎに冒険してみようと思った。


 でも、なんでこんなに体が思うように動かないんだろう? 足もうまく、まがらないし、視界も狭い気がする。腕が片方、まったく上がらない。固いロープで全身を縛られているように、あちこち、ひきつって自由がきかない。


 何度も倒れそうになりながら、歩いていった。歩いてというより、這ってというほうが正しかったかもしれない。


(どうしたんだろう? 前は、こんなじゃなかった気がするのにな。もっと早く走れたし、こんなに体が重くなかった)


 なんだか、不安だ。

 数日前に目が覚めたとき、お医者さんたちは、みんなとても驚いて、奇跡だとかなんだとか早口言葉みたいに話していた。


「まさか、意識が戻るなんて! もう一生、このまま植物状態だろうと……ミスターに連絡だ。あなたの後継者が目を覚ましたと」

「はい! 大至急、報告します!」


 そんなふうに、あわてふためいている白衣を着た大人たちをぼんやり眺めた。


 大人たちは、みんな優しかった。

 彼女が目覚めたことを自分のことのように大げさに喜んでくれた。


「自分の名前は? 言える?」


 名前? 一瞬、頭のなかにかすみがかかったように記憶がぼやけた。白いふわふわの雲のような世界で、仲間たちと幸福に暮らしていたときのことを思いだした。でも、それは真夏の炎天下のアスファルトの上にこぼしたアイスクリームのように、もろくも崩れさる。


 かわりに、もうちょっと現実的な記号が脳裏に浮かぶ。


「……せ……ら」


 どうしたんだろう?

 声が出ない。

 喉の奥に何かが詰まっているようだ。口も動かない。動かそうとすると、皮がひっぱられるようになって痛んだ。


 せいら。そう。名前は八重咲青蘭。お父さんは八重咲星流。お母さんは、カレン・マスコーヴィル。


 青蘭が声を発すると、医者たちは、また「おおッ」と歓声をあげた。


「すごいぞ。ちゃんと正常な意識がある。青蘭。じゃあ、君は今、何歳?」


 それはすぐにはわからなかった。

 なんだか、とても長いあいだ眠っていた気がするから。

 三億年か五億年か、もっともっと長い時間……。


 答えられないでいると、医者はガッカリしたようだ。


「まだ混乱しているか。まあ、しかたあるまい。君は七年も寝たきりだったんだから」


 七年? ほんとに? 百億年じゃないの?

 どこか遠い遠い、真っ暗なさみしいところで、ずっと歌っていた気がするんだけど。


「青蘭。君は今、十二歳になった。君は事故にあって死にかけたんだよ。でも、もう大丈夫だ。しばらく不便なこともあるだろう。体力も落ちているしね。じょじょにリハビリでよくしていこう。私は主治医の柿谷。こっちは助手の最上。おもに君のお世話をするのはナースの山藤やまふじさんだ」


 それが、青蘭の二度めの始まり。

 この世に二回めに生まれてきた日。

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